つかの間の休日に穏やかな時間が流れる。柔らかな冬の日差しに包まれた東京都内の公園で、我が子と遊ぶ女性が優しい母親の笑顔を見せていた。子育てをしながら医師として忙しい日々を送る尹(いん)玲花さん(40)。母英子さん(当時44歳)を亡くした阪神大震災から17日で25年の月日が流れ、自らも2児の母となった。「普段は子供たちと接する時間が少ないので、休みの日は家族との時間を大切にしたい」と話す。
地震が起きた早朝、英子さんは店主をしていた喫茶店で開店準備をしていた。建物は倒壊し、下敷きに。3日後、自衛隊が来て英子さんを見つけた。神戸市長田区にあった尹さんの自宅も全焼。祖母と父、兄2人と尹さんは跳び起きて外に出たため、助かった。
英子さんは礼儀には厳しかったが、いつも大きな笑顔で人と接していた。習い事や塾など、いつもやりたいことを応援し、後押ししてくれた。休日には同じ洋服を着て買い物に出かけるほど仲が良かった。しかし、全焼した家には母の写真一枚すら残らなかった。英子さんの他にも可愛がってくれた近所の人や友人の命も奪われた。「家族が亡くなったり、家が火事になったり。なんでこんな惨めな思いをしないといけないのか」。当時、中学3年生だった尹さんにとって、震災は「あまりにも強烈でショッキングな経験」だった。
「生命を救う仕事に就きたい」。大事な人を亡くした経験が生かせると考え、医師を目指した。自宅跡地に建てられたプレハブ住宅で猛勉強を重ね、1浪の末、愛媛大医学部に合格。予備校から深夜に帰宅し、夜な夜な皿洗いや洗濯、掃除もこなしながらの受験生活だった。
大学生の時、友人の母が亡くなったことで自身の経験がフラッシュバックして1人でいられなくなり、1カ月ほど実家に戻ったこともある。地震のニュースがある度に気持ちが落ち込み、親を突然失った記憶に苦しめられることもあった。それでも、大学を卒業し、2007年から聖路加国際病院(東京都中央区)で乳がんの治療にあたる乳腺外科医となって目標をかなえた。震災の経験があったからこそ「一度死ぬことを覚悟し、極度のショック状態で孤独になる」がん患者に寄り添うことができた。神戸の予備校で出会った夫の横田輝夫さん(40)と10年に結婚。長男羚央(れお)ちゃん(3)と長女琉花(るか)ちゃん(1)を授かった。17年には病院の近くに乳腺専門のクリニックを開業した。
あれから四半世紀。尹さんは「母が突然亡くなったことを乗り越えることはないし、親を求める気持ちはこの年になってもなくならない」という。しかし、多くの患者から頼られる医師であり、妻であり、母となった。英子さんが亡くなった年齢にも近づいた。「突然命を失い、母はすごく後悔しているはず。だからこそ今、自分に何ができるか、子供に何をしてあげられるか考えるようになった。私は今、幸せだから、母は何も心配していないと思う」
神戸にもクリニックを開くという新たな目標もできた。これまで培ってきた技術やノウハウを生かし、生まれ故郷の乳腺外科医療に貢献したい。「心の中にはいつも神戸があります」。大好きだった母と過ごした大切な街を忘れることはない。【大西岳彦】