「海の京都」は、京都市内の混雑を緩和するため、天橋立などの景勝地や海の幸、伝統文化を持つ京都府北部を新たな観光地として推進するプロジェクトだ。その一角にある伊根町には、ここでしか見られない「伊根の舟屋」を一目見たさに、人口の300倍近い「年間48万人」の観光客が訪れる。しかし近年、あまりにも人が殺到し過ぎて「オーバーツーリズム」の弊害に悩まされているという。
幅4mの狭い路地を行き交うクルマは渋滞を起こし、わざわざ来訪したインバウンド観光客は、迷惑行為を繰り返す。観光産業が莫大な収入を生んでいるにもかかわらず、安らかに暮らせなくなった地元の人々の鬱屈は、どんどん蓄積されるばかりだ。
お隣の観光地「天橋立」と比べても迷惑行為が際立つ、伊根の「オーバーツーリズム」。解決策はあるのか? ……まずは伊根の町を歩いて、現状を確かめてみる。
この町の海沿いは、海から引き揚げた船を格納する「舟屋」と呼ばれる建屋が、海沿いに200軒以上も立ち並ぶ。
1階はいわば「船のガレージ」、2階は網の干し場や漁具置き場として活用され、船の持ち主は道路を挟んで真向かいの家に住む。漁師の生活が垣間見えるような建屋が隙間なく立ち並ぶ「伊根の舟屋」の光景は、いまや日本ならず、海外でも「Ine Fishing Village」として、よく話題にのぼるようになった……。なぜ、ここに200軒以上の舟屋が集中しているのか?
伊根湾は「年間50cmほどしか海面の差が生じない」という舟屋の好適地ではあったものの、極端に平地が少ない。戦前(1931年~1940年)の車道新設の際に、幅4mの道路用地を確保するために、水際を埋め立てたうえで、舟屋がいっせいに移転。その際に、2階建ての舟屋が連なる、規則正しい「船の団地」のような構造が完成したという。
舟屋を所有される方にお話を伺ったところ、「戦前の伊根はブリ漁で稼げていたため、祖父の代ごろまでは“ブリ景気”で異様に羽振りが良かった。当時は多くの漁師が定住を希望していたため、“団地化”しないと、狭い町に200軒以上も舟屋を建てることができなかったのだろう」という。
その後も昭和末期ごろまでは漁師も多く、舟屋のほとんどが活用され、空いた舟屋も丁寧に手入れされていたとのこと。地元の漁師の方は「人の手で大切に管理されてきたからこそ、舟屋は倒壊も廃墟化もせず保たれてきたのではないか」と、漁業に勢いがあった往時を振り返られていた。
そんな「伊根の舟屋」の独特の眺めは、映画『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』、NHK連続テレビ小説「ええにょぼ」のロケ地となったことで、いつしか全国的に知れ渡った。その後、“映える”風景を求めるSNS時代の到来とともに「most beautiful villages in Japan」(日本でもっとも美しい村)として世界中に拡散され、中国・欧米などから観光客が殺到するようになったのだ。
しかし現在では、ツアーパンフレットなどに「Our boathouses are not tourist attractions」(舟屋は観光地ではありません)と明記され、インバウンド観光客に声をかけて、様々な注意を喚起せざるを得ない状態が続いている。
伊根町がいま悩まされているのは「インバウンド観光客のマナー」。狭い路地をふさぐように列をなして歩き、立ち入りできない私有の舟屋や家屋に入り込む人々もいるそうだ(地元の方曰く「500円も払えば有料で入れる舟屋がいっぱいあるのに、わざわざ人の家に入ってくる!」とのこと)。
舟屋や家屋への不法侵入は目撃例が多く、中には「自宅のトイレで用を足そうと扉を開けたら、見知らぬ外国人が用を足していた」という事例も……オーバーツーリズムを越えて、ホラーの世界ではないか。
観光客はガラガラとスーツケースをひき、度を超えた大声で喋る。なかには“映え”を求めて爆竹を鳴らしたり、海に飛び込むような人々までいるという。もちろん近隣には舟屋や家屋が立ち並んでおり、夜明け前に漁に出て帰ってきた人々は、仕事を終えて昼寝中。家の前で繰り広げられる馬鹿騒ぎで安眠を妨害されるとあっては、怒るのも当然だろう。
中には、日本語が理解できないふりをして注意に従わず、所かまわずゴミを捨てるような観光客までいるという。マナーの良い方が圧倒的に多いとはいえ、一部の観光客が地域に迷惑をかけている事実があるからこそ、「舟屋は観光地ではありません」と多言語で明記せざるを得ない事態が続いているのだ。
もうひとつの問題は「道路渋滞」。日本人観光客の多くがクルマで伊根を目指すため、道路幅が4m程度しかない市街地ではクルマ・歩行者・路線バスなどが入り乱れ、すれ違いも困難となる。
さらに、伊根町の中心部に到達できたとしても、駐車場は「七面山駐車場」(57台)「伊根浦公園駐車場」(22台)などしかない。駐車場の入り口でクルマが列を作るだけでなく、住民用の月極駐車場に停めようとする場合もあるという。
筆者が来訪した際も、月極スペースでクルマを停車したドライバーを警備員が見つけ、「そこの○○ナンバー、そこ(月極)は停車できません!」と猛ダッシュで走りながら警告したものの、ドライバーはわざと無視して観光に出かける、といった事態も……マナーが良くない人々が一定数いるのは、インバウンド・日本人を問わず、変わりないようだ。
この渋滞によって、漁師の方々は「町にスーパーが1軒もないのに、隣町への買い出しにも行けない」といい、路線バスの定時運行も難しくなる。
まとめると、静かに暮らしてきた伊根の人々は、観光客の騒音やゴミ捨てなどのマナーに悩まされ、道路渋滞でまともな移動もできない。最低限の生活すら脅かされる事態とあっては、「オーバーツーリズム」の現状に怒りの声が上がるのも、至極当然のことだろう。
伊根町の「オーバーツーリズム」は日常生活にまで支障をきたす。とはいえ、過疎化が進む中で、20代・30代といった若い世代の就労先になっているのも事実だ。にもかかわらず、なぜ「地元の人々」「観光産業」が摩擦を生みかねない状態が続いているのか?
現地を歩いてお話を伺った限り、単純すぎる理由が見えてきた。「いくら観光客で賑わっても、地元にまとまった収入が落ちている感覚がない」という意見が相次いだのだ。なかには「年間50万人近い観光客を自主的にもてなしているのに、子育て・医療などの地域還元が薄すぎる。観光客の迷惑行為を、ひたすら受け入れているだけ」という辛辣な意見も聞かれたほどだ。
ただ伊根町も、観光の税収増を地域に還元できるほど、財政的に潤っている様子がない。「絶景」として認識されている伊根の舟屋を「見て帰る」だけでお金を落とさない観光客も多く、高単価の収入を得るシステムが確立されていないのだ。
そんな伊根町は財政力指数が0.12と極端に低く、年間40億円の予算のうち自主財源は2割程度。直接の観光収入は町税の徴収などに限られ、そこまで財政的に助けられていない。こうなると、駐車場の増設や注意喚起の看板設置、「観光地ではありません」アピールを自前で行うのも一苦労だ。
かといって漁業も衰退の一途を辿っており、「3人に1人が後期高齢者」(高齢化率45.1%)という伊根町は、町として観光産業を拒むことができない。
過疎自治体の観光地は「収入を得られるのは観光関連だけ」「地域住民はオーバーツーリズムの弊害だけ押し付けられる」「でも貴重な収入源なので断れない」といった現象に悩まされがち。さらに伊根の場合は、年間270万人の来客が訪れる一大観光地「天橋立」が隣接しているため、「伊根は観光地ではない」と警告しても理解できない人々が、そのままなだれ込んでしまう……。解決策はないか、他地域の事例も含めて考えてみよう。
小さな町にキャパオーバーの観光客が押し寄せる場合、やはり「観光客の人流コントロール」「相応の収入獲得」「地域への還元」をこまめに実行していくしかない。
伊根町に近いケースとして思い浮かぶのが、「合掌造り」集落で知られる岐阜県白川村だ。人口約1500人のこの村は、人口の130倍にも及ぶ年間200万人以上の観光客が訪れているにもかかわらず、住民の方々は一定の平穏を保っているという。
そのための施策は、まず「駐車場の営業時間」。合掌造り集落と川を挟んだ対岸に駐車場を設置したうえで、開放時間を朝8時~夕方5時までに設定。日帰り観光客は夕方前に帰ってしまうため、住民の方々が寝静まる時間帯には、村民と一部宿泊客しか集落に滞在しない体制を作っている。
2025年には駐車場料金を「大型車:3000円→1万円、普通車:1000円→2000円」に値上げを行い、増収分は誘導員確保や冬場の除雪作業費用に充てる見込みだという。ほか村内でも、事あるごとに見学料や入場料を徴収しており、経済面での「サステナブル」(持続可能)状態を確保。得た利益で村のドローン撮影を行い、200本以上の編集可能な動画を公開することで、わざわざ不法撮影する人々を減少させたという。
また地元住民の約7割が飲食店・土産物屋などの観光事業に従事(兼業含む)しており、筆者が旅行中に話し込んだサイダー売りのおばあちゃん曰く「この商売は、ウチの田んぼ耕すついで。おばあちゃんのお小遣い、か・せ・ぎ♪ フフフフ(微笑)」とのこと。「地元のおばあちゃん・おじいちゃんの店」は至る所にあり、多くの人々が潤う商売になっているからこそ、観光産業は反感を買いにくい。
観光客の増加は白川村の財政にも好影響を与えており、財政力指数も「0.315」と、伊根町よりは健全な状態だ。そのうえで、観光増収は合掌造りの保全=合掌造り家屋の所有者や、住む人々の補助に充てられるため、オーバーツーリズムに関する怨嗟の声は、ほとんどないという。
伊根町の場合、白川村の手法を真似できるのか……伊根の場合は「生活圏と観光地が完全に被る」(どちらも舟屋エリア)ことから、まったく同じ施策をとることはできない。
クルマや来訪者をコントロールするなら、伊根湾めぐり遊覧船乗り場~七面山・大西駐車場あたりを「地元車両・許可車両(バス・デイケア・灯油配送など)以外全面通行止め」にするだけでも、交通量は大幅に減少するだろう。
地元住民以外の進入車両のコントロールは、香川県坂出市・櫃石島でも行われている(瀬戸大橋の出入り口が「島民・許可車両専用」)。観光客が多い伊根の場合は、遊覧船乗り場~「道の駅 舟屋の里伊根」の駐車場でクルマを停め、降りて舟屋エリアに向かう「パークアンドライド」に切り替えれば、一定の渋滞は避けられるはずだ。
また、収入増と人流コントロールを兼ねた施策としては、イタリア・ヴェネツィアの「入島税」(5~10ユーロ)、京都市の「宿泊税」などの事例もある。一定の課金による収入増で「地域経営のサステナブル」を保ちつつ、「課金が高いと思う人は来ないで」という暗黙のメッセージを発信することで一定層の訪問を拒み、人流のコントロールを行う。オーバーツーリズムに悩まされる自治体にとって、こういった施策は今後とも必須となってくるのではないか。
ただ、財政基盤も役場の人的リソースも弱い伊根町の場合は打てる一手が少なく、議員と地域住民のミーティングでも「法改正が必要」「反対意見もある」「予算がない」という消極的な回答が繰り返されている。残念ながら、伊根町単独ではオーバーツーリズム対策への根本的な解決が遂行できなさそうなのが、悩ましいところだ。
もともと静かな漁村であった伊根町では、「地域住民の生活環境を一定レベルでもとに戻す」という選択肢もあり得る。
インバウンドの経済効果を持続可能にするためには、オーバーツーリズム対策を市町村任せにせず、京都府や国交省・観光局が先導して「単価を獲得・観光の人流を大幅コントロール」する具体策に取り組む時が来ていないだろうか。
「単価は取れず、迷惑な人流だけが多い」伊根の現状は、観光地として「サステナブル」とは言い難い。
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(フリーライター 宮武 和多哉)