東北地方を中心に東日本でクマによる被害が深刻化する中、山口県内でも今年度、ツキノワグマの目撃件数が372件と高い水準で推移している。九州に最も近く、出没が少ないとされてきた下関市での目撃情報は21件で、ここ4年間で最多となった。クマが「絶滅」したとされる九州では、関門海峡を挟んで隣接する同市の状況を注視している。
山口、広島、島根の3県にまたがる西中国山地には、ツキノワグマが生息している。山口県自然保護課によると、記録が残る1997年度から2017年度までは、400件前後の年も数回あるものの100件前後の年が多かった。だが、18年度以降は200件を切ることがなくなり、23年度は最多の444件に。24年度はその倍近い799件に急増した。今年度も今月5日時点で372件と高い水準が定着しつつある。
県内では岩国市や周南市の一部など県北東部が、恒常的な分布域とされてきた。だが、近年は中部の山口市や西部の下関市でも複数の目撃情報が寄せられるようになり、生息範囲は広がりつつある。
特に下関市での目撃情報は、市が記録を残している22年度が6件、23年度は8件だったが、県内全域で増えた24年度は18件に。昨年9月には、空き家に入り込んだクマが木の台を両手で払いのけたり、壁をたたき壊したりする様子を市設置のカメラが捉えた。今年度(今月2日まで)はすでに21件と前年度を上回っている。
県内では昨年、周南市の里山で男性がクマに頭を引っかかれて大けがを負う被害も出た。今年はまだ人身被害はないが、山口市と周南市で7~8月、車とクマの衝突事故が起き、人が住む地域への出没が懸念されている。
山口市吉敷地域では、10月の1か月間で5件のクマの目撃情報が寄せられたが、うち1件は同市立良城(りょうじょう)小(760人)の近くで目撃されており、一時期、教員が見守る一斉登下校と、県警山口署員によるパトロールが実施される事態となった。
本州最西端の山口県でも西側の地域で目撃が増えていることもあり、狭いところでわずか約650メートルの関門海峡で隔てられた九州の玄関口・北九州市でも下関市での出没情報に注意を払っている。
北九州市は全国的にクマ被害が報じられた23年12月から、市内での出没に対する市民の不安を解消するため、市のウェブサイトに被害を防ぐ自衛策を掲載した。今年は東日本の深刻な被害を受け、「北九州にクマはいるのか」という問い合わせも寄せられているという。
下関市などで目撃例が増えていることについて、クマの生態に詳しい東京農工大の小池伸介教授(生態学)は「昔は山奥にしかいなかったが、全国でクマの分布域は広がっている。山口県でも人が住むすぐ隣にクマがいるという状況になっている」と指摘する。
クマが九州に渡る可能性については、「泳ぐ能力はあり、東北で沿岸の島に数百メートル泳いで渡った記録もある」とした上で、「渡った先の北九州市沿岸部には森がない。なかなか定着できないのでは」と推測する。
北九州市鳥獣被害対策課も、クマが海を渡るには下関市街地を通る必要があるほか、関門海峡は流れが速く、船の往来が多いことから泳いで九州に渡ってくる可能性は極めて低いとみている。(松田史也、星原優璃、梅野健吾)
九州で確認、1957年が最後
九州で最後にツキノワグマが確認されたのは1957年。87年には大分県の山中で捕獲されたが、DNA鑑定の結果、本州から連れて来られたか、その子孫と判明した。環境省は生息した確実な記録は57年が最後とし、「すでに絶滅の目安となる50年以上経過している」として2012年に「絶滅」の判断を下した。
九州でのクマ絶滅について、クマの生態に詳しい森林総合研究所東北支所の大西尚樹・動物生態遺伝チーム長は「1800年代にはすでに九州にほとんどいなかった」と指摘する。
背景には江戸時代に燃料とされたまきを大量に取るために、人々が木を伐採したことがあるといい、「その頃にははげ山が多くなっていた」と説明。九州では植林の際、クマが餌とするドングリなどが実る広葉樹から針葉樹の人工林への置き換えが進んだため、生息しにくくなったという。