閣僚初の公式謝罪に「IQ」発言も 石原家と水俣病、浅からぬ縁

石原宏高環境相は5月1日、公式確認から70年となる水俣病の犠牲者慰霊式に出席する。30日から熊本県水俣市に入り、2日間にわたって患者や関係団体などと懇談を重ねる。水俣はかつて父の慎太郎氏(故人)が旧環境庁長官時代に、また兄の伸晃氏も環境相として訪れた、石原家にとって因縁浅からぬ地でもある。
「十字架にかかるつもりで」
「行政が積極的に動かず、100人で済む患者が1000人も出てしまった。国を代表して、皆さんに迷惑をかけたことをおわびします」。1977年4月、慎太郎氏は患者たちの前で頭を下げた。水俣病問題で閣僚が公式に国の責任を認め、謝罪したのは初めてのことだった。
当時、患者の認定申請が急増し、熊本県側の認定業務が停滞していた。長官の水俣視察には、その打開策を探る目的があった。「行政が十字架にかかるつもりで解決に当たる」。患者団体側の求めで会場の一段高いステージからおり、床に移した椅子に座り直した慎太郎氏は、悲壮感すら漂う強い意気込みを口にした。
一方で、視察後の記者会見では、胎児性患者たちから手渡された抗議文について「今あった患者さんたちはIQ(知能指数)が低いわけですね」と差別発言。当事者のみならず広く怒りと反発を招いた。
この約3カ月後、認定業務の促進を迫られていた環境庁は、水俣病の新たな認定基準を示した。いわゆる「52年判断条件」だ。感覚障害と運動失調など複数症状の組み合わせを原則として求める厳しい内容で、多くの未認定患者と多くの訴訟を生むことになった。
「水俣条約」採択の木づち
それから36年後、2013年5月の水俣病犠牲者慰霊式に環境相として出席したのは慎太郎氏の長男、伸晃氏だ。同4月、最高裁は「症状の組み合わせがなくても個別判断で認定できる余地がある」との判断を示していた。式典後の患者団体との懇談会で、厳しすぎる認定基準の見直しを求める声が相次いだのは当然だった。だが、伸晃氏が首を縦に振ることはなかった。
伸晃氏は同10月、熊本市で開かれた水銀の輸出入などを規制する「水俣条約」の外交会議で議長を務めた。約140カ国から集まった約1000人の閣僚や外交官らを前に、木づちを打って採択を宣言する大役を果たした。
一方で、外交会議の一環として前日に水俣市で予定されていた水俣病の犠牲者追悼式への欠席を検討していたことが発覚し、批判を浴びる騒動もあった。
同じ日に予定が重なった長崎県五島市での洋上風力発電実証機の完成式への出席を優先したためだったが、環境省内からも疑問の声が。結局、台風の接近で完成式が延期され、犠牲者追悼式には参加したが、あいさつの中で被害者救済に触れることはなかった。
「歴史と教訓次世代に」
慎太郎氏の三男、宏高氏は被害者たちとどう向き合うのか。30日午後に水俣市内の複数の関係施設を訪問後、6団体と懇談する。5月1日は午前に2団体と懇談し、午後に慰霊式へ出席する。
宏高氏は28日の閣議後会見で「水俣病公式確認から70年の節目の年。水俣病問題の最終解決に向けて全力で努力するとともに、このような悲惨な公害を二度と繰り返さないために水俣病の歴史と教訓をしっかりと次の世代に引き継いでいく必要がある」と語った。【阿部周一】