【加谷 珪一】痴漢対策が「ビジネス」にまでなり始めた…日本社会の「特殊事情」 テクノロジーの力で、事態は改善するか

日本特有の性犯罪である「痴漢」が、とうとうビジネス領域のテーマとなってきた。シヤチハタが加害者にインクを使ってマーキングする「迷惑行為防止スタンプ」のテスト販売を開始したほか、ITベンチャーが、痴漢の発生状況をネットに表示する「痴漢レーダー」のサービスをスタートさせている。
本来であれば、こうしたビジネスが存在しない社会であるべきだが、日本の現状を考えるとやむを得ない部分がある。痴漢には冤罪の問題もあるので、テクノロジーを駆使し、冤罪を発生させない形で、被害を防ぐサービスが求められている。

日本国内では毎日、おびただしい数の痴漢が発生している。2017年に東京都内で発生した痴漢の発生件数は1750件だが、これは、迷惑防止条例違反としてカウントされたものなので、現実にはその数倍、あるいは数十倍の被害が発生していると考えられる。東京都内だけでもこれだけの数なので、全国では相当な件数となるだろう。
痴漢は日本特有の性犯罪ともいわれる。
海外では凶悪な性犯罪は存在するが、それほど凶悪ではない性犯罪が、日常的に多数、発生するという状況はあまり観察されない。日本で痴漢が多発しているという話は、海外でも知られるところとなっており、英国の渡航情報サイトに「日本では電車内で性犯罪が発生することは一般的」という記述があるとネットで話題になったこともある。ご丁寧に「chikan」という単語まで紹介されていた。
こうした中、ツイッター上で、痴漢に対する防衛策として安全ピンを持ち歩くという話が拡散し、ネット上では大激論となった。被害者にしてみれば、このくらい過激な防衛策でなければ、安心して電車に乗れないというところだろうが、安全ピンで相手を刺すという行為は、自らも犯罪者になる可能性があり、やはり一般常識としては推奨されるものではないだろう。
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ツイッター上での一連の議論を受けて商品開発に動いたのがシヤチハタである。
同社は定番商品であるインク浸透印(いわゆるシヤチハタ印)の技術を応用し、痴漢の加害者に特殊なインクでハンコを押すというアイデア商品の開発を宣言。8月27日から「迷惑行為防止スタンプ」としてテスト販売を開始した。同スタンプには、UV(紫外線)発光インクが使われており、相手にハンコを押した段階では無色透明で何も分からないが、ブラックライトを当てると、印影が浮かび上がる仕組みになっている。
電車内などで痴漢被害にあった場合には、これを相手に押すことで、犯人であると特定できる。もっともこの印鑑を押したからといって正式な証拠になるわけではないが、この商品の存在が広く認知されることで、痴漢犯罪の抑止を狙う趣旨と考えられる。
しかしながら、犯人(と思われる人物)にインクでマーキングするというやり方については、一部から冤罪の被害を増やす可能性があると指摘する声も出ている。現時点においても、被害者の証言のみで有罪になるケースが多く、慎重かつ客観的な判断が行われているとは言い難い。
満員電車内で、確実にマーキングができる保証はなく、場合によっては嫌がらせとしてマーキングする人が出てくる可能性もあるだろう。同社ではこれをぶら下げて歩くことで抑止効果を狙いたいとしており、あえて黄色という目立つ色を採用したようだ。また、今回はあくまでテスト販売なので、利用者からの声を参考に、抑止力や実用性について検証を重ねるとしている。大量生産という形で製品化を行う場合には、さらに慎重な対応が求められるのは言うまでもないだろう。

シヤチハタのケースは、被害者が直接、加害者に対して行動するためのグッズだが、ITを活用して情報を共有することで犯罪被害を回避しようというサービスも登場している。
ITベンチャーのキュカは、痴漢の発生情報を地図上に表示する「痴漢レーダー」というサービスを8月に開始した。痴漢被害に遭った場合には、スマホの位置情報の利用を許可した上で「通報する」ボタンを押すと、その情報が同社のシステムに送信され、痴漢が発生した場所が地図上に表示される。
利用者は匿名で利用でき、警察など関係機関に通報されるわけではない。一定規模のデータになった場合には、マクロデータとして鉄道会社や警察へ提供することも検討しているそうだが、あくまで情報共有を目的としたサービスということになる。実際、サイトの地図を見ると、どこで痴漢が発生しているのか一目で分かるようになっている。
当然、いたずらなどなども想定されるが、同一端末からの過剰な報告など、信憑性の乏しい情報についてはシステム上で判断し、データには反映されないようにするという。
ITを使ったサービスの最大の特徴は、やはり不特定多数の利用者の力を集約できることだろう。これまで痴漢については、犯罪が発生した後に対応するというやり方にとどまっており、マクロ的なデータを解析して、予防に役立てるという試みは行われていなかった。
ITを使って個人の情報を集約し、ビックデータとして解析した場合、これまでとはまったく違った防止策を発案できる可能性がある。諸外国では、スマホからの情報収集によって犯罪をマッピングしたり、道路の混雑など、公共インフラに関する情報を共有するサービスがよく見られるが、日本ではこうした取り組みはあまり活発ではなかった。ITを活用し、仕組みとして犯罪抑止を狙うという同社のサービスは高く評価してよいだろう。

被害の抑止という点では、医学的なアプローチも期待されている。
明確な統計はないが、痴漢の加害者が再び同じ犯罪に手を染める可能性は高いとされる。一部の専門家は、精神疾患との関係性について指摘しており、再犯を防止するには精神医学的なアプローチが有効だという。
すべてのケースにあてはまるわけではないだろうが、一部の加害者には、強いストレスによる衝動抑制障害の傾向が見られる。職場における強いストレスと、混雑する列車での長時間の通勤という悪条件が重なって、衝動抑制が効かなくなるのだとすると、働き方改革は、痴漢被害を軽減する有用な解決策のひとつになり得る。
時差通勤やリモートワークなどを組み合わせ、社会全体のストレスを軽減させることで、痴漢を抑制できる可能性が見えてくる。
いずれにせよ、こうした解決策を検討するためには、何よりも基礎データの収集が重要である。キュカのようなサービスが次々と出てくることを期待したい。