「求む、初代社長の肖像」 130周年を前に 東海汽船

東京の離島と本土を結ぶ東海汽船が、15日の創立130年を前に初代社長である前田清照の写真を探している。
関東大震災や第二次世界大戦中の空襲などによる3度の火災や移転もあって、創業の原点でもある初代社長の写真など古い資料が完全な形で残っていないためだ。【米田堅持】
渋沢栄一の構想で創立
東海汽船は、実業家・渋沢栄一の構想で1889年11月14日、東京湾で運航していた海運会社4社が合併してできた「有限責任東京湾汽船会社」がルーツ。営業を開始した15日を創立記念日にしている。初代社長の前田について、社史編纂(へんさん)室の早川佳男室長は「元首相の黒田清隆と欧米視察旅行をするなど同郷で親しく、当時としては、かなりの有力者だった。だが、前職の北海道開拓使、共同運輸、日本郵船、イリス商会などをあたったが、写真は見つからなかった」と説明。「東海汽船80周年の1969年に80年史を制作するため初代、3代社長の写真を探したが、見つからなかった。今回、3代目社長が写った集合写真を探し出すことはできたが、前田の写真はいまだに見つからない」と語る。
前田の在任期間は半年ほどしかなく、退任後しばらくして、静岡県の沼津方面に行き、鋳鉄関係の製造業を起こしたという説もあるが、行方ははっきりしないという。
観光主力の会社に
28年、東海汽船は東京-下田-大島の便を毎日就航させ、貨物から観光主体の会社となった。戦時中に多くの船を失ったが、戦後は東京湾納涼船の復活や、60年代後半から70年代初めの離島ブームなど、東京の海のレクリエーションとともに歩み続けてきた。

早川さんは「東海汽船は約40年ごとに大きな転機が訪れてきた。離島ブームの頃は、大部屋に雑魚寝が当たり前だったが、今はプライバシー重視の時代で、速さも求められるようになった」と語る。
77年に導入された高速船「シーホーク」を皮切りに、2002年には高速ジェット船3隻を就航させ、伊豆大島などは日帰りでも遊べる観光地となった。来夏には、ジェットフォイルで初バリアフリー対応の「セブンアイランド結」と、貨客船の3代目「さるびあ丸」も就航する予定で、台風被害に悩んだ東京諸島の足として期待されている。
早川さんは「ジェットフォイルで東京から伊豆大島へ1時間45分で移動できるようになるなど創立当初は考えられないような需要に応える時代。半世紀前から探し求めてきた前田清照の写真に、創立130周年を迎える東海汽船と2度目の東京五輪・パラリンピックを迎えようとしている今を報告したい」と話している。