※本稿は、橘玲・石戸諭・鈴木エイト・黒猫ドラネコ・篠原常一郎・山崎リュウキチ『陰謀論バカ 排外主義者に洗脳される一億総「情弱」時代』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。
「神谷は僕に、『発信力のある人を集めて政治をやりたい』と言いました。当時、僕のユーチューブチャンネルの登録者は10万人ほどいた。僕を仲間に入れたのも、政治経験だけでなく、その数字を見たんでしょう」
政治思想や専門性よりも、ファンや支持者を集める力を重視する。ネット発の政党としては合理的な考えだろう。だが、莫大な数の発信者が存在するネット上で、見る者の目に留まるのは至難の業だ。多くのユーチューバーが過激な言動に走るなか、参政党が陰謀論を選んだとしても何ら不思議はない。政治的な能力をひとまず脇に置き、「バズる」人材を党に引き込んだことで、当初から陰謀論をばら撒く危うさもはらんでいたのだ。
一方、篠原が描いた参政党の青写真は、既成政党をモデルにしたものだった。
「共産党や公明党をモデルにしました。でも、上から言われたことに下が従う党にはしない。地方に党員がいる強さは取り入れ、悪いところは排した近代的な政党にしたかったんです。
党首や幹部の鶴の一声ではなく、党員が候補者を選ぶ。参政党という名前にも、投票するだけでなく、自ら政治に参加するステージをつくるという意味があった。
でも、今では地方組織が落とした候補者に、神谷が無理やり公認を出して選挙に出したりしている。このやり方に困惑している地方組織から、僕のところにも苦情や相談がいくつも届いています」
自らが身を置いた共産党からは組織運営を、公明党からは地域に根を張る強固な地盤づくりを採り入れる目論見だった。
「選挙で落選しても地域には支部と党員が残り、落選した翌日から次の選挙へ向けて動き出せる態勢だけを取り入れようとしました。
ただ、ネット発の政党だけに、オンラインで入党する党員も少なくなかったんです。そこで各地でボードメンバーを囲む食事会を開いた。党幹部と初めて顔を合わせる党員も珍しくなかったですが、それによって党の一員としての当事者意識を強く抱いたことは間違いない。実際、この会食をきっかけに多くの地方支部が誕生しました」
篠原は、党員が候補者を選ぶ理念を実現するため、一般党員より多く党費を納める「運営党員」による候補者審査の制度を提案した(一般党員の月額1000円に対して、運営党員は2500円)。国政選挙や地方選挙の党公認候補を決める際は、候補者の経歴や3分ほどのスピーチ動画などを見て、運営党員の投票によって公認候補を決める「党内予備選挙」を実施する。運営党員の3分の2以上が賛成しなければ公認しない非常に民主的なルールだ。
「当時の運営党員は400人ほどだったと記憶しています。運営党員は公認候補の決定だけじゃなくて、党の政策会議で決定した政策案についても、最終的に承認するかどうかの意思決定に参加する投票権を持ちます。自分が党を動かしているという実感を与える仕組みでした」
だが、当初から国政選挙の公認候補を決める予備選は行われず、現在では候補者は公募され、党本部の審査によって公認が決まるプロセスが完全に定着している。篠原がつくったルールは最初から形骸化していたのだ。
「神谷も最初は、議員が主役の古い政党ではなく、党員が候補者を選んで、議員はその活動を支える党を構想していたんです。だけど、神谷自身が自分の構想から逸脱していった」
候補者審査の制度は形骸化したが、篠原は、政党運営に必要な「継続して入ってくる資金の確保」を成し遂げる、卓越したシステムをつくった。
「人間は、お金を払ったものを支持するんですよ。政治に払う金は、その人の支持の気持ちです。だから、お気に入りのサブスクやゲームに月1000円を課金しても気にしないでしょ。毎月お金を払うと帰属意識がつくんです。実際、それで党の資金面はうまくいきました。
僕が共産党で知ったのは、名簿上の党員数と実際に党費を払う党員数の隔たりです。共産党は支部で現金を集めるやり方で、滞納や年末のまとめ払いが頻発していた。そこで参政党では、月額1000円の党費(一般党員)をオンラインで自動的に納付する仕組みをつくったんです。これで滞納も取りっぱぐれもない。サブスクにして大成功でした。
党費は既成政党より高く設定しました。自民党の一般党員が年4000円程度なのに対して、参政党は年1万2000円と3倍です。それでも月1000円なら『ソシャゲに課金するのと同じ感覚で払える』と踏んだんです。要するに党費の自動決済と党員資格を紐づけた。動画を見たその場で参政党のサブスクに入れば視聴者が党員になれます。退会手続きをしないかぎり党費は入り続け、党員は『自分が支えている党』というアイデンティティを毎月強くしていくんです」
参政党の組織運営やシステムづくりを主導した篠原だったが、積極的に地方に出向き、党員との食事会を重ね、新潟、長野、福岡、神奈川などに顔の見える支部をつくった。
「党員は予想を超える速さで増えた。よく神谷と『1000人に届くのはいつかな』と話していたんだけど、わずか数カ月で到達した。1000人から1万人になるまでは、さらに速かったですよ。1万人を超えたら倍々ゲーム。共産党では党勢拡大に苦労したのに、オンラインのサブスクだと、こんなに早く広がるのかと驚きました」
その後、2022年の参院選の比例区で約176万票を得て神谷が初当選し、2023年の統一地方選では100議席を獲得。地方議員は124人に増えた。続く2024年の衆院選では比例3議席、2025年の参院選では比例票を約742万票まで伸ばした。ネット発の小政党は、わずか3年で、国政で存在感を示す勢力となった。
「ポスターを貼り、街頭に立ち、候補者を当選させる。党員は選挙を楽しんでいるんですよ。ただ、仲間外れになるのを恐れて、異論を言えずに飲み込む空気もあったのは確かです」
会社や家庭で政治を語る場所がない人にとって、参政党は自分の不安や意見に耳を傾けてくれる共同体だった。党員の属性は多種多様だ。演説会場には、中小企業経営者や自営業者、介護職など、様々な職業の人がいた。必ずしも貧困層ではない。多額の税金や社会保険料は取られるのに、政治から尊重されていないと感じる中間層だ。
参政党のイメージカラーのオレンジ色の服を着て、オレンジ色の旗を振り、出自も職業も異なる見知らぬ党員たちと声を合わせた。
2022年の参院選最終日、東京・芝公園で行われた参政党のマイク納めは異様な熱気に包まれていた。壇上でマイクを握るのは、比例候補の赤尾由美だった。
「このコロナ禍はプラン(計画)されていた、プランデミック(計画された世界的流行)だったといわれているんです!」
「国民を恐怖でコントロールする。経済を崩壊させる」
当時、参政党代表で元衆院議員の松田学の主張は、さらに過激だった。
「コロナワクチンは殺人兵器!」
「正確な医学的・科学的知識に基づいた情報を発信すると言論弾圧の対象になる。知られてはまずい事実がある」
参政党の陰謀論に呼応したのは、一部の特殊な人たちだけとは言い切れない。そこには、子供の健康への懸念やコロナ禍で仕事を失ったことへの怒り、さらにワクチン接種を当然とする社会の空気への反発を抱える人々が少なからず存在した。
九州地方で小学生の子を持つ40代の女性党員は、当時をこう振り返る。
「地方は閉鎖的で、『○○ちゃんも打っているのに、どうしてあなたの家だけ打たないの?』とよく言われました。でも、子供への接種が不安な母親は私だけじゃなかった。そんな人たちがこぞって参政党へ入ったんです」
当時、都市部では「ワクチン懐疑派」と呼ばれる人たちが一定数存在し、SNSや集会などを通じて同じ考えの人とつながり、自分の意見も比較的口にしやすかった。一方で、この女性党員のように地方では周囲との人間関係を気にして、ワクチンへの疑念を表立って口にできない人も少なくなかった。そうした孤立感や息苦しさは、「政府や専門家は真実を隠している」「自分たちだけが真実に気づいている」という陰謀論と結びつきやすい。
もちろん、接種会場に侵入してワクチン接種を実力で阻止しようとし、逮捕者まで出したカルト団体「神真都Q」のような過激な組織についていける人は多くない。だが一方で、政府のワクチン政策には疑問を抱いている。そうした層の受け皿となったのが参政党だった。
参政党は、「ワクチンを打つとマイクロチップが埋め込まれる」といった荒唐無稽な陰謀論を前面に掲げるのではなく、「子供の健康を守る」「接種するかどうかは自己決定権の問題だ」と訴えた。そのため、極端な陰謀論には距離を置きながらも、ワクチン政策には疑問を抱く人たちでも支持しやすかった。
こうした人たちから見れば、参政党は陰謀論政党ではなく、「自分たちの不安や疑問を代弁してくれる政党」と映ったのである。その結果、参政党への入党は、本人たちにとってはごく自然な政治参加だった。
反ワクチン路線は、周到に用意された戦略だったのか。篠原は神谷という人物の本質をこう喝破する。
「神谷には信念がないんだよね。その時々で、いけそうなものに手をつける。発信力のある人や、ネットでバズっている問題を取り込む。うまくいくこともあるけれど、悪い方に出ることも少なくなかった」
実際、2021年には創設メンバーのKAZUYAと渡瀬裕哉が離党した。KAZUYAは離党理由として、「党内に広がった陰謀論的な言説」や「反ワクチン路線への違和感」を挙げている。一方、渡瀬の神谷に対する評価も興味深い。「神谷が狙ったのは既成政党が取りこぼしたマーケティング対象の層だった」と明かし、神谷を「組織拡大こそ理念の人」と評した。
つまり神谷は、まず党勢拡大を優先し、そのために支持を集められるテーマを次々と取り込んでいった。その有力な手段の一つが、過激すぎない「マイルドな陰謀論」だったのである。
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(ジャーナリスト、軍事・政治評論家 篠原 常一郎)