能登半島地震で大破し、兵庫県姫路市で修復されたみこしの帰還を追って、今夏、石川県輪島市門前町の黒島地区を取材した。住民やゲストハウス経営者の話を通じて、復興が進まない被災地の現状と若者が生み出しつつある変化を伝えたい。
みこしは黒島地区で毎年8月に開かれる黒島天領祭で地区内を巡回していたが、地震で大破した。姫路市の大工が約8カ月かけて修復。7月31日には地元に戻されたことを祝う式典があり、住民は「みこしを見るとみんな元気になる」と笑顔を見せていた。
その式典の前、地区を歩くと被災地の厳しい状況を感じずにはいられなかった。屋根の黒瓦が崩れたままの民家や壁がはがれて崩れそうな蔵、戸口や壁がビニールシートで覆われた建物もあった。家を取り壊した空き地からは、青い海が見えた。
地区は江戸時代に北前船の寄港地として栄えた。黒瓦の家々も残り重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている。2024年元日の地震で門前町の震度は7。国の重要文化財指定の住宅「旧角海家住宅」のほか、多くの建物が倒壊した。
区長の川井隆三さん(69)は「地震後、屋根にブルーシートをかけたけれど、24年9月の豪雨で2階が水浸しになり、布団もすべて捨てなくてはならなくなった。雨漏りしている所に住んでいる人もいる。普段の生活をまずは取り戻したい。そんな段階だ」と話した。
復興の力になろうとする移住者もいる。
震災8カ月後に地区の民家でゲストハウスを開業した杉野智行さん(38)を訪ねた。元石川県職員で4年前に移住。災害支援に取り組みながら、開業にこぎつけた。
復興の現状を尋ねると「建物を見ると、復興は遅いと感じるかもしれませんが、見えないところでは少しずつ変化が起きています」と話してくれた。建物の解体では伝統的な町並みを守るために、手続きを踏んで慎重に検討される事情もあるという。
杉野さんは震災翌月に地域の課題を行政などに要望していこうと、被災者で地域の将来像を議論する会議を立ち上げた。当時は「杉野くんは、未来って言うが、今は目の前のことでいっぱいいっぱいで、心が追いつかないよ」とよく言われたという。
被災者には80~90歳代も多く、自宅を再建・修繕したとしても子や孫世代はここに戻らない。杉野さんは「虚無感のようなものがあった」と振り返る。
一方で、地区では大学生らとの交流も始まった。
ゲストハウスには、これまででのべ約40人の学生が住み込みスタッフとして滞在。学生は船乗りが多く暮らした町の歴史や生活文化に興味を持ち、住民から教わるうちに、次第に「学生さん」ではなく名前で呼び合うようになった。地区を離れても、電話で住民と近況を報告しあう学生もいるという。
7月31日のみこしの帰還を祝う式典で披露された「天領太鼓」でも、地元住民に交じって、長期滞在する学生がバチを振るった。杉野さんらが企画する新しい取り組みにも「面白そう」と興味を持ってくれる住民が増え、「あと5年がんばらないけんね」と話す人もいる。「黒島に人が通ってきてくれるかも、という期待感が生まれてきている」と杉野さんは話している。【幸長由子】