最近、ドラッグ、特に、覚せい剤、大麻、コカインの摘発記事が散見される。
この中でも、最もポピュラーで、特にヤバいのがシャブと呼ばれる「覚せい剤」である。アイスやスピード、クリスタル、Sなどと、シャレた隠語で呼ばれることもあるが、どれもこれも覚醒剤のことだ。売人は「シナモノ」と呼ぶ。
なぜ、ヤバいのか。それは、依存性が高く、身体の蝕み方が半端ないからだ。好奇心に負けて一度でも手を出すと、一生の腐れ縁になる恐れがある。
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覚せい剤が、シャブと呼ばれるようになった逸話をご存じだろうか。
シャブという名前がついたとされる戦後動乱期のエピソードがある。それは、大正12年に宮崎県で生まれ、昭和30年に没したヤクザ、出口辰夫にまつわる話である。出口は映画「モロッコ(マレーネ・デートリヒ、ゲイリー・クーパー主演)」を好んで観たことから、「モロッコの辰」と呼ばれていた。
モロッコは、少年院や刑務所にも収監されている。恐喝罪で一年間服役して出所後、24歳の頃、賭場荒らし(ばくち場荒らし)に明け暮れ、これをシノギとしたというから、大した度胸者である。
やがて、モロッコと吉水金吾、井上喜人、林喜一郎は「横浜愚連隊四天王」と呼ばれるようになった(この当時の愚連隊は漢字の(旧)愚連隊だが、性質の違いから、現在のグレン隊はカタカナで表記される)。
昭和23年のある日のこと、モロッコと田中(井上の舎弟)は、一銭のカネも持たずに、神奈川県湯河原町の旅館「静山荘」に開帳している賭場に出かけた。賭場で、モロッコはスミス・アンド・ウエッソンと、コルトを抜き、田中も拳銃を抜いたといわれている。
モロッコは、盆の上に拳銃を置き、5千円を貸すように要求した。その場に居合わせた稲川角二(後の稲川会会長の稲川聖城)が、100円札の束を出口に渡し、賭場荒らしを止めるように諭したため、モロッコと田中は、大人しく帰ったと伝えられている。
その事件を機に、モロッコは稲川角二に心酔し、様々な出来事の末、昭和24年の春、仲間の愚連隊と共に、稲川角二と親子の盃を交わすに至り、同年6月に熱海市咲見町に稲川興業の看板が掲げられた。稲川会の屋台骨を作ったモロッコであったが、昭和30年1月30日に肺結核で死去。享年は33歳、あるいは34歳と言われている。
この時、モロッコの骨は、ヒロポン(戦時中から戦後にかけて普通に市販されていた覚醒剤の一種のこと、疲労がポンと飛ばすことから俗称ヒロポンと呼ばれるようになった。正しくはギリシャ語の「ヒロポナス=労働を愛する」が語源という説がある)中毒の影響で、お骨の取り上げの際、ボロボロに崩れてお骨上げができなかった。
石井進(稲川会二代目会長、1972年に山口組若頭・山本健一と五分の兄弟盃を交わした)は、泣きながらモロッコの骨を握りしめ、骨壺に収めたという話が口伝されている。以来、覚醒剤のことを「骨までしゃぶる」からシャブというようになったと伝えられている。
筆者はこの話を、京都の組織で本部長をしていたKさんから聞いた。
覚せい剤の恐ろしさを、リアルに伝えるエピソードだけに、筆者は大学の講義「社会病理学」の受講生には、必ずこの話をするようにしている。
「身体に悪いから」などと、通り一遍の話をしても、本当のヤバさは伝わらない。「具体的に、覚せい剤を摂取すると、どうなるのか」ということを、若い人たちには理解していただきたいからである。
驚くことに、最近では一般の、それも分別ある現役の官僚が覚せい剤の使用で逮捕され、日本社会に衝撃が広がっている。
今年4月に警視庁に逮捕された経済産業省の元キャリア官僚の西田哲也被告は、「打ってみるとすっきりする感覚があったので、はまってしまった」と述べている。
経産省に続き、今年6月、文部省のキャリア官僚の福沢光祐容疑者が、覚せい剤所持、使用の疑いで逮捕されている。何と、覚せい剤は、容疑者の机の中から見つかっており、省内で使用した疑いがある。
こうした覚せい剤使用のすそ野が拡がった理由の一つとして、ネットの取引が普及したからではないかと考える。
以前は、覚せい剤取引は、手渡し、現金払いが原則だった。足が付かないように、タクシーに乗り合わせて取引したり、場末のホテルのフロントで受け渡しをしているなどと、筆者も耳にしていた。
しかし、ネットで取引すれば、買い手が売人と接触しない分、購入に際してのハードルが低くなるのではなかろうか。
いずれにしても、当局の締め付けが厳しくなり、反社的勢力のシノギが厳しくなっている現在、覚せい剤をはじめとする薬物の取引は、重要な資金源となるので、注意が必要である。
警察庁組織犯罪対策部 組織犯罪対策企画課が発表した「平成29年における組織犯罪の情勢」を見ると、外国人による覚醒剤事犯の営利犯の検挙人員は152人と、全営利犯検挙人員(586人)の25.9%を占めており、このうち密輸入事犯は103人(構成比率67.8%)となっている。
国籍・地域別でみると、タイ及びイランが17人と最も多く、このうち、タイは密輸入事犯が16人、密売関連事犯が1人となっており、イランは密売関連事犯が15人、密輸入事犯が2人、韓国・朝鮮が15人で、全て密売関連事犯、香港が13人で、全て密輸入事犯、台湾が12人で、密輸入事犯が11人、密売関連事犯が1人となっており、以下、ドイツが8人、中国が7人、アメリカが7人、マレーシアが6人、メキシコが6人となっており、密輸入事犯は、南方のタイ、台湾、中国が最も多くなっている。
現在は、国際的な政治的事情と当局の取り締まり強化を受け、北朝鮮やロシアンルートが機能しなくなったため、南方からのルートが主な供給源だと言われている。
ちなみに、平成30年、東京税関が摘発した覚せい剤事件の押収量は、およそ493kg(88件)にのぼり、昭和60年の統計開始以来最多となったそうである。
一方、全国の情勢をみると、覚醒剤密輸入事犯の検挙件数は増加し、平成26年以降3年ぶりに100件を超え、いわゆる運び屋による密輸入事犯の検挙が相次いだため、前年比で大幅に増加した。
押収量は前年比で減少したものの、洋上取引や船舶コンテナ貨物の利用による大量密輸入事犯の検挙に伴い、前年に引き続き1,000kgを超えたと、警察庁の報告にある(警察庁組織犯罪対策部組織犯罪対策課「平成29年における組織犯罪の情勢」)。
とにかく、最近は、摘発される覚せい剤の量が半端ない。
2018年6月5日の時事記事をみると、静岡県南伊豆町の港に寄港した小型船から覚せい剤約1トンが見つかり、警視庁などが覚せい剤取締法違反(営利目的共同所持)容疑で、船の乗組員ら中国籍の男7人を逮捕していたことが5日、同庁などへの取材で分かった。国内で一度に押収された覚せい剤の量としては過去最多で、末端価格は約600億円に上るという。
次に、茨城県沖の事件をみると、2017年8月、海上で受け渡しをする「瀬取り」と呼ばれる方法を使い、茨城県沖で約475キロ(末端価格307億円相当)の覚醒剤が密輸された事件を巡り、香港の警察が主犯格とみられる指定暴力団住吉会系の組関係者、海老沢浩容疑者(58)=覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状=を拘束したことが8日、捜査関係者への取材で分かった。
この事件では、茨城県警や警視庁などの合同捜査本部が同法違反などの疑いで暴力団幹部ら約20人を逮捕。海老沢容疑者が密輸を指示したとみて、国際手配して行方を追っていた。背景には国際的な密輸組織があるとみられている(静岡新聞 2018年11月9日)。
小さな検挙をいちいち挙げたらキリがないが、覚せい剤の取引が後を絶たないのは、日本ではハイリスクでありながらも、ハイリターンであるからだろう。
東スポの取材で、暴力団関係者が次のように語り、覚せい剤のシノギの蔓延理由、すなわち、ハイリスク=ハイリターン説を裏書きする。
「日本は覚醒剤の末端価格が世界最高の上、常用者以外に、最近では住宅街の主婦や公務員の逮捕者が多く出ているように新たな需要もどんどん開拓されている。日本では暴力団が管理し、出回る量をコントロールしているので、値崩れせず、高値を維持している」と(東スポWeb 2019年8月25日)。
覚せい剤にまつわる最近の事件で印象的だったのは、次の記事である。
覚醒剤を密売したとして、京都府警と滋賀県警の合同捜査本部は19日、70~80代の男女3人を覚せい剤取締法違反容疑(営利目的譲渡)で逮捕したと発表した。
3人は覚醒剤を通じた長年の知り合いで、スクーターで顧客に覚醒剤を届けるなどしていたという。昨年8月、府警に密売情報が寄せられ捜査を開始。今年7月に服部容疑者宅を捜索したところ、覚醒剤計約11グラム(末端価格66万円相当)を発見し、服部容疑者らを覚醒剤の共同所持で現行犯逮捕していた。京都や滋賀などに複数の顧客がいるとみられ、一連の事件で計16人が摘発された。 捜査幹部は「犯罪に関わる者も高齢化していることを象徴するような事件」と話している(産経WEST 2019年8月19日)。
芸能界のクスリ事情につき、数年前に起きたある強奪事件の被疑者で、有罪判決を受けたA氏に文通で話を聞いた。
A氏は、中部地方の都市でも有名な半グレで、パリピでもあった。パリピとはパーティピープルのことである。そのような、一見華やかだが、ちょっとヤバい社会に身を置くと、必然的に裏の社会が見えるものだ。
彼は次のように述べ、覚せい剤の濫用につき、警鐘を鳴らす。
「一番(ヤバいの)は、芸能界のクスリ事情ですよね。これは誰かが徹底的に撲滅していただきたいです。私は薬物が大嫌いなので、ヤル芸能人とは遊びませんし、(覚せい剤を)捨てたりもして叱ってきましたが、いまだにキメてメディアに出る者もいますし、これはどうにかしてもらいたいです」
筆者は覚せい剤、大麻、合成麻薬など、様々な中毒・依存症の方と、公私共にかかわってきた。「公的かかわり」とは更生保護の就労支援であり、「私的かかわり」とは、アングラ社会の取材である。
筆者がフィールドで感じたザックリとした感想で申し訳ないが、ツネポン(覚せい剤常習者)も、タマポン(タマにポンする使用者)も、社会生活上で挫折を経験したり、何らかの不安や問題、主観的な「生きづらさ」を抱えているように思える。
使用者と話してみると、未来への希望の有無、慣習的な社会や人とのつながりの濃淡、強弱と関係があるように思える。現代社会では、人は容易に孤立する。人生で一度つまずいたら再起は難しく未来への希望も色あせる。官僚だから、会社員だから、学生だから、主婦だからといって、社会的居場所があると考えるのは、ちょっとばかし早計である。
彼らは、そうした形式的な帰属集団で、日々苦痛を感じながら、必死になって自分の役割を演じているのかもしれない。苦痛は、やがて厭世観へと成長し、社会的逃避の一環として覚せい剤に手を染めるのかもしれない。
就労支援の現場で、調査フィールドで、筆者は幾度となくこうした事例を目にしてきた。人間は社会的動物である。ひとりでは生きられない。
現代社会を蝕む社会的孤立という問題は、人にとって、日本社会にとって、覚せい剤よりも問題視すべき根本的な社会病理であるように思える。薬物使用者のすそ野の広がりは、現代日本の社会病理を映しているのかもしれない。