「年収1000万円」家庭が世間のイメージほど「裕福」ではない現実

現代社会を生きる女性が避けては通れない「婚活」「結婚」「妊活」「子育て」。これらのライフイベントに伴う様々な困難にぶつかりつつも、彼女たちは最終的には自分なりに編み出した「ライフハック」で壁を乗り越えていきます。読めば勇気が湧いてくるノンフィクション連載「女のライフハック」、待望の第10回です。
バックナンバーはこちら https://www.dailyshincho.jp/spe/rikaoizumi/ ***
後に就職氷河期のドン底と呼ばれるようになった1999年の秋、大学4年生だったわたしは、卒業後の進路が決まらずに焦っていた。いくつもの会社にエントリーしたものの、面接に進むことすら叶わない。
どう足掻いても正攻法では無理だと諦めをつけたわたしは、バイト先で知り合った男性に紹介を頼み、なんとか小さな編集プロダクションに就職することに成功した。給料の手取りは17万円ほど。正社員採用と言われていたものの、残業代もボーナスも出ず、社会保険もなかった。いま思えばとんだブラック企業だったけれど、それでも希望する出版業に就けたことで、希望には満ちていた。
就職したタイミングで家を出て自活することになった。実家は都内にある4LDKの戸建てだ。十分にわたしが生活するスペースはあったが「実家にいたのでは、甘えたままでいつまで経っても自立が出来ない」という親の教育方針で家を出されたのだった。最初は自由を得た気持ちで嬉しかったけれど、経済的には厳しく、会社には毎日手作りのお弁当を持っていっていたし、終電を逃した時は、家まで歩いて帰った。
ある日、深夜のキッチンで、翌日の弁当用に炊いたご飯を一食分ずつラップに包みながら、ふと頭に浮かんだのは「わたしはこの先、東京で暮らし続ける限り、実家よりも広い家に住めることはないだろう」という思いだった。
きっとわたしは、この先、普通に働き続けても、バブル期に働き盛りだった親世代のような“中流”の生活をすることはできない。身の丈にあった生活が出来ているのだから、いいではないか。自分の生活を自分で支えられていることは胸を張るべきことだと思う一方で、なんとなく行き詰まった思いも拭えなかった。
この連載で、結婚相談所の代表を務めていた女性を取材した際、「婚活を始めたばかりの女性は、紹介相手の男性の条件として“年収1000万”を希望する」という話を聞いた。世間一般からすると、それは高望みといえる条件ゆえに、なかなか条件の合う男性が見つからずに、お見合いまで辿り着けないという。
2018年9月公表の国税庁の民間給与実態統計調査によると、年収が1000万円を超えている男性の割合は、労働人口のたった6.9%。それなのに“年収1000万”を譲れない条件にしてしまっては、婚活が難しくなることは容易に理解が出来る。その一方で、最後の逆転チャンスとして、そこに縋ろうとする女性の気持ちもわかるし、自らの稼ぎを当てにしようとしている女性を、「ATMになるつもりはない」と、男性たちが敬遠するのもまた、仕方ないことだ。
そういった男女それぞれの思惑はさておいて、そもそも「夫の年収が1000万でも、さして裕福ではない」という声も度々耳にする。少し前のことになるが、ネット上の掲示板「ガールズちゃんねる」に「世帯年収900万円~1000万円で語りたい」というトピックが立ち、盛り上がりを見せていた。その中で年収1000万円世帯は、「一番損するゾーン」「税金で損する層」という発言が目立っていたのが印象的だ。
“損”というワードは、税金を払っているわりに恩恵を受けていないというところから来ているようだが、実際に年収が1000万の夫を持つ妻たちは、自らの生活をどう考えているのだろうか……しかし、話を聞こうと考えても、懐事情のことは知人に尋ねにくい。そこでSNSを利用して、該当する女性を募集することにした。すると数名の方が名乗り出てくれたので、アンケートに答えていただくことにした。まずは、その回答の一部を紹介したい。
ひとつめは「現在の収入で満足いく暮らしが出来ていますか?」という質問。これについては、
「贅沢はしていませんが、切り詰めてもいないので満足しています」(Yさん 31歳 夫の年収:1000万円弱)
「やや将来の貯蓄に不安はあれど、概ね満足。夫の仕事がセーブ出来てQOLが上がるならもう少し減ってもいい」(Kさん 37歳 夫の年収:896万円)
「満足といえば満足だけど、足りないといえば足りない」(Uさん 44歳 夫の年収:1200万円)
と、一応は満足しているという回答が多かった。もちろん「出来ていません」(Iさん 48歳 夫の年収:1100万円)という方もいる。
では、具体的にどういうところが満足/苦しいと思うのか。
「子どもがふたりとも、中高一貫私立校に通っており教育費の負担が莫大な額になっています(大学受験のため予備校代も)。年収が中途半端に高いため、所得制限で公的な学費補助も受けられません。私立校に行くという選択肢があるのは、ある程度の裕福さゆえですが、子どもふたりが6年間私立校で大学も私立だと学費が……」(前出のIさん)
「普段の生活に不自由を感じていませんので満足ですが、児童手当が収入制限により受給できないところは不満です。また不妊治療費助成も収入制限があり受けられませんでした」(Fさん 37歳 夫の年収:950万円)
やはり諸手当や補助が受けられないことは、不満だという(ちなみに児童手当制度については、所得制限を超過した場合は、特例給付が支給されるが、中学校修了までの子ども1人につき、月に一律5000円と、所得制限未満に比べて額が低くなる)。もうひとつ、世間一般で言われている“年収1000万円=裕福”について、どう考えているかも尋ねてみた。
「貧乏ではないけどそんなに裕福だとも思わない。今後、子の成長に伴う養育資金の増加により、生活を切り詰める可能性大」(Rさん 36歳 夫の年収:1200万円)
「確かに普通に労働をして生活をする分には、経済的にはやや余裕もあるのではないでしょうか。しかし実際は税金の割合も高く求められるので、労働の量や質を考えると分が悪いような気もします。世間一般のイメージほど実際は、裕福ではないと思います」(前出のKさん)
「一般的な収入が低い、またなかなか増額していかない現状が、1000万円の収入が裕福と感じるのではないでしょうか(私ももともとワーキングプアだったので)。近頃では、大企業か個人で成功、もしくは経営者などではないと難しい収入のように感じます」(前出のYさん)
「子どもがいる家庭の場合年収1000万はまったく裕福だと思わない」(前出のIさん)
やはり当事者たちは“裕福”とは感じていない。さらに取材を進めるべく、アンケートに答えてくれた中から、ひとりの女性に実際に会って、話を聞いてみることにした。
当日、取材場所に現れた澤田恵里菜さん(仮名・45歳 家族構成:夫45歳、長女10歳)は、洒落たデザイントップスに細身のパンツという上品ないでたちをしていた。手入れの行き届いた黒髪は艶やかで美しく、あらかじめ“夫の年収が1000万円”という情報を知っているせいもあって、どことなく余裕のある雰囲気を感じる。
恵里菜さんの夫はIT系の専門職で、年収は1200万円に加え、自社株の配当がある。恵里菜さん自身はたまに自宅でボディワークのワークショップなどを主催し、年収70万円ほどの稼ぎがあるという。そんな彼女にも「ご自身の生活は、裕福だと思いますか?」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「自分の体験からくる肌感覚では、貧乏ではないけど、特別に裕福でもないですね。カツカツではないけど、好きなことを好きなだけできるほどではなく、例えて言うなら、暑い日にエアコンをつけるのに『電気代が……』と思ってためらうこともないし、ファミレスに行ってドリンクバーは気軽に頼めるけど、デザートをつけるのは躊躇するくらい」
「ドリンクバーは気軽に頼めるけど、デザートをつけるのは躊躇する」という恵里菜さんの感覚にはとても共感できる。わたしもドリンクバーは頼むことがあるけれど、デザートを頼むことは滅多にない。担当編集者のTさん(未婚女性、アラフォー)も、「わかる、わかる。デザートはちょっと尻込みしちゃいますよね」と相槌を打っていた。
だが、“夫の年収が1000万円”であっても、このような庶民的な生活を送っていることが普通なのか、それとも、恵里菜さんが、あまり無駄遣いをしないタイプなのだろうか。
「わたしは地方の出身なんですけど、実家は普通以下、裕福か貧乏かでいったら貧乏でしたね。外食に行くこともほとんどなかったですし。ただ、大学では音楽を専攻したので、そういう面ではお金をかけてもらってはいました。それでも『絶対に公立にしなさい』って言われましたけど……本当は行きたい私立の学校があったんですが」
当時、私立ならば学費が年間200万円ほどかかったという。対して公立は50万円程度。その差は歴然だ。親の希望通りに公立大学に進んだ恵里菜さんは、卒業後、コンサートやレストラン、結婚式の讃美歌の歌い手などをしている最中、夫となる男性と出会い、遠距離恋愛の末に同棲を経て結婚。ところが結婚式の直前に夫の海外赴任が決まり、一緒に渡航することになった。
「そこから10年くらいは海外生活でした。最初はヨーロッパで、その次は北米。夫の年収が1000万を超えたのも海外に赴任した辺りからです。手当がいろいろついた結果です。ただ、慣れない環境で生活するとなると、なんだかんだ物入りになってしまうんですよ。
国によって電圧が違うので、電化製品を一度揃えても、別の国に引っ越すときは全部買い直し。家具を全部自分で揃えるケースもありますし、国によっては家賃が東京よりも高いこともあって。あと、基本的にスーパーの食材なんかは、すべて大きいんです。牛乳パックも大きいし、野菜も大きな袋に入っているから、なかなか使いきれなくて」
海外生活だからこそ、余計なコストがかさむこと、また「いま行かないと、日本に戻ったらなかなか行けなくなる」と、現地の近隣諸国へ旅行する機会が多くあったこともあって、帰国時にはほとんど貯金がない状態だった。
「なので、今はなるべく貯金を作ろうっていう方向ですね。うちは基本的には家計は夫が管理していて、2年くらい前に家を買ったのでそのローンや光熱費なんかは全部夫の口座から引き落としされる形で、わたしは月に生活費として11万円もらっています。
子どもの分の貯金だけわたしが管理しているので、そこは先によけちゃって、食費が外食は別で6万円で、雑費は2万。医療費は毎月1万円をストックしておいて、何かあった時に使う感じ。それでも若干足りないこともあって、そこはカードで払わせてもらって。でも、出来るだけ間に合わせるように努力します。
自分の稼ぎはお小遣いにさせてもらっていて、これはだいたい勉強代で消えます。ワークショップの生徒さんは、いろんな方が来るので、もっと知識も増やしたいし、自分の興味がある分野も学びたい。なので、自分が稼いだ分を好きに使わせてもらえるのは嬉しいですけど」
ちなみに外食はファミレスや回転寿司に行くことが多く、自家用車は軽。しかし、東京に住んでいて、車を保持しているということ自体が裕福と取れる向きもあるし、マイホームとして購入した23区内の戸建てのローンを組めるということも“年収1000万”の強みではある。また、食・住のほかにもうひとつかかるのが子どもの教育費だ。それについては、恵里菜さんはどう考えているのだろうか。
「わたしは、子どもが私立の中学校に進学してもいいと思ってるんですが、夫はなるべくお金を使いたくないっていうのがあるみたいですね。でも、何より子ども本人がまったく行く気がないっていう。もともと、あまり闘争心が強い子じゃないし、楽しく生きたいっていうようなタイプの子なので、本人が行きたいところに行けばいいんじゃないって。
それに、うちは夫もわたしもずっと公立だったので、お受験とかよくわからないんですよね。お受験がなくても、なんとかここまで来れたので、しなくてもよくないかっていう考えもあって。海外赴任中にそれこそ、優秀な学校を卒業した、いわゆるエリートの人と出会う機会があったんですけど、お話していてあまり楽しい感じじゃないというか……そういうのもあって、『わざわざ私立に行かなくてもよくない?』っていうのが彼の中であるみたいで。
わたしも駐在中に、奥さんに不条理に当たっている旦那さんとかを見ていると、『そういうルートを通るとこういう人になっちゃうのかな?』っていうのが若干あって。一緒くたに見ちゃいけないのもわかってるんですけどね。でも、浮き沈みが激しい世界で、途中でドロップアウトするとかもあるし、登校拒否になった人とかでも、40歳くらいになったらそれなりに生きてるよねって。
そういうことを考えたら、やりたいことに集中して、もっと楽しいことをしたいとか、将来こういうことをしたいからこっちに行きたいとか。そういうふうに育てたほうがいいなって思っています」
こうやって話を聞いているうちに、なんとなく“夫の年収が1000万”という暮らしがつかめてきた。働き方や子どもの教育、住む場所や、今夜の夕食をいくつかの選択肢の中から選び取ることが出来るのだ。
もちろん、選ぶ権利は、誰にでも当然ある。けれど、実際は選べない状況にある人も多い。働かなくては生活が立ち行かないから働き、高等教育を受けたくても断念せざるを得なく、夕食の献立は冷蔵庫の中身から捻り出さなくてはならないし、貧困の度合いによっては「食べる」という選択肢が取れない場合だってある。
“夫の年収が1000万”が、裕福か、さほど裕福でないかはさておいて、“選択肢のある暮らし”であることは間違いがない。では、その中で、恵里菜さんはなぜ“働く”という選択肢を取ったのかを、最後に尋ねた。
「年収1000万があったとしても、それは夫の収入。少額でもいいから、わたしはわたしの収入が欲しいからですね。年収1000万は、都内で暮らすにはそれほど裕福ではないけれど、給与所得者の数パーセントしか得られない収入なだけあって、手に入れるにはそれぞれの方にそれなりの苦労があります。その苦労を見ている妻の立場で『夫の収入で楽をして生きる』というのは、少し難しいなと感じます。
これまでに『なんでも好きな事をしてていいから、僕と結婚してください』と乞われて結婚されたという女性の方に、二人だけお会いしたことがあります。ひとりはお相手が老舗レストランの社長さん、もうひとりはヨーロッパの貴族の方でしたが、お二人とも『夫の収入で楽をして生きる』というようなことは全くなく、ご主人を尊敬して暮らしていらっしゃる感じを受けました」
大泉りか(おおいずみ・りか)1977年東京生まれ。2004年『FUCK ME TENDER』(講談社刊)を上梓してデビュー。官能小説家、ラノベ作家、漫画原作者として活躍する一方で、スポーツ新聞やウェブサイトなどで、女性向けに性愛と生き方、子育て、男性向けに女心をレクチャーするコラムも多く手掛ける。『もっとモテたいあなたに 女はこんな男に惚れる』(イースト・プレス 文庫ぎんが堂)他著書多数。2017年に第1子を出産。以後育児エッセイも手掛け、2019年には育児に悩む親をテーマとしたトークイベント『親であること、毒になること』を主催。
2019年11月26日 掲載