「もう少し、お安くできませんかしら」セール品に更なる値引きを要求されたスーパーの従業員の憂鬱 から続く
パワハラ、セクハラと並び、今や世界的な現象になっているカスタマー・ハラスメント(従業員のささいなミスでキレる、暴言を吐く、終わらないクレーム、威嚇・脅迫顧客からの悪質なクレームなどの迷惑行為)。NHKの人気報道情報番組「クローズアップ現代+」の放映後、大反響を呼んだその実例と分析、処方箋をまとめた『カスハラ モンスター化する「お客様」たち』が発売された。その中から実際にあった酷い“カスハラ”の2つの事例。
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関東地方でコンビニのオーナーをしている川上さんは、番組のホームページを見て連絡をくれた。
「トラブルになったお客様から『半年で200万円ぐらい使ったから、100万円返せ』と言われ、『商品の現品がないと返金は出来ません』と伝えると、『じゃあ慰謝料として100万出せ』ってしつこく要求されたんです」
その客がしばしば訪れるようになったのは、半年くらい前だった。作業服を着た25歳くらいの男性で、通勤の途中と思われた。
最初は「商品を袋に入れる入れ方がおかしい」というクレームだった。
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川上さんは、コンビニを経営して10年以上になるベテラン。これまで受けたことのない指摘に驚いたが、「その場は、とにかく謝るしかないと思いました。ところがその後も、来店されるたびに声を荒らげられることが続きました。そのお客様が来られたら、最大限気をつけて対応してたんです。
ところが、誠心誠意接しているつもりなのに、何をしても罵声を浴びるようになったんですよ」
店には川上さん夫妻と、ほかの従業員も働いている。しかしその客がクレームをつける相手は、川上さんに限られていた。
「妻は、そのことがわかっていました。いつも横で見ているわけですから、『あなただけ狙い撃ちになってる気がする』と言っていましたね。
袋への入れ方が悪いのであれば申し訳ないと思うんですけど、『謝り方が悪い』と言うんです。何か、僕より上の存在でありたい感じというか、とにかく上から『お前! お前! 接客がダメだ』と何度も言われて。
レジカウンター越しに顔を近づけてきて、威嚇されるようなときもありました。どう対処していいのかわからないし、帰ってもらえる雰囲気でもないので、『それで気が済むなら、もう殴って下さい』っていう気持ちになりましたよ」
ある日、その客がおでんを注文した。汁がこぼれないように、容器を袋の中央にまっすぐ入れた瞬間、
「その入れ方、おかしいじゃないか」
いきなり罵声が飛んだ。何が起きたのかわからない気持ちと、「ああ、またか」という気持ちが半々だった。とりあえず謝ったが、罵声は続いた。レジの後ろには、次の客が並んでいる。放心状態になった川上さんは、こう言った。
「じゃあ、ほかのお店に行って下さい。私どものサービスに足りない部分があるので、ほかのお店を使って頂けませんか」
とにかくこのやり取りを終わらせなければ、という気持ちで辛抱できなくなり、思わず言ってしまったと川上さんは振り返る。
客の反応は、
「だったら、お前がこの店を辞めて出ていけ」
というものだった。
「お前が来るなって言ったって、俺はこの店を使わなきゃいけないんだから、お前が辞めろ」
「いや、僕が責任者なんで、そういうわけにいきません」
川上さんは思い切って言い返し、
「どうしたら許してもらえるんですか」
と尋ねると、いきなり、
「100万円払え」
と言われた。「いままでこの店で使った金額を返せ」というのだ。半年で200万円使ったが、半分の100万円でいいと言う。
「あなたが言いたいことはわかりました。で、どうしたらいいんですか」
重ねて尋ねると、「ここに振り込め」と口座番号を言う。
そんな理屈が通るはずもない。買った商品の現物がなければ、返金できないのは常識だ。しかも半年で200万円といえば、毎日来て1万1000円ずつ使った計算になるから、到底ありえない金額。つまり、100万円返せと主張する根拠はない。
「だったら、慰謝料として100万寄越せ」
と、言い分は変わった。
その日を境に、来店はなくなった。代わりに一日一回、店へ電話がかかるようになった。
「いま、ほかの店にいるんだけど、ここの接客はちゃんとしてるぞ!」
そして、
「100万円はどうなった?」
という話になる。
「オレがどういう人間か、わかってるだろう」
というセリフもあったが、暴力団関係者には見えなかったから、ただの脅しだと思われた。
対応に困った川上さんは、まず警察に連絡した。「店に来て大声を出すなどしたら、すぐ出動しますから」。案の定、何か起こらないと対応できないと言われた。
次に、知り合いの弁護士に相談した。
「それは恐喝に近いから、今後も続くようであれば対処します」
やり取りの音声や画像を残しておくように、アドバイスされた。何時何分に電話がかかってきたか、時系列で控えておくように言われ、その通りにした。
コンビニチェーンの本部にも連絡し、経緯を伝えた。ビデオなども見てもらい、店や川上さん側に責任がないことを確認。お金は払えないし、一応の謝罪をすることでしか対応できないという結論になった。本部から先方に電話してその旨を説明し、
「もうこれ以上、電話しません」
と通告して以降、連絡はとっていない。本部の担当者も、前例のないケースで相当悩んでいたという。
ところが、店には相変わらず電話がかかる。
「カネの件はどうなった?」
「対応は本部ですると言われているので、こちらではもう何もできません。本部と話して下さい」
と切っても、翌日またかかってくる。
クレームを受けた経験は、過去にもあった。食品に虫が混入していて返金したり、菓子折りを持って自宅を訪問したり、その都度解決してきた。同業者に相談しても、「慰謝料として100万円請求されるなんて、聞いたことがない」という返答ばかりだった。
以後も電話は続き、心労やストレスを感じた川上さんは、3キロ痩せたという。イライラのせいで食事は喉を通らないが、酒量は増えた。
「もう疲れたというか、いつまで続くんだろうなって。僕が『もうほかのお店を利用してもらえませんか』と言ったことでカチンと来たんでしょうけど、ウチの店に来て不快な思いをされるのであれば、という思いもあったんです。
あそこまでやる目的が、まったくわかりませんでした。最初は、ただ大声を出したいのかなって思ってました。目的はクレームじゃなくて、憂さ晴らしだと。僕より上の立場でいたいんだろうなっていうのは、ずっと感じていました」
最終的に、弁護士から警告を発してもらうと、電話はピタッと止やんだ。来てほしくない客が来なくなり、連絡も途絶えたから、安堵はある。
「安心してレジに立っていられるっていうか。一時はもう、電話が鳴るとビクッとしてたんで。
これで収まれば、本当によかったなと思います。けれど、根本的に解決したという手応えはありません。突然ピタリと嵐が止まった感じですから、怖さはまだ残ってますね」
しかし、相手が正当なクレームだと確信していれば、こちらが弁護士を立てようとも、言い分を通そうと戦うはずだ。急におとなしくなってしまったのは、無理難題だと自覚していたためではないのか。だとすれば、自分は何のために苦しめられたのか。釈然としない思いを、消すことができない。
最近の出来事だけあって、川上さんの声からは本当に疲れた様子が伝わってきた。
◆日本中で起こっている「カスハラ」の対策と改善例は『カスハラ モンスター化する「お客様」たち』に収録されています。
(NHK「クローズアップ現代+」取材班(編著))