自衛隊への「信頼」は高いが、自衛官の殉職には「無関心」【梶原麻衣子 右の耳から左の耳】

【右の耳から左の耳】#3
陸上自衛隊の演習中に痛ましい事故が起きた。大分県の日出生台演習場で、10式戦車の訓練中に砲弾が破裂し、隊員3人が死亡、1人が重傷という被害に見舞われたのだ。3人の自衛官のご冥福をお祈りし、ご家族へのお悔やみを申し上げるとともに、負傷された自衛官の一日も早い回復を祈りたい。
戦後、「一人も殺さず、一人も殺されていない」自衛隊だが、訓練中の事故等で殉職した自衛官は警察予備隊時代から2025年11月末までに2142人を数える。戦争や戦闘が起きていなくとも、自衛隊の任務や訓練は危険と隣り合わせだ。毎年10月には防衛省内にあるメモリアルゾーンで自衛隊殉職隊員追悼式が執り行われ、殉職した自衛官の名前を刻んだ銘板が慰霊碑に納められる。
慰霊碑のあるメモリアルゾーンに立ち入るのは困難だ。筆者が初めて訪れたのは、陸幕広報室に取材関連の用事があった時だった。面会相手に事前にお願いをして許可を得ていたので慰霊碑に手を合わせ献花することができたが、通常はなかなかかなわないのである。
2度目の参拝となったのは、昨年末、帝京大学の井上義和教授が企画した「魂の三社参り」ツアーに参加した際のこと。メディア関係者や学生らを募り、防衛省のメモリアルゾーン、千鳥ケ淵、靖国神社の3カ所を回るもので、「慰霊」というテーマで関連するこの一帯にスポットを当てるとともに、慰霊碑への参拝を一般に開放する機会を増やしてもらいたいという要望を防衛省に伝える意図もあった。
十数年ぶりに訪れたメモリアルゾーンには、殉職した自衛官の名前や写真、殉職時の状況をデータとして検索できる機械も設置されていた。この検索機では毎年の慰霊祭で遺族が読み上げてきたあいさつ文も読むことができる。父が自衛官だった筆者としては他人事とは思えず、泣けてしまって最後まで読むことができなかった。こうした情報は、本来はもっと広く国民に知られるべきだろう。
戦後、自衛隊を巡る世論は揺れ動いてきた。ゆえに慰霊碑も簡単には立ち入れない場所に設置されたのだろう。時代は変わり、自衛隊は世論調査でも「信頼できる」との回答が90%以上に達する組織となったが、自衛官の殉職に対する世間の関心はさほど高くはない。「戦死」となればなおさら考えたくないものとして扱われている。
また、自衛隊を「軍隊ではない」として憲法9条を掲げながら、政府を攻撃する時にだけ「自衛官の身にもなれ」「自衛官の家族がかわいそうだ」と引き合いに出す人もいる。そういう人にも一度でいい、慰霊碑に手を合わせてもらいたいと願わずにいられない。
▽梶原麻衣子(かじわら・まいこ) 1980年、埼玉県生まれ。中大文学部史学科卒。IT企業勤務後、2005年から花田紀凱編集長の「月刊WiLL」「月刊Hanada」編集部に所属。19年に退職し、現在はフリーの編集者・ライターとして活動。著書に「『“右翼”雑誌』の舞台裏」「安倍晋三 ドナルド・トランプ交友録」。