「お母さんの助けを待っていた」診察の医師証言、虐待死公判

東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5)=が両親から虐待を受けて死亡したとされる事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里(ゆり)被告(27)の裁判員裁判の第3回公判が5日、東京地裁(守下実裁判長)で開かれた。
一家が香川県に住んでいた際に結愛ちゃんを診察していた小児科の医師が証人として出廷し、「結愛ちゃんは助けを待っていた。結愛ちゃんを助けられるのはお母さんだけだった」と証言した。
証言などによると、平成29年8月に診察した際、結愛ちゃんの太ももにあざがあり、結愛ちゃんは医師に対し、父親の雄大被告(34)=同罪などで起訴=から「蹴られた」と説明した。医師が尋ねると、優里被告は「嘘をつくから」「暴力を止めると図に乗ってまた嘘をつく」などと話した。
10月にもあざがあり、結愛ちゃんは医師に「パパにキックされる」「家に帰りたくない」と発言。医師が県の児童相談所に連絡したが、このときは一時保護されなかった。
優里被告は比較的医師と打ち解けていたようで1、2時間会話することもあった。「雄大被告のしつけが厳しい」「私はわちゃわちゃした(にぎやかな)家庭が理想」と話したり、夫との生活によるストレスから「離婚した方が楽かもしれない」とこぼしたりすることもあったという。
ただ一方で「私はあほやから」「夫は年上で社交的で人脈があり尊敬できる」とも語っており、医師は優里被告について「自己評価が低く、結局は夫が正しいと考え、暴力も容認している」と感じたと証言。精神科の受診も勧めたが、受診は1度で終わった。
医師は、一家の東京への転居後もケアを受けられるよう病院を紹介しようと考えていたが、優里被告に転居後の住所が分からないと言われ、紹介できなかった。引っ越しの約1カ月後に優里被告に電話やメールをするなど働きかけたものの、返事はなかった。
医師は「子供の立場からしたら、暴力を受けること、暴力を受ける環境で育つこと、守られないことも含めて虐待だと思う」と述べ、優里被告の行為も虐待だったとの認識を示した。
優里被告については「香川にいた頃のお母さんはお父さん(雄大被告)の影響を受けつつも、私の外来に来てリセットできていたと思う。東京ではお父さんだけの環境でしんどかっただろう」と思いやった。
ただ医師は、結愛ちゃんの代弁者として証言するとした上で「結愛ちゃんはお母さんのことは大好きで、お母さんに助けてほしかっただろうと思う」と指摘。関係機関に相談するなど「大人なのだから手段はあった」とした上で、「お母さんのつらさは理解できるが、罪を軽くしてほしいとは全く思っていない。罪を償って反省して、結愛ちゃんに謝ってほしい」。
わずかに声を震わせた医師。優里被告もうつむいて涙を流していた。