OECD(経済協力開発機構)が報告した2018年の睡眠調査で、ついに日本の“睡眠不足”が韓国を抜き、世界で最も睡眠時間の短い先進国になったことが分かりました。
厚生労働省が17年に発表した調査では、20歳以上の男性の36.1%、女性の42.1%が6時間未満の睡眠しか取れておらず、今や日本全体が慢性的な睡眠不足に陥っている状況です。
睡眠不足による年間の経済損失は甚大です。公共政策を研究する米国のランド研究所の調査によると、日本では睡眠不足によって、年間約15兆6000億円の経済損失があることが報告されています。GDPに換算すると2.92%もの損失です。私たちは世界的に見て、いかに睡眠をないがしろにして、実益をも損なっているかを知らなければなりません。
なぜ慢性的な睡眠不足によって経済活動にこれほど悪影響が出るのか、そして企業はこの問題にどう取り組んでいくべきなのか。睡眠研究のパイオニアとして知られ、「睡眠負債」という言葉が広がるきっかけとなった2017年のNHKスペシャルにも出演した白川修一郎氏に、日本企業と睡眠問題の関わりについて聞きました。
睡眠負債が仕事のパフォーマンスを低下させる
―― 白川先生は「睡眠負債」によるさまざまな悪影響をメディアや書籍で何度も伝えられていますね。「睡眠負債」とは改めて、どのような意味なのでしょうか。
白川 英語の「sleep debt」を直訳したもので、睡眠負債という言葉自体は、専門家の間では古くから常識的な言葉です。睡眠「負債」という言葉には、睡眠不足が借金のように累積しており、それらを“返済すべきもの”といったニュアンスを含んでいます。睡眠不足はその日だけの問題ではなく、解消しなければ毎日積み重ねられていく恐ろしいものなのです。
―― 17年に白川先生が出演されたNHKスペシャルの睡眠負債特集をきっかけに「睡眠負債」という言葉が広がり、同年にユーキャン新語・流行語大賞トップ10にも選ばれました。睡眠負債への注目度はそれ以降も年々上がってきている印象ですが、睡眠負債がたまると身体にはどんな悪影響があるのでしょうか。
白川 睡眠負債は蓄積します。例えば、本来7時間の睡眠が必要な人が、平均5時間36分しか睡眠時間を取れない状態で、毎朝午前6時に起床していたとします。すると、7日目の午後4時には、脳は午前1時と同程度の働きにまで落ちてしまいます。
―― まだ夕方なのに、脳は深夜1時の状態になっているというわけですね。それでは頭も働かないはずです。
白川 睡眠負債の場合、眠気を強く感じません。しかし、パフォーマンスは落ちるのでエラーが起こり、労働災害も引き起こしやすくなります。作業スピードも低下しますし、睡眠負債が蓄積すると意欲の低下がはっきり起きてきます。創造性もなくなりますし、細かいことが面倒くさくなって無視してしまうようにもなります。さらに、非効率な過去の方法へ執着するようになります。
―― といいますと?
白川 過去の成功体験に縛られて、新しいことを判断できなくなるのです。記憶力も低下しますし、学習能力も落ちます。記憶想起のミスも増えるので、思い違いによって間違った方法を取ってしまうこともあり、これがミスの増加につながります。
典型例は鉄道で保守点検をしていて、「右危険、左安全」と言いながら右に落ちてしまう、など。こういう事例は結構あります。ど忘れも増えますし、論理的思考力が低下するので、感情的にもなります。
―― 睡眠負債の蓄積による悪影響が多すぎますね……。
日本の経営者は睡眠の知識を身に付けよう
―― 先生から見て、日本の経営者の睡眠の質はいかがですか?
白川 よくないですよ。お酒の飲みすぎです。お付き合いが多いですからね。
―― ただ、経営者が睡眠時間を削って忙しそうに働いていると、勢いがありそうな印象を受けますよね。そういった経営者に憧れてショートスリーパーを目指す人もいますし、睡眠時間を短くするセミナーもあると聞きます。
白川 そういった類のセミナーは「うそ」です。ショートスリーパーには睡眠に関連した遺伝子の突然変異がみられるとの報告があり、後天的に訓練でなれるものではありません。ショートスリーパーの多くは、血族の中にショートスリーパーがいることが多いようです。
ただ、ショートスリーパーの存在自体がまれであり、私は会ったことすらありませんからね。本来人間が必要な睡眠時間は7時間、せめて6時間です。7時間きちんと眠り、自分の脳がどう働いているかを考えてほしいです。
―― 経営者が睡眠負債の解決に取り組んでいくためには、まず何から始めればいいでしょうか。
白川 一番重要なのは、経営者や管理者が睡眠について知ることです。日本の経営者は科学的知識がない人がほとんどでしょう。
―― 最近は睡眠関連の書籍もたくさん出ていますが……
白川 それは医学的に正しい本ですか? 日本人は学校で睡眠学を習っていませんから。まずは睡眠改善学の教科書などで、系統立った知識を学ぶ必要があります。また、一定の規模の企業には産業医がついていますが、産業医の睡眠についての知識が浅いのも問題です。
―― なぜですか?
白川 これまでの産業医の多くは、胃潰瘍などを診る消化器科や、高血圧などを診る循環器科の出身だからです。産業医学専門や精神科、心療内科であれば別ですが、そうでない医師が大多数です。医者でも睡眠教育を受けていない人が多く、特にお年を召した産業医は睡眠分野は案外知らないのです。不眠症の診断でも睡眠薬を出して終わる場合が少なくありません。
―― 産業医が睡眠について知識が浅いのは意外でした。他に睡眠負債の解決方法はありますか。
白川 もう1つは経営者自身の睡眠がいいかどうか知ることです。睡眠が悪ければ経営判断をミスします。だから社員からでなく、自分たちから変える必要があります。
―― 企業としても睡眠の重要性は分かってきていると思います。ただ、OECDや厚生労働省の調査では、年々日本人の睡眠時間が増えるどころか減ってきている状況です。
白川 企業もどう改善すればいいのか分からないのでしょう。従って、企業内の勤務システムをどう変えるか、また、どうやってうまく社員に睡眠を取らせるよう社内で指導するかが重要です。そのためにも、まずは経営者自身がきちんと睡眠を取る必要があります。そして、1日だけでなく、日々の睡眠履歴を取ることが大切です。1日の睡眠不足ではなく、積み重なった睡眠負債が問題なのですから。
まずは1週間、1日7時間眠ってみる
―― 企業の中には、社内に睡眠改善プログラムを導入したり、仮眠スペースを設けたりと、積極的に社員に睡眠を取らせようとする動きもあります。
白川 お昼寝では根本的な睡眠改善にはつながりません。それよりも、夜間の睡眠をどう社員にコントロールさせるかが重要になってきます。例えば、某社は早朝出社を推奨してやっていますが、睡眠の観点で言えば間違いです。
―― 早く出社したぶん早く帰って余暇を充実させれば、早く眠れそうですが……
白川 あれはおそらく、睡眠時間が短くなっているはずです。結局、場合によっては、持ち帰りで仕事をしていますからね。だから仕事のシステムをどう集約していくかが重要です。もう1つ、日本は通勤時間が長い点も問題です。
―― 確かに、通勤時間が長いほど自宅に帰るのが遅くなってしまいますね。
白川 帰宅時間が遅くなり、寝る直前に夕食を食べていたら良質な睡眠は取れません。企業は睡眠時間を確保できないような状態を作っていないか、見直す必要があります。長時間労働が生産効率を上げているわけではありません。昔のように「安かろう」で大量生産をするビジネスモデルであれば長時間労働でもよかったのですが、今は質が高く消費者のニーズに合った商品を提供する必要があります。
そのためには頭を使う必要があります。頭を使うには、リフレッシュが必要です。勤務間インターバルも含めて、企業は勤務システム全体を変えていく必要があります。
―― 勤務間インターバルとは、仕事を終えて次の仕事が始まるまでに、一定時間以上の休息時間を設けることですね。
白川 ヨーロッパは11時間以上と法令で決まっており、違反した場合の罰則規定も厳しいです。一方、日本では罰則規定はなく、9時間以上の間隔があれば、厚生労働省の助成金対象になります。しかし、通勤時間が1時間あり、食事の時間なども考えたら、何時間眠れるの? という話です。
―― 勤務間インターバルが9時間の場合、7時間寝たいと考えたら残り2時間しかないですね。
白川 勤務間インターバル制度を作った官僚たち自身が長時間労働していて、「5時間眠れればいい」という発想ですからね。どちらにしろ、企業として効率化を考えるなら、睡眠は重要な要素になります。
―― ただ、難しいなと感じるのが、「鶏が先か、卵が先か」の問題で、睡眠を改善しようにも、睡眠負債がたまって頭が働かないから業務を効率化できない、業務を効率化できないから睡眠が改善できない、のようなジレンマが起きませんか。
白川 だからこそ、まず睡眠を取らせてみることが大切です。まず1週間、睡眠を取れるように1回やってみて、社員がどう変わるかみてごらんなさい。トップダウンで「残業なし! 絶対帰れ!」と伝えてください。
仕事には波があるので、1カ月に1週間程度であれば、時間を取れる週があるはずです。「この週はこの部署」のように部署ごとにやらせて、その1週間で睡眠によってどう変わるか、本人にチェックさせるのです。仕事の効率がどうなったか、ミスが減ったか、○×でチェックさせて集計してみると、本人も自覚できます。これだけで違ってきますよ。
―― 強制的に帰らせれば、いやでも仕事の効率も上げなければいけなくなりますね。
白川 日本企業は無駄なことがすごく多いです。無駄な会議や書類をなくしましょう。例えば、会議を10分しかやらないとか、書類を紙に出さないとか。無駄なメールも多すぎます。もう1つは業務の共有化です。個人が全部仕事を請け負って、グループで共有していない状況では、その人が休めません。働き方改革はそのあたりから始めて、同時に睡眠時間も確保していくことです。
―― 全て自力で改善するのは大変なので、企業の睡眠コンサルを担う組織があればいいですね。
白川 ドイツやアメリカにはスリープマネジメントをする会社が数多くあります。企業お抱えで、社員の睡眠を全て記録したり、個別相談に乗ったり、睡眠障害があったら関連病院に連れて行ったりできるようです。しかし、日本では保険制度がある以上、医療行為に抵触してしまうので一企業ができません。かといって、産業医は睡眠のマネジメントができない状況です。
―― まずは1週間、毎日7時間寝て日々の状態をセルフチェックすることから始めてみることが大切ですね。
白川 経営者も社員も、睡眠によって自分がどう変わっていくか、まず1週間実験してみてはいかがでしょうか。最初から完璧に変えようとすると大変ですから。