今年4月に開幕し、2500万人超が来場した大阪・関西万博が10月、幕を閉じた。「いのち」をテーマにさまざまな最新技術が披露された184日間。158カ国・地域が一堂に会し、多様性の意義を問いかけた祭典は、未来に何を残したのか。万博マスコット「ミャクミャク」と並んで愛された「こみゃく」の生みの親の引地耕太さんと、会場運営プロデューサーの石川勝さんに聞いた。(共同通信=広根結樹)
大阪・関西万博の会場で、「こみゃく」モニュメントと記念撮影する子どもら=5月、大阪市此花区
▽「SNS万博」雰囲気一変―クリエーターの引地耕太さん 大阪・関西万博は開幕前後で雰囲気が一変して驚いた。キャラクターの2次創作をはじめ、来場者が交流サイト(SNS)で発信し広報の役割を担う「SNS万博」となったのが一因だと思う。 国が一方的に発信するのではなく、主催者と来場者らの双方向性が生まれて新たな物語が生まれた。足りない余白をみんなで補う思想や構造がレガシー(遺産)として社会に広がってほしい。 2021年東京五輪・パラリンピックに携わった際、公式エンブレムや国立競技場の設計が白紙撤回される混乱があり、クリエーターの仕事は信頼を失った気がして打ちのめされた。国の事業に対するマイナスイメージが、僕を含め業界全体に広がっていた。 万博では会場全体に統一感を持たせるデザインの制作を担当した。五輪の過ちを繰り返さないために「開かれた万博にしよう」と決めた。パビリオンの建設遅れや会場整備費の増加で万博への批判が増え、SNSでの発信をやめようかと迷ったが「分断をつなげる開かれたデザイン」を守るために継続した。 デザインの改変は本来タブーだが、縛りをあえて緩くした結果、2次創作が広がり、目玉のある丸いキャラクター「こみゃく」が生まれた。正式名称は「ID」という無機質なものだが、みんなが命を吹き込み、繁殖させてくれて今の形になった。SNS万博を象徴する出来事だった。「こみゃくを愛してくれてありがとう」と思っている。 「未来社会の実験場」の万博は、トップダウンによる「公式」なもののほかに、SNSなどで広がった「非公式」を許容したことで一貫性と多様性の共存が生まれた。合理性を追求するだけでなく、多様性や創造性、人間のぬくもりが失われない未来であってほしい。 × × ひきち・こうた 1982年鹿児島市生まれ。クリエーティブディレクター。
取材に応じる大阪・関西万博の石川勝会場運営プロデューサー
▽「リアル」な場で感動共有―会場運営プロデューサーの石川勝さん 170年以上続く万博の歴史の中で、大阪・関西万博がどんな役割を果たせたかが大事だ。新型コロナウイルス禍以降「リアル」な場所に大勢が集まり感動を共有する機会は減ったが、その素晴らしさや楽しさを思い出させてくれた。さらに、主催者のみでなく、オールジャパンで取り組めた点が大きな成果だ。 開催決定後の2020年から会場運営プロデューサーを務めた。事前予約制やキャッシュレス決済のほか、パビリオン出展者以外の企業・団体の参加を促す「未来社会ショーケース事業」や、平和や健康といった地球的課題の解決策を話し合う「テーマウィーク」を推進した。 「並ばない万博」と実際の運営の乖離に批判があったが、パビリオンの予約枠数をどう設定するかは出展者の自主性に委ねた。期間中の来場者数の平準化に注力するため、会場への入場は、ゲートでさばける1時間当たりの人数を設定した。その結果、2005年愛知万博では多い日と少ない日の来場者数の差が6倍だったが、今回は3倍程度に抑えられた。 電子入場券を採用したことで、紙チケットの輸送が不要になった。保管コストが削減でき、多様な券種設定が可能になったことは功績だろう。 未来社会ショーケース事業では、パビリオン出展企業以外も技術を披露し、来場者も未来を体験できた。万博での実証が前例となり、将来的な実用化へのハードルが下がる効果も生まれた。 テーマウィークも大きな成果だ。現代の万博は技術を披露し、体験してもらうだけが目的ではない。世界中の人が集まる半年間で「デザインしようとする未来社会はどういうものなのか」を話し合うことに意味がある。記録映像を残しているので閉幕後も見てほしい。すごく価値のある事業になったと思う。 × × いしかわ・まさる 1963年札幌市生まれ。愛知万博でチーフプロデューサー補佐を務め、IC入場券導入を推進。