3月16日、沖縄県名護市辺野古の沖合でボートが転覆した事故。
当時、船には修学旅行中で訪れていた同志社国際高校の生徒18人を含む21人が乗船。全員が海に投げ出され、女子生徒(17)と「不屈」の船長・金井創さん(71)の2人が死亡したほか、14人が骨折などのけがをしました。
事故当時、現場では一体何が起きていたのでしょうか。最新情報をもとに神戸大学大学院・若林伸和教授が解説します。
◎若林伸和:神戸大学大学院・教授 海難事故の調査や原因究明を行う 神戸海難防止研究会委員 自身も一級小型船舶操縦士として船上で学生を指導
高校側が会見 辺野古見学は『平和学習』の一環として実施
事故から一夜明けた17日、会見を行った同志社国際高校。
学校によると、修学旅行は3月14日から3泊4日の日程でした。同校では創立時から沖縄への修学旅行を平和学習の一環として実施。2015年頃から、辺野古を陸から見学していましたが、2023年からはボート乗船を開始していたといいます。
16日の活動は、生徒が7つのコースから選ぶ形でした。事故に遭った生徒らは「午前中に辺野古を海側から船で見学→午後は美ら海水族館」という予定のコースだったということです。
「抗議活動への参加ではない」と強調 24日に保護者説明会を実施へ
転覆した船が一部で「辺野古移設工事の抗議船」と報じられている点について、学校側は「抗議活動に生徒たちを参加させてはいないし、立ち合わせてもいない。あくまで平和学習の一環としての研修だった」と強調しました。
また、事故が発生した船に引率教員がいなかった点については、見学コースに参加した生徒37人を先発組/後発組の2グループに分けて乗船させていて、教員は「後発組」の生徒19人とともに港に残っていたと説明しています。
学校側は24日に全校生徒の保護者を対象にした説明会を開くほか、3月中にも学校法人内に第三者委員会を設置し、経緯を検証する方針です。
「風は強くないが…」 専門家が指摘する「うねり」の影響
事故は、辺野古の漁港を出発し、長島の間を通って大浦湾をUターンして戻る途中で発生。2隻のうち「不屈」が最初に転覆し、その後「平和丸」も転覆したということです。
当時、現場の海域では約4mの風が吹いていて、波浪注意報も発表されていました。海上保安本部は事故原因について調査中としていますが、転覆した場所がリーフ(サンゴ礁)に近く、波が大きくなりやすい状況にあり、船が大きな波にあおられて転覆したとみて調べています。
若林教授は、当時の風速は「強くない」としつつ、1.5~2mという波浪予測があったことから、「風による波ではなく、遠く(の海域)から来る『うねり』が複雑に入り込んでいたのではないか」と分析します。
サンゴ礁付近の複雑な地形も関係?「急に波が高くなることも」
また、現場の海底形状について、「リーフ(サンゴ礁)がある海域はおそらく水深が2mもない。(水深が)深いところから浅いところへ行くと水が盛り上がり、急に波が高くなることがある」と若林教授は分析します。
地元の人によれば、今の時期は天候が急変しやすい一方で、海面が穏やかに見えて熟練の漁師ですら判断が難しいこともあるとのこと。転覆した船の船長経験者も、「このあたりは流れが変わりやすく、毎回緊張して通る難しい場所だ」などと証言しています。
「横波に弱い」小型船舶特有の“安定性の低さ”
若林教授が強調するのが、小型船舶が持つ構造上の弱点、特に「横波」への脆弱性です。
「船はある程度の速力を持って走っていれば安定しますが、真横から波を受けると、航行中でも非常に危険です。もし停止している場合は、船体の安定性は著しく低下し、転覆の危険性がかなり高まります」(若林教授)
さらに、今回の船の形状についても懸念を示します。小型船は「舷(げん:船の側面)」が低く設計されているため、横から波を受けると、少し傾いただけで水をすくってしまい、転覆しやすいということです。
救命胴衣を着用していたのに…なぜ悲劇を防げなかった?
事故当時、生徒は全員救命胴衣を着用していましたが、死者が出る事態となりました。若林教授はその理由として、
▼「救命胴衣のすっぽ抜け」
▼「頭部を強く打って気を失った」
といった可能性を指摘。さらに、「ひっくり返った船の下に入り込んでしまうと、小さな船なので呼吸に必要な空気が十分になかった可能性がある」ともいいます。
学校行事における安全の担保が改めて問われる中、詳細な原因究明が待たれます。
(2026年3月17日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より)