MITメディアラボの失態に見る、スポンサーと研究資金の闇

先日、米国人の知り合いから「これはもう見たか?」とメッセージが届いた。

送られてきたリンクは、米ニュースサイトで掲載された「MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボの所長が危機的状況にある」という記事を紹介するツイートだった。そこには、「MITの学生たちが所長に辞任するよう求めている」とも書かれていた。

9月7日、MITは学長名で声明を発表。大学傘下の研究機関「MITメディアラボ」で所長を務めていた伊藤穣一教授が、所長職のみならず大学の教授職からも離れると明らかにした。その理由は、「少女への性的虐待疑惑で起訴された米富豪ジェフリー・エプスタイン氏(8月に自殺)から資金を受け取っていた問題で、同氏の性犯罪歴を知りながら、支援を受けた疑いが浮上した」(日本経済新聞9月8日付)からだ。

知人は筆者がMITに留学していたことを知っていたため、冒頭のメッセージを送ってきたのだった。知人とのやりとりではさらに「MIT全体だけでなく、メディアラボに関わっている企業も混乱しているだろうね」とも指摘していた。

この人物が言うように、メディアラボは民間企業とかなり密につながっている。また、米国大学の研究機関などに属する上級職員などは、企業やスポンサーから研究費を引っ張ってくる能力も重要になる場合がある。それは、先端技術などの研究をしていることで世界的に知られているMITのメディアラボもしかりだ。

ただ今回の件では内部情報が漏れ伝わり、同研究所の褒められない「暗部」も露呈している。そこで今回は、このメディアラボの一件をもう少し深掘りしながら、企業と研究機関の関係を探ってみたい。

なぜ“怪しい人物”からカネを受け取ったのか
簡単に今回の騒動を振り返ると、全ては、エプスタイン氏の事件に端を発する。2007年にフロリダ州で多数の未成年者と児童売春をしていた疑いで逮捕され、有罪判決を受けていた億万長者の彼は、今年7月にニューヨーク州でも少女への性的虐待の容疑で起訴された。彼の交友関係はビジネス界や政界に広がっていたこともあり、大きな話題になった。彼はビジネスなどでどこかに出掛けるときは、しょっちゅう若い女性を数人引き連れていたという。

すると、メディア報道が盛んに行われている中、エプスタイン氏が勾留施設で自殺するという急展開に。日本でも大きく報じられたために記憶にある人も多いだろう。

そんなエプスタイン氏と一見、接点がなさそうな伊藤穣一氏は、世界的に知られたMITメディアラボの所長というだけでなく、米ニューヨーク・タイムズ紙の社外取締役なども務めていた。そんな彼が、性的虐待で有罪になっていた人物とつながっていたというのだから、穏やかではない。米メディアの報道によれば、伊藤氏はエプスタイン氏から800万ドル以上の寄付を受け取り、さらにエプスタイン氏が所有していたカリブ海の別荘にも2度訪れていたという。

メディアはこの話に食いついて大きく報じたが、当初は伊藤氏を擁護する声も少なくなかった。

というのも、エプスタイン氏からカネを受けとっていたのは伊藤氏だけではなかったからだ。ハーバード大学の教授や有名科学者なども含まれており、ビル・ゲイツ氏も関与が指摘されている。研究者らの間では、研究費の寄付ということも考えると、伊藤氏のやったことは理解できるとの同情論もあった。

また伊藤氏の上司にあたるメディアラボ共同設立者で、ラボの権力者であるニコラス・ネグロポンテ氏が、伊藤氏にエプスタイン氏からの寄付を受け取るべきだとアドバイスしていたことが判明。この件が大騒動になった後の9月4日に、「今、当時に戻ることができたとしてもやはり『カネは受け取れ、受け取れ』と(伊藤氏に)言っただろう」と発言していた。もちろんこの発言を「暴言」であると否定的に見る向きもあり、学内やラボ内でも伊藤氏の辞任を求める声が公然と上がるようになっていた。

「スポンサーからカネを引っ張る」大事な仕事
すると、状況が一変する。米ニューヨーカー誌が、内部情報などをもとに、伊藤氏がエプスタイン氏からの寄付を問題だと認識しており、匿名で処理するよう内部に伝えていたことを示すやりとりなどを暴露した。というのも、エプスタインは過去に少女への性的虐待で有罪になっていたため、MITの規約で資金提供を受けられない要注意人物とされていたからだ。

これで一気に風向きが変わり、伊藤氏は直ちに辞任することになった。

ただ、ここまで世界的に人気がある研究機関なのに、なぜそんな怪しい人物からのカネを受け取らなければいけなかったのか。

ある米国人の研究者は、「スポンサーや寄付などを集めるのも、米大学関連の研究機関の上級職にある人の重要な仕事で、評価の要素にもなるからです。逆に研究資金を引っ張ってこれないと研究機関には残れないケースもある」と実態を解説する。

「メディアラボのような研究機関もそれは例外ではない」と言うのは、MITメディアラボの元関係者だ。

MITのメディアラボには、民間企業などから研究者がどんどん送られている。ただ寄付をしたりスポンサーになったりしたからといって、誰でも研究者を送り込めるわけではない。ラボの元関係者は、こんな内部事情を筆者に漏らす。「企業は多額の寄付をメディアラボに提供することで、研究者の枠をもらえるのです。その額によって、受け入れてもらえる人数も決められている」

もちろんそれぞれの企業からは優秀な人材が選ばれて派遣されるのだろうが、そういう形で短期研究をする人たちは、少なくとも筆者が留学していた数年前までは少なくなかった。世界的にも人気が高く、研究成果が世界的に評価されているメディアラボのような機関では、研究員になりたい人たちも数多い。応募はひっきりなしにあるというし、正面から研究内容で勝負してメディアラボに入ってくる研究者たちもいる。もちろん大学同士の提携などもあって、そのルートから来る人も少なくないことは、ここで明確にしておきたい。

スポンサーを見つけ、カネを引っ張るのは、この手の研究施設では教授など上級職にある人たちの大事な仕事だ。「助教授などだと、だいたい数年で結果を出さないと肩たたきにあう。ここでいう結果とは、スポンサーからの研究費のことです」と、元関係者は言う。

職員の中には、いつもスポンサーのことばかり考えていると漏らす人もいるくらいだ。スポンサーがもう少し必要だというような場合には「大変なストレスに押しつぶされそうになる」とも聞いた。

“汚いカネ”は有望な研究を妨げる
筆者は、メディアラボのような世界的な研究所に多額の研究費を寄付することは、法にのっとって処理していれば何ら問題はないと考えている。そうした資金をもとに、技術革新や研究開発が行われている場合があるのも事実で、結果的に、その恩恵を私たちも受けることになるからだ。

ただ性犯罪者だと知りつつ、寄付を無条件で受け入れ、隠蔽工作をするのはまずい。研究所の名を汚すだけでなく、純粋に研究開発のために多額の資金を提供して研究者を送り込んでいる民間企業にも、多大なる迷惑が掛かることになる。

メディアラボのような研究所は、「ダーティなマネーでも何でもバレないように受け入れている」という負のイメージが付いてしまうと死活問題になる。しかも研究所の設立者でもある大ボスが「今だったとしても、カネは受け取る」と言ってのけるのは、賢明ではない。大変な失言だと言えよう。

日本でも反社会勢力からお金を受けとれば、激しい批判が起きる。未成年者への性的虐待で有罪になっていたことが公に知らされている人物から、バレないように寄付を受けるのは、今の時代なら隠し通すこともできないだろう。

問題がさらに大きくなる前に、全ての責任を引き受けて早々と辞任した伊藤氏の判断はさすがである。メディアラボが負った傷は、まだ浅くて済んだと言えそうだ。

「暴言」を吐いたネグロポンテ氏が今も影響力を持つMITメディアラボ、次の所長がどういう方針を示すのか注目したい。

(山田敏弘)