橋幸夫さん死去、82歳「いつでも夢を」「霧氷」

歌手の橋幸夫(はし・ゆきお、本名・橋幸男=読み方同じ)さんが4日午後11時48分 、肺炎のため都内の病院で死去した。82歳だった。
「御三家」の一角が天国へ旅立った。
橋さんは1943年に東京・荒川区で誕生。60年に「潮来笠」でデビューすると、同年の日本レコード大賞新人賞に輝き、NHK紅白歌合戦への出場も果たした。
以降、紅白には通算19回出場。レコード大賞では62年に「いつでも夢を」、66年に「霧氷」で2度の大賞を受賞した。昭和、平成の演歌界をけん引し、西郷輝彦さん、舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれ人気を博した。
私生活では、ハワイ行きの航空機内で客室乗務員を務めていた女性と出会い、69年に結婚。2人の子供をもうけ、おしどり夫婦として知られた。
しかし、46年がたった2017年末に熟年離婚。さらに、同じ時期に一般女性と再婚していたことも一部週刊誌の報道により明らかに。橋さんは再婚の事実を認め、スピード再婚は大きな話題となった。
21年9月には、80歳の誕生日である23年5月3日に「喉の筋力の衰え」を理由に歌手活動から引退することを発表。同日に歌手活動から一線を退いたが、翌24年4月に引退を撤回。「歌の素晴らしさ、皆さんの応援のすごさをもう一回、楽しみたいと思いました」と心境の変化を明かし、同27日の復帰コンサートでは「声がかれて出なくなるまで歌い続けたい」と宣言した。
しかし、25年5月にはアルツハイマー型認知症を発症していたことを公表。さらに同月、「一過性脳虚血発作」で緊急入院するなど、晩年は病との戦いも強いられた。
それでも、歌手活動復帰以降は歌うことを一切やめずステージに立ち続けた。所属事務所「夢グループ」の社長・石田重廣氏らの支えもあり、最後まで歌手人生を全うした。
◆橋 幸夫(はし ゆきお)1943年5月3日、東京・荒川区生まれ。60年、「潮来笠」でデビュー。同年の日本レコード大賞新人賞、NHK紅白歌合戦初出場(通算19回出場)。舟木一夫、西郷輝彦さんと共に「御三家」と呼ばれ人気を博す。23年、歌手活動を一時引退。24年、引退を撤回して復帰。血液型A。