カンボジア地雷除去で殉職の住民7人に「新しい慰霊塔を」 NPO呼びかけ

カンボジアで地雷処理を続けながら復興を支援する松山市の認定NPO「国際地雷処理・地域復興支援の会」は12月26日まで、インターネットのクラウドファンディング(CF)で個人出資を呼びかけている。目標は200万円。12年前に地雷探知中の事故で殉職した7人の地元住民の慰霊塔を新たに建て、支援者から寄せられた地蔵を供える。「7人を忘れぬことは活動の根幹。塔を守り抜いて日本人の誠意を示したい」という。
「地雷がなくなったとしても、悲しい記憶はなくさない」。支援の会理事長兼現地代表の高山良二さん(72)の言葉だ。自衛官だった高山さんは1992~93年にカンボジアで行われた日本初の国連平和維持活動(PKO)に参加し、2002年の退官後も同国と日本を行き来して地雷除去を続けてきた。
事故は07年1月19日に起きた。カンボジア内戦の激戦地・バタンバン州の村で地雷の処理活動に当たっていた男女7人の地雷探知員が対戦車地雷の爆発で帰らぬ人に。22歳から45歳。女性のチアホーンさん(当時36歳)は4人の幼子、地雷で片足を失った夫がいた。
「地雷を取り除くことが村の未来を作ることになる」と、村民から探知員を募って育成を続けた高山さん。事故当時は一時帰国のため首都プノンペンにいたが車で12時間をかけて引き返し、全員の遺族と抱き合って泣いた。「息子は村のために地雷を除去する仕事で亡くなった。家族は誇りに思っています」。その言葉に、再び泣き崩れたという。

現在の慰霊塔は現場近くに07年に建てられた。修復を繰り返してきたが、タイルや壁の傷みが進んでいる。このため、支援の会は現在の塔を修復して墓のない村民のための墓として残す一方、近くに7人の慰霊塔を新たに建立。支援者から寄せられた御影(みかげ)石の地蔵を供える。地蔵には愛媛県砥部町名誉町民の詩人・坂村真民の言葉「念ずれば花ひらく」が刻まれている。
高山さんは「今も胸が詰まって事故のことはうまく話すことができない」といい、「今の平和の礎には犠牲となった7人がいる。100年先も彼らのことを忘れてはいけない」と心に刻む。来年3月には完成セレモニーを予定している。
CFの詳細は「IMCCD2019」でネット検索できる。【松倉展人】