【辻田真佐憲】「嵐まだ?」奉祝ムードでかき消された「国民祭典」の“珍場面集” 古事記紹介、謎の「天皇陛下万歳」連呼…

「天皇陛下万歳! 皇后陛下万歳! 天皇皇后両陛下万歳!」
人気アイドルグループの嵐が奉祝曲を歌うことで話題になった9日の「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」は、しかし、最後の「天皇陛下万歳」連呼によってすべて持っていかれた感がある。
中継を最後までみたひとは、少なからず、あのシーンに違和感を覚えたのではないだろうか。こういう祝典だから「万歳」はいいけれども、さすがに長く、目立ちすぎではないか――と。
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事件は、式次第どおり伊吹文明(奉祝国会議員連盟会長)首唱の「天皇陛下万歳」三唱が行われ、天皇皇后がまさに退場しようとするときに起こった。どこからか、突然「天皇陛下万歳!」の大声が上がったのである。
一般の参列者が地声でいくら叫んでも、ここまで明瞭に音は入らない。拡声器かなにかの機器を用いたと考えられるものだった。
中継の動画をみると、安倍首相ら壇上のお歴々は、手を挙げずに、じっとしている。まるで謎の音声が紛れ込んでしまったかのようだった。
じっさいは主催者側の「仕込み」だったとされるが(参照「祝賀式典、なかなか終わらない「万歳三唱」いったい誰が? 運営側が明かす真相」)、SNSや動画のコメント欄では、式典に肯定的なひとからも「あれはない」「やめさせろ」などと疑問視する声が多数上がった。
この手の式典は「奉祝ムード」のなかで、きれいにまとめられやすい。現に、違和感の残るシーンはほとんど報道されなかった。だからこそ、ここでその珍場面の数々をしっかり記録しておきたい。
まずずっこけたのは、司会を務める谷原章介の「平成天皇」発言だった。
「国民祭典」の司会進行は、俳優の谷原と、フリーアナウンサーの有働由美子が務めたのだが、谷原は、合間のフリートークでいさかか不安定なところが目立った。その最たるものが、中継開始早々の発言だった。
「[今年の一般参賀で]前から3列目くらいのところでですね、ええ、あの、平成天皇、皇后陛下のおふたりと手をこう振らせていただいたの、本当にいい思い出となっております」

明治天皇や昭和天皇がそうであるように、「平成天皇」は諡(おくりな)であって、亡くなったあとに追号される。そのため、現状「平成天皇」という呼び方は避けられている。メディアでも、よくみると「平成の天皇」や「平成皇室」などとなっているはずだ。
もちろん、一般人の会話レベルではそこまで目くじらを立てる必要はないのだが、「国民祭典」は、超党派の議員連盟と奉祝委員会の主催により、10年ごとに行われてきた、いわば皇室礼賛のイベントである。その冒頭で、いきなり「平成天皇」発言が飛び出したものだから、思わずのけぞってしまった。
ただし、普段はこういう発言を見逃さず、執拗に批判する保守派の人士も、今回はあまり騒ぎ立てなかった。これもまた奉祝ムードの影響かもしれない。
つぎに気になったのは、各界代表の祝辞を経て、『古事記』神話が紹介された場面だった。
「わが国誕生の物語、古事記……」
ふたりの司会が交互に、天地創造と、イザナキ・イザナミによる国産みの神話を読み上げていく。BGMは、黛敏郎の「涅槃交響曲」。『古事記』をテーマに彩管を揮うフランス人画家・マークエステルの作品を紹介する体になっているのだが、唐突な印象はぬぐえなかった。
しかも、その直後に
「古よりわが国は瑞穂の国と呼ばれ、水の恵みを受けてきました。天皇陛下は、以前よりひとびとの生活と水をテーマに研究を続けられ……」
と、現代の天皇に一気に接続されたのである。さすがに話が飛びすぎだろう。神話のパートは、はたして必要だったのだろうか。

ちなみに、作曲家の黛敏郎は保守派の論客として知られ、日本会議の前身のひとつとなった「日本を守る国民会議」の運営委員長も務めた。カンタータ「憲法はなぜ改正されなければならないか」の作者といえば、その思想性がつかめるかもしれない。
奉祝委員会には日本会議の関係者も加わっている。そこまで綿密に考えられているかはともかく、少なくとも、日本神話の紹介は保守派のひとびとを満足させただろう。
ところで、『古事記』神話はエロティックなことでも知られる。
国産みのとき、イザナキはイザナミにたいして「私の体の〈成り余れる処〉で、あなたの体の〈成り合わざる処〉に指し塞いで、国産みをしようと思うがどうか」と話しかけたという。また、続く神産みのとき、イザナミは火の神を生んで陰部に火傷を負い、死んでしまったという。
『古事記』に明確に記されているにもかかわらず、こうしたシーンは今回紹介されなかった。どうせやるなら、ここまで取り上げてほしかった。
それにしても興味深いのは、さまざまなネットの中継動画に「嵐まだ?」の声が絶え間なく現れたことだった。
ネット右翼が怒って、「非常識」「黙れ」と叫んでも、まったくお構いなし。ときにその怒声をかき消すほど「嵐」の文字は多かった。人気アイドルのファン、まことに恐るべしである。

そのファンたちが待ちに待ったときが、ようやく訪れた。天皇皇后のお出ましを経て、奉祝曲・組曲「Ray of Water」(菅野よう子作曲)の演奏がはじまったのである。
奉祝曲は、これまでの「国民祭典」でも創作され、演奏されてきた。1999年のときは、X JAPANのYOSHIKI作曲のピアノ曲「Anniversary」。2009年のときは、岩代太郎作曲の組曲「太陽の国」。後者の第三部「太陽の花」(秋元康作詞)は、EXILEのメンバーによって歌われた。
今回の「Ray of Water」は、タイトルこそ英語で「Anniversary」を思わせるけれども、中身は「太陽の国」に近かった。同じく組曲であり、第三部「Journey to Harmony」(岡田惠和作詞)に歌が入っているからだ。そして、嵐が登場したのもこの第三部だった。
さて、どんな歌詞か。画面に注目していると――。
「君が笑えば、世界は輝く」
天皇の前で歌われる奉祝曲に「君」とくれば、天皇を想像せざるをえない。天皇が笑えば、世界は輝く。これはまた強烈なものがきたなと度肝を抜かれた。
もっとも、その後の歌詞を聞くと、この「君」はただの「you」とも読み取れる。「君」は「Emperor」か「you」か。「君が代」解釈でもしばしばいわれる問題がここにもあらわれた。
前回の「太陽の国」では、「太陽」が天皇(太陽神の直系ということなっている)を示唆していた。今回の曲は、「Water」(現天皇の研究テーマ)や「Harmony」(令和の英訳はBeautiful Harmony)だけが、本当に天皇との関連だったのだろうか。
歌詞の意味はもう少し慎重に考えたいが、とりあえず「Journey to Harmony」は、たいへん聞き取りやすかったことを特筆しておきたい。字幕がなくても全然問題がなかった。
戦前の奉祝曲ではこうはいかない。漢語が多く、「こうき」といわれても、「光輝」か「皇基」か「皇紀」か、なかなか判別できないのだ。その点、現代の奉祝曲は「民主化」されているのだなと思わされた。

奉祝曲のあとは、「君が代」の独唱と斉唱が続いた。
独唱は、オペラ歌手の森谷真理によるもの。さすがに朗々と会場に響く。いっぽうで、斉唱のほうは酷かった。マイクが遠く、歌声が全然聞こえない。
中継動画では、楽団の演奏ばかり際立っていた。ふだん、「君が代」を歌え、歌えと頑張っている壇上のお偉方には、もっと声を張り上げてもらいたかった。
そして――。舞台は、本稿の最初で触れたシーンにたどり着く。伊吹文明首唱の「天皇陛下万歳」三唱につづき、仕込み音声の「天皇陛下万歳」連呼。「君が代」斉唱では、ぜんぜんマイクが入っていなかったのに、ここでは大音量。圧倒的な違和感だった。
はじめ、一般参列者が拡声器で叫んだのかと思った。というのも、これまでも似たような事件は起こってきたからだ。
1968年に行われた「明治百年記念式典」では、式典の最後に、参列者の一部が「天皇陛下万歳」を叫んだ。昭和天皇と香淳皇后はこれににこやかに応えたとされる。
2013年に行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」でも、やはり天皇皇后(現・上皇上皇后)退出の際に、参列者から「天皇陛下万歳」の声があがった。このときは、安倍首相らもつられて万歳する事態になった。
とはいえ、今回の「事件」は異質だった。
「天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳! 皇后陛下万歳、万歳、万歳! 天皇皇后両陛下万歳、万歳、万歳!」
間を開けながらも、さらに声はつづいた。楽団の演奏も打ち消さんばかりだった。
「天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇皇后両陛下万歳、万歳、万歳! 天皇皇后両陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇皇后両陛下万歳、万歳、万歳! 天皇皇后両陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳! 天皇陛下万歳、万歳、万歳!」

文字だけでも、雰囲気が伝わるのではないだろうか。じつに万歳四十五唱。参列者のひとびとが地声で各自万歳を唱えるのならばまだわかる。だが、今回はひとりの声だけが異様に大きく目立った。
「万歳マシマシチョモランマ」。そんなことばが浮かんで、酸っぱいものがこみ上げてきた。
テレビのニュースでは、この万歳連呼シーンはカットされている。YouTubeなどには全編動画があるので、ぜひ直接確認してみてほしい。ここで書いたことがけっして誇張でないことがわかるはずである。
主催者はなにを考えて、異様な「天皇陛下万歳」を繰り返したのだろうか。もう少しボリュームを絞るなり、会場にサクラを仕込むなり、穏当な手段があったのではないか。
これまでも、人気アーティストの奉祝曲目当てのひとびとが、途中で退席する姿が観測されてきた。今回はそれを防ぐために、「さあ万歳せよ」といわんばかりに、大音量で張り切ってしまったのだろうか。いずれにせよ、逆効果だったといわざるをえない。せっかくのムードがぶち壊しだった。
とはいえ、啓蒙的な効果は抜群だった。主催者が、人気アーティストを集めてなにをやりたがっているのか、これほど明確に示すものもなかったからだ。
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もし、戦前の軍人ならば、もっと巧妙にやろうとしたかもしれない。
古川緑波といふ面白い芝居の一座がありますが、昨年事変[支那事変。日中戦争のこと]勃発と共に当部では古川氏と相談致しまして時局宣伝を加味して貰ふこととなり、2時間ばかりの喜劇の中に5分ばかり支那事変の解説をやつたのでありますが、民衆は笑ひながら見て居る間に不知不識(しらずしらず)の中に支那事変の意義を教へ込まれることになるのであります。これが初めから終りまで支那事変の説明をやられましたら誰も入らぬと思ひますが、緑波々々で面白がつて見て居る中に五分ばかり支那事変の真意義を聞かされて帰る。これが本当の宣伝のやり方ではないかと考へるのであります(清水盛明、1938年)。
おそらく「国民祭典」は10年後にも行われる。そして、人気のアーティストがまた呼ばれるだろう。今後は、観客を万歳させるためにどのような工夫が凝らされるのか。そのときのためにも、今回の珍場面はしっかり胸にしまっておきたい。