10月28日、安倍元首相銃撃事件の公判が始まる。事件を起こした山上徹也被告が、旧統一教会に抱いていた「恨み」とは。山上被告の家庭に 何が起きたのか をレポートする。
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山上家の悲劇
遠く近くに鳥が鳴き、道端からは虫の声。車1台がようやく通れるほど狭い路地。その両側に新旧の住宅が密集する。
山上徹也が少年期を過ごした奈良市の実家周辺は、周囲に田畑や林が点在する古い住宅街だ。中学時代の同級生は、山上は古く大きな家に住む、物静かな子だったと振り返る。
「あまり友だちも多くなく、小さい妹さんの世話をよくしていた覚えがある。中学時代はバスケットボール部だったので、家の前でよくドリブルの練習をしていた」
山上は1980年、年子の兄がいる次男として生まれた。目立つタイプではなかったが、勉強ができるという点で記憶に残る子だった。
山上家は高学歴の家庭だ。父は京都大学工学部卒、母は大阪市立大学生活科学部の出身。父の兄は弁護士で母の妹は医師。父は結婚を機に、妻の父が創業したトンネル掘削を得意とする建設会社に勤務していた。平穏に成長して行けば、山上も進学コースを歩むはずだったろう。
だが現実にはいくつもの不運が重なった。山上家を襲った最初の悲劇は父の自殺だ。山上は4歳だった。
父の兄である弁護士の伯父は、山上の父についてこう語る。
「弟が死ぬ直前の1、2年はトンネルを掘るためにずっと山の中で生活するハードな日々でした。裏金の飛び交うゼネコン業界は研究者気質のあいつには耐え難かった。過労で鬱とアルコール中毒の混ざった状況でね。なくなる数カ月前、様子を見に行ったら、完全に寝たきりでした」
東大阪のビルの屋上から身を投げたのは1984年12月。伯父は山上の母親とともに警察の事情聴取を受けたが、その際、彼女のお腹が大きくなっていたことをよく覚えている。当時の母親を知る人物が言う。
「彼女は『お腹の子も一緒に一家心中まで考えていた』と話していた。藁にもすがる思いやったんでしょう。そんな彼女に声をかけたのが、統一教会だったんです」
3年間で合計6000万円の献金
年が明け、徹也の妹が生まれた。伯父は1985年4月から、父がいなくなった山上家に対し毎月5万円、生活費を支援したという。だが、山上家の生活は苦しかった。徹也の母は、夫の死の数年後に統一教会への献金を始めていたからだ。
1991年に入会すると多額の献金を始めた。伯父が言う。
「入会とほぼ同時に2000万円、その後すぐに3000万円。さらに3年後くらいに現金で1000万円。合計で6000万円。これらの原資は弟(徹也の父)の保険金、命の代償ですよね」
徹也の母と同じ奈良教会に所属していた60代男性はこう話す。
「当時奈良県には250人ほどの信者がいましたが、彼女の献金額はトップクラスでした。1000万円くらい献金すると女性信者が褒めそやすんです。『あの方は素晴らしい』『あの方は3000万円よ』。それで自分も頑張ろうとなるわけです」
各地域の教会には献金を集める専属の人がいたと男性が続ける。
「『親衛隊』と言って女性が担当していました。献金は表向き強制ではなく本人の意思。でも、どれくらいの資産をもっているかは全部書き出させる。家族は何人、家は持ち家か、銀行預金はいくらか。その上で弱みにつけ込む。彼女の場合、それは長男のAちゃんでした」
妹が生まれてまだ1歳にもならない頃、山上の兄に小児がんが見つかった。開頭手術をした後、抗がん剤治療をした。その副作用で右目を失明する。1986年のことだ。
伯父によれば、建設会社を営む家族の精神的支柱だった実母の死も追い打ちをかけたという。
徹也の母は、先祖の霊を慰めるという「先祖解怨式」にも繰り返し参加。参加料は1回70万円。4回ほど通っていた形跡がある。また、韓国・清平の本部に長男を連れて訪れ、教義や祈祷を受ける40日間修練にも参加した。
呆れた伯父は生活費の打ち切りを通告。生活は一層厳しくなった。
〈 この続き では、山上徹也被告が事件を起こすまでの経緯を伝えています〉
※本記事の全文(約1万8000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(森健、本誌取材班「 安倍元首相暗殺と統一教会 深層レポート 」)。この他にも「文藝春秋PLUS」は旧統一教会問題に関する記事を多数掲載しています。
鈴木エイト「 勝共連合会長が安倍元首相とのビデオ出演交渉の裏話を激白《映像あり》 」
梶栗正義「 統一教会と自民党 すべてを知る男の告白 」
宮崎哲弥×島田裕巳×仲正昌樹×小川寛大「 統一教会と創価学会 」
小川久仁子「 小泉進次郎が握り潰した『山際衆院議員の旧統一教会汚染』告発 」
鈴木エイト「 2021年衆院選、旧統一教会に支援された自民候補者実名リスト 」
(森 健,本誌取材班/文藝春秋 2022年9月号)