Contents1 収束しないハンガーストライキ2 入管内の「ルール」は、とても一方的3 「殺さない、殺さない」とせせら笑った職員4 挑発してわざと怒らせ、懲罰房に5 再収容され、再びハンストに戻る6 「残るも地獄、帰るも地獄。もうどうしたらいいのかわからない」7 妻の手術が関係したのか、延長手続きができたものの2週間のみ
◆収束しないハンガーストライキ
入管による、終わりのない無期限収容により東日本入国管理センター(牛久入管)では、被収容者による抗議のハンガーストライキが行われた。最大時には、その人数は100名にものぼった。数は少しずつ減ってきているが、未だに収束の様子は見られない。
ハンストで体を壊し、やっと解放される人も出てきたが、わずか2週間の延長しかもらえず、東京入管の出頭日に再収容され、その日のうちに牛久入管に戻されることが相次いだ。
3年以上収容されていたイラン人のサファリさん(50歳)とトルコ国籍クルド人のデニズ(40歳)さんもハンストで体を壊し解放はされたものの、わずか2週間の延長しかもらえず「8月13日、担当弁護士とともに緊急記者会見を開いた。
サファリさんは次の日14日に仮放免の延長手続き、デニズさんは16日に延長手続きとして入管に呼ばれている。捕まるかもしれない、しかし逃げることも許されない。2人は潔く出頭の覚悟を決めてはいるが「怖い、夜も眠れない」と言って、会見中に泣き出してしまう場面もあった。
大橋毅弁護士は今回の無期限収容を、「今までにない異常事態。一度、解放された人をわずか2週間で再収容するなんてことはなかった」と語った。
駒井知会弁護士も「再収容はハンスト(入管に逆らう行為)をしたための、見せしめと思われても仕方がない」と主張した。
◆入管内の「ルール」は、とても一方的
サファリさんは1991年に来日。難民申請者であったが、仮放免の延長の日に「入管の都合で収容します」と言われ、難民申請を却下されてもいないのに、わけがわからないまま3年もの月日を収容施設で過ごすこととなる。母国に帰れば命の危険があり、両親も他界している。
「自分には帰る場所はない」と、日本に残り続ける意思を示したサファリさんはこう語る。
「入管内では職員が『ルールを守れ』と繰り返し言うが、とても一方的。いかにもその場で決めたようなルールです。職員自身が挑発してきたり馬鹿にしたりして、こちらが怒っても、自分たちが悪いような扱いを受ける、そういうのを変えてほしい」
◆「殺さない、殺さない」とせせら笑った職員
デニズさんは2007年来日。収容のきっかけは、ある店で外国人嫌いの日本人に絡まれ、喧嘩になった。手を出していないのに「出した」といわれて、警察に連れていかれたという。その後に入管へ移送されることになり、3年もの収容になった。デニズさんは一貫して無実を主張している。
デニズさんは年上の日本人女性と2011年に結婚している。しかし一向にビザがおりることはなかった。奥さんは「自分が子供を産むことができない年齢だから認められないのではないか」と気に病んでいた。
デニズさんはある日、入管職員に「眠り薬が効かないので別の薬がほしい」と頼んだところ拒否され口論になった。たくさんの職員が来てデニズさんを押さえつけ、腕を後ろにひねり上げられ、喉に親指を突いてくるなどの暴行を受けた。
あまりの痛みに、
「殺さないで!」
と叫んだところ、職員たちは
「殺さない、殺さない」
と言いながら、せせら笑ったが止めてはもらえなかった。
◆挑発してわざと怒らせ、懲罰房に
それからも職員による嫌がらせは続いた。ある職員が、かぶっている帽子のツバがあたるほど顔を近づけてきて、デニズさんが離れてもしつこく顔を近づけてきたので「さわるな」と怒った。
そると職員は「また騒いだ」と言って、独居房(通称:懲罰房)に閉じ込めた。陰湿な挑発は続き、ボランティアの牛久収容所問題を考える会の田中さんが面会をするたびに彼は懲罰房にいたという。
こんなこともあり、デニズさんの自殺未遂は3年間の収容で4回にものぼった。大橋弁護士は「そんなひどい環境の中にデニズさんを戻すわけにはいかない」と深刻さを訴えた。
記者会見のかいもあってか、8月14日と16日は30人くらいの人たちが2人に付き添うために集まった。それぞれ2人は、来てくれた人のために何度も感謝の気持ちを示した。しかし1階執行部門の部屋からは出てくることはなく、その日のうちに牛久入管にバスで移送された。
◆再収容され、再びハンストに戻る
その後、サファリさん駒井弁護士が面会に来た際、「出頭の日、来てくれた人に戻って『ありがとう』を言うことができなかった。そのことが心残だった」と伝えたそうだ。
デニズさんの妻も、筆者との電話でのやりとりで付き添ってくれた人たちに対し感謝の気持ちを述べた。
「私たちは夫婦なのに、引き離されることが非常につらい。日本に来る外国人には、日本へ来てよかったと思ってもらえるようになってほしい」
サファリさんとデニズさんは、再収容された日に、再びハンストを開始した。
◆「残るも地獄、帰るも地獄。もうどうしたらいいのかわからない」
ビロル・イナンさんもまた、ハンストをして8月9日に1年8か月ぶりの解放となった。しかし8月13日、仮放免延長の期間を確認しに行ったところ、「来週の21日まで」と、わずか1週間しか延長してもらえなかった。
同じように解放されても、次々と再収容された人たちがいることを知っているイナンさんに希望はない。やっとの思いで解放され、3人の子供たちも心から喜んでいたのに、また離れ離れになってしまう。妻は「また夫が収容されたら、私と子供たちはもう死んでしまう」と涙ながらに訴える。イナンさんは「子供が3人いようが入管には関係ない、私は捕まるだろう」と、表情はとても暗かった。
トルコでは、クルド人であることでゲリラの疑いを持たれていた。ジャンダルマ(憲兵)が「銃はないか、クルドの旗はないか」と家宅捜査に来ることがあったという。クルド人を嫌うトルコ人に、集団で殺されてしまった親戚もいた、「しかしあまりこういう事件は公にはならない」とイナンさんは肩を落としていた。
「残るも地獄、帰るも地獄。もうどうしたらいいのかわからない」(イナンさん)
◆妻の手術が関係したのか、延長手続きができたものの2週間のみ
妻は8月末、右上顎嚢胞の手術をしなければならない。非常に危険な病気というわけではないかもしれないが、放っておけば悪化する一方だ。日々頭や顔に痛みが走る。夫がいなければ、3人の子供を置いて手術はおろか入院することすらできない。いつまでも治療をすることができなくなってしまう。
小4の長男は「せっかくお父さんが出てきてくれたのに。また、いなくなったら悲しい」と、とても寂しそうだった。
8月21日、イナン家の恐怖は計り知れなかったものと想像する。しかし次の日に急遽、ビロルさんは収容されることはなかった。妻の入院と手術が決まったのが関係しているのかはわからない。筆者に電話してきた妻の声は、いつもより嬉しそうだった。少しだけ安心できたようだった。
しかし、無事に延長手続きを終了することができたのはよかったが、また次回の延長手続きはけっきょく2週間のみだった。解放されても、いつまでも再収容される恐怖から逃れられない人々が気の毒でならない。入管はいつまで、このようなことを続けるのだろうか。
<文/織田朝日>
【織田朝日】
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