「戦争反対」「(憲法)9条を守れ」「これはやじじゃない。うちなーんちゅの怒りの声だ」。慰霊の日の6月23日に糸満市摩文仁で開かれた沖縄全戦没者追悼式。あいさつに立った高市早苗首相に対し、参列者から抗議の叫び声が飛んだ。会場では賛同する拍手が起こった一方、眉をひそめて耳をふさぐ人も見られた。厳粛な式典で声を上げる行為は、憲法が保障する「表現の自由」としてどこまで許容されるのか-。声を上げた本人や戦争体験者、憲法学者の見解から考えた。(社会部・小島弘之)
県が「声出し禁止」の警告文 声を発した数人が場外へ
当日、式典会場はテントで覆われ、外部とは明確に区切られていた。入り口で参列者には金属探知や手荷物の検査が実施された。
式は正午前にスタート。献花や黙とう、中学生による詩の朗読が続く中、県職員が「禁止! 式典中の声出し」「警告に従わなければ、退場していただきます」と書いた警告文を掲げていた。
高市首相が登壇したのは午後0時45分ごろ。会場内外から男女10人超の叫び声が上がり、場内で声を発した数人が県警職員らに両腕を抱えられる形で場外へ連れ出された。式を主催した県によると、進行に支障が生じると判断した場合は、県警と連携して退場させると決めていたという。
抗議の声 なぜ上げたのか
大宜味村の奥間政則さん(60)は場内で声を上げた一人。何かの団体の一員としてではなく、個人で参列したという。取材に「人を殺す武器を輸出するような国の首相が、平和の地でのうのうと平和を唱えることを許してはならない。黙っていると、どんどん軍事化が進む」と答えた。
鹿児島県奄美大島で生まれ、幼い頃に沖縄出身の両親と沖縄へ移った。2015年以降、米軍の新基地建設が進む名護市辺野古などでの抗議行動に参加してきた。
戦没者の名前を刻む「平和の礎」には、祖父母ら親族5人の名がある。昔から家族と式典に足を運んできたが、近年は基地建設を強行し、南西諸島に自衛隊配備を強化する国への怒りが抑えきれない。23、24年の式では岸田文雄首相に、25年は石破茂首相に声を上げた。「沖縄を観光地としか見ない本土の人にも向けている」とも話す。
戦争体験者はどう受け止めたか
式での抗議を巡っては戦争体験者の間でも意見が割れる。サイパンの戦争で両親ときょうだい4人を亡くした県内の女性(87)は賛同する。「本土の方は沖縄人の心の痛さを理解していないんです。声を上げるのもしょうがない」
一方で沖縄戦で兄を亡くした那覇市の女性(88)は「平和の礎に名前が刻まれている兄に、心の中で静かに話しかける日。そんな時にどうしてああいうこと(抗議)をするのか。泣きたくなりました」と苦言を呈した。SNS上でも「追悼の場で叫ぶのは、亡くなられた方々への敬意を欠く行為だ」といった批判的な投稿が相次いだ。
法的判断は声を発した場で差 会場の「外」か「中」か
■志田陽子教授(武蔵野美術大学)
表現の自由に詳しい武蔵野美術大学の志田陽子教授(憲法学)は、声を発した場所が「会場の外か、中か」によって法的な判断が分かれると指摘する。
2019年、安倍晋三首相(当時)の街頭演説中にやじを飛ばした市民を警察が排除し、後に裁判所が「表現の自由の侵害」と認めた事案がある。このときの街頭や今回の式典会場の外は、いずれも同じ「パブリックスペース(公共空間)」に当たるという。
志田教授はこうした公共空間における抗議は「表現の自由」の範囲内として認められると説明する。ただし、物理的な有形力を行使したり、街宣車で大音量を流したりして、式典の進行を妨害するような行為は、威力業務妨害罪などに問われる可能性があるという。
一方で、今回は会場の中からも声が上がった。会場は外部と区切られており、主催者(県)は声出しの禁止を求めていた。志田教授は「警察官らが発言者の身柄を拘束して排除するのは最終手段であり、抑制的であるべきだ。しかし今回の場合は、静謐(せいひつ)な環境で式典を進めたいという主催者の『管理権』がその空間内では優先され、平穏な手段での排除であればやむを得ないと考えられる」と話した。
法的な是非よりモラルの問題 場に応じた配慮が必要
■毛利透教授(京都大学)
「表現の自由」に詳しい京都大学の毛利透教授(憲法学)は、街頭や公園といった「公共空間」においては、基本的に政治家らに対する抗議が「表現の自由の保障範囲内」として認められると指摘する。今回の追悼式では、会場の「外」が公共空間に当たり、明らかな脅迫文言や物理的な有形力による妨害行為でなければ、法的に許容されるとの見方を示す。
一方で、会場の「中」での抗議活動は、区別して考える必要があるという。今回の会場での抗議は、直ちに刑法に抵触するような脅迫めいた文言は確認されていない。これらを踏まえ、毛利教授は「法的な是非というよりも、モラルや倫理の問題だ」と位置付ける。
その上で「抗議自体は表現の自由として保障されるとしても、厳粛さが強く求められる追悼の場で抗議することを正当化するのは、一般的な社会通念からすれば難しいだろう」と述べ、表現活動には場に応じた配慮が必要だとの認識を示した。