小泉純一郎政権の発足から25年。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」の言葉通り、郵政選挙で自民党の反対派議員たちに刺客候補を立てて追放し、道路公団民営化、年金改革、労働者派遣業の大幅規制緩和など行財政改革を推進するなど日本の政治のあり方や社会を大きく変えた。小泉政治が日本にどんな変化をもたらし、今の高市政治にどう受け継がれているか、小泉内閣で皇室典範見直しに取り組んだ杉浦正健・元法務大臣が振り返る。
私の印象としては「どっちでもいいじゃないか」という態度
小泉内閣で皇室典範見直しに取り組んだ時、私は官房副長官として有識者会議(皇室典範に関する有識者会議)に出席し、議論を見守ってきました。
当時は秋篠宮家の長男・悠仁さまが生まれる前で、今上陛下や秋篠宮さまの次の世代は皇位継承者がいなくなる状況への問題意識があった。
あの時、小泉総理はご自分の考えをはっきり口に出したわけではありませんが、私の印象としては、「どっちでもいいじゃないか」という態度でした。「男女どちらでも天皇になれる形でいいんじゃないか」という意味です。そして、「会議を開いて、広く議論してくれ」と指示を出した。
小泉総理がはっきり「女性天皇でもいい」と言ったわけではないが、イギリスなど欧州の王国では女性が国王になれる。有識者会議を開いて議論すれば、当然、女性天皇を認めるかどうかが問われる。それをわかったうえでの指示でした。
当時の自民党内も反対の空気は強くなかった。幹事長代理だった安倍晋三さんも拒否感はなかったように見えました。
私は有識者会議では座っているだけで意見を言ったことはありませんが、有識者会議の座長(吉川弘之・元東大学長)も女性でもいいという意見を持っていたという印象があります。会議は基本的に女性天皇容認の方向で議論が進められました。
小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」は2005年11月、女性天皇、女系天皇を容認し、皇位継承は男子でも女子でも「長子」を優先する最終報告をまとめ、小泉総理に提出した。ところが、翌2006年に紀子さまの懐妊が報じられ、小泉総理は皇室典範改正案の国会提出の先送りを発表した。そして同年9月、悠仁さまが誕生したのです。
皇室典範を改正して女性の皇位継承を認めねばという議論をしていたところに、悠仁さまが生まれて、正直、私は「これで議論は終わった」とほっとした。小泉総理も同じではないかと思います。
高市総理は皇室典範を改正し、皇室制度の大改正を行なった。小泉総理は物事を深く考えて皇室典範改正をやろうとした。でも、高市総理は小泉総理よりも考え方が古い。今、あえて皇室典範をあんなふうに改正しなくてもよかったのではないか。秋篠宮さまも悠仁さまも控えているのだから。
【プロフィール】 杉浦正健(すぎうら・せいけん)/小泉政権下では内閣官房副長官、法務大臣等を務め、皇室典範に関する有識者会議にも出席した。2009年に政界引退。
※週刊ポスト2026年10月9日号