「美帆、会いたくて会いたくて仕方ありません」相模原殺傷事件で娘失った母が手記

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判が横浜地裁で始まるのを前に、19歳の娘を失った母親が手記を公表した。娘の名は美帆(みほ)さん。娘が生きた証しを残そうと思い、何度も思い出の涙を流して筆を止めながら書き上げた文面には「時間がたつほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません」とつづっている。
事件から約3年半、現在も納骨できず
「本当に笑顔がすてきでかわいくてしかたがない自慢の娘でした」。手記には、愛娘の思い出があふれている。美帆さんはアンパンマンやミッフィーなどが大好きで、人気グループ「いきものがかり」の曲が流れると踊って楽しんでいた。母親は誕生日には笑顔の遺影の前にケーキを供えて、成長していただろう姿を思い浮かべる。事件から約3年半になる現在も、喪失感から納骨できずにいる。
美帆さんは3歳を過ぎたころ、重度の自閉症とわかったものの、児童寮や学校で頑張っていたという。「言葉はありませんでしたが、人の心をつかむのが上手で、何気にすーっと人の横に近づいていって前から知り合いのように接していました。皆が美帆にやさしく接してくれたので、人が大好きでした」。母親が娘の在りし日の姿を忘れることはない。
「私は美帆がいたから幸せだった。勝手に奪っていい命などない」
事件があったのは2016年7月26日。その約4カ月前、美帆さんは児童寮を経て、やまゆり園に入った。事件の2日前。園を訪れた母親は次の年に成人式を迎える美帆さんに「式だから髪を伸ばさないとね。これから楽しいことがいっぱいだね」と語りかけたという。
美帆さんとは晴れ着姿で一緒に写真を撮ることを約束して別れた。それが母娘の最後の会話になった。「園に預けたのは私。後悔は消えない。後悔は一生残しながら生きていく」。母親は記者にそう語り、涙を流した。
母親が手記を思い立ったのは美帆さんが一生懸命に生きていた証しを残すためだ。思い出が頭をよぎる度に涙が止まらなくなり、筆が進まない日も続いた。
A4判4枚の文面を書き上げたのは初公判が迫った1月の初めだ。裁判に向けて「犯人の量刑を決めるだけでなく、社会全体でもこのような悲しい事件が二度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか、議論して考えていただきたい」と切なる思いを訴える。
起訴された植松聖(さとし)被告(29)は障害がある人に対する差別的な考えをいまもなお変えていない。母親はこう語る。「私は美帆がいたからとても幸せだった。子育てはつらいこともあったけど、多くを学ばせてもらい感謝している。勝手に奪っていい命などない」【木下翔太郎、堀和彦】
相模原殺傷事件で犠牲になった女性の母親の手記(要旨)
「障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会」
大好きだった娘に会えなくなって3年が経(た)ちました。時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません。本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。
アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピングー等のキャラクターが大好きでした。きちんと外と家の区別をしていて、学校ではお姉さん顔をしてがんばっていたようでした。皆がやさしく接してくれたので人が大好きでした。
美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います。美帆の名を覚えていてほしいです。
名前を公表したのは裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。とても違和感を感じました。ちゃんと美帆という名前があるのに。娘は甲でも乙でもなく美帆です。
裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく、社会全体でもこのような悲しい事件が2度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたい。障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしい。障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います。
19才女性 美帆の母