大切な誰かを亡くした時、私たちはどのようにその悲しみを受け止めればいいのか。ライターの荻野進介氏が、知人の清美さん(仮名)から聞いたのは「大好きなおばあちゃんが亡くなった日」のことだった。
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青空をバックに、黄色に色づいたイチョウの並木。背後から一筋の煙が立ちのぼる。おばあちゃんが天に昇っていく……。清美は思わず目頭が熱くなり、ハンカチでまぶたを押さえた。
幼い頃から可愛がってくれていた、85歳の母方のおばあちゃんが危篤になった――。独り暮らしをしながら東京で働いている清美の携帯に、母から着信があったのが一昨日の午前10時過ぎのこと。おばあちゃんは脳梗塞を患っており、ここ2年ばかり、家から車で1時間ほどのところにある、地元の総合病院に入院していた。
会社を早引きして、家に帰り、実家がある町まで直通の特急が出ている新宿駅に着いた時点で、既に午後2時を回っていた。そこで母から再び着信があった。いやな予感がしたが、勇気を出して電話をとった。案の定、おばあちゃんが亡くなったという。
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底が抜けた気持ちのまま列車に乗り込み、ぼんやりと車窓を眺めた。左側に南アルプスがよく見える、大好きな場所を通過した。山々が夕陽を受け輝いている。思わず、額を冷たいガラスにつけて見入ってしまった。
その日、実家でおばあちゃんに対面した。部屋には線香の匂いが立ち籠めていた。白装束に身を包み、表情は穏やかで、眠っているようだった。おばあちゃん、間に合わなくてごめんね。清美は心の中でそうつぶやいた。
翌日の告別式では、長いこと顔を合わせていなかった叔父や叔母、従妹に会えたこともあり、悲しみが紛れたが、遺体が荼毘に付される翌々日は駄目だった。おばあちゃんが白木の棺に収められる時は見ていられず、思わず下を向いてしまった。火葬場でも、棺が炉に入れられる前に建物の外に出てしまった。
「姉さん」
振り返ると、従妹の優子が立っていた。母の妹の長女で、地元の高校を出て働き、はやくに結婚し、今はもう2児の母親だ。喪服の下のお腹は大きく、もうすぐ3人目が生まれるのだという。年はほぼ同じ、背格好も顔のつくりも似ているのに、対照的な人生を歩んでいる。
「おばあちゃん、逝っちゃったね。……姉さんはさ、おばあちゃんとの思い出というと、何がある?」
優子が尋ねる。
えー……。思い出そうとするが、なかなか出てこない。すると優子が「私はカレーかなあ」と言った。
聞くと、優子は子供の頃からカレーが大好物で、幼稚園児の時、おばあちゃんの家に一人で泊まりに行った際、夕食にはカレーが食べたいとせがんだそうだ。おばあちゃんは、ちょっと渋い顔をしたそうだが、夜にはちゃんとカレーが出てきた。福神漬けも添えられ、おいしそうだったという。
「でも、そのカレーに長ネギが入っていたの」
「カレーに長ネギ! あり得ない」
清美は思わず吹き出した。
「こんなのカレーじゃないって駄々こねたら、おばあちゃんがしきりに謝ってくれたの。おばあちゃん、昔おじいちゃんに買ってもらった料理書を引っ張り出して、その日、生まれて初めてカレーを作ったんだって。それで、近所に買い出しに行ったんだけど、玉ねぎを買い忘れちゃって、代わりにネギを入れたんだって。裏庭でたくさん作っていたから。それを知ったのはずっと後、高校生の時なんだけれど、なんだかしんみりしちゃった。おばあちゃんに悪いことしたなって。おいしいと言って食べてあげればよかった」
清美は思わず向こうを見上げた。青い空に煙はもうなかった。
火葬場のエントランスのあたりに人が出てきた。両親の姿も見える。納骨のため、墓地に行く時間らしい。優子も振り返り、二人で歩き出した。
帰京はその翌日だった。後ろ髪を引かれる思いがして、夕方の切符を取っておいた。昼前、母親が掃除に行くというので、実家からバスでおばあちゃんの家に二人で向かった。
母から荷物の整理を頼まれ、畳敷きのおばあちゃんの部屋に入ると、見覚えのある桐の箪笥があった。
下の4段は引き出しになっており、着物や帯、肌着が収納されていた。衣装箪笥はそこまでで、その上は引き戸になっていた。小さかった頃の清美はその引き戸に手が届くほどの背丈がなかった。でも今は箪笥よりも背が高くなったから、悠々と手が届く。
清美はそっと引き戸を開けた。思ったより雑然としている。
指輪が入っているらしい木箱、ネックレスが収まっているらしいプラスチックケース、手紙や葉書、アルバム。奥のほうに何冊か本もある。取り出してみると、すべて絵本で、見覚えがあるものばかりだった。『赤いろうそくと人魚』、『ねずみの嫁入り』、『龍の子太郎』……。その場に座り込み、1冊を取り上げて、ページをぱらぱらとめくっていく。そのうち、ふと気づいた。
すべての漢字に、鉛筆でルビが振ってあるのだ。赤い、青い、来た、走る、食べる、といった小学校1年で習うような初歩的な漢字を含め、ひらがな、カタカナ以外のありとあらゆる文字に――。
そこで思い出した。両親が共働きだった清美は、幼稚園や学校が終わると、ほぼ毎日、この家に来ていた。迎えにきてくれたおばあちゃんとバスに乗った。家に着くと、おばあちゃんはまずおやつをくれた。食べ終わると、絵本を読んでもらった。
一方、母からはこんな話を聞かされていた。おばあちゃんの生まれた家は農家で、父親が戦争で亡くなってしまったため、生活は苦しかった。おばあちゃんは小さいときから畑の手伝いをさせられ、小学校もろくに通わせてもらえなかったと。
今まで気づかなかったが、おばあちゃんはきっと、漢字が読めなかったのだ。でも、絵本好きの清美のために、一生懸命漢字を勉強し、絵本の一文字一文字にルビを振って、毎日、読んでくれたのだ。
清美は思わず絵本を抱きしめた。これは私の宝物だ。結婚して、子供が生まれたら、絶対これで読み聞かせをしてあげるんだ。
その絵本は今も大切に清美の本棚におかれている。
(荻野 進介)