最後に語った夢、父子の証しの洋食店が10周年 東灘区の板倉哲也さん

神戸市東灘区で洋食店を営む板倉哲也さん(49)は、阪神大震災で父輝行さん(当時57歳)を亡くした。父との約束で始めた店はこの冬、開店10周年を迎えた。震災の約1カ月前、父は「脱サラ宣言」する息子に独立することの厳しさを説きながら、背中を押してくれた。17日早朝、仕込みを終えて東遊園地(神戸市中央区)を訪れた板倉さんは、父の名が刻まれた銘板に触れ、語りかけた。「店の経営は浮き沈みが激しいけど、なんとか10年もったで」
輝行さんは長田の靴職人だった。小学校しか出ていないが、自分の工場を持つまで成功した。しかし、板倉さんが生まれる前、経営難で工場を失い、多額の借金を抱えた。小学校の用務員に転じ、母チヅルさんも飲食店のパートを掛け持ちした。1989年にチヅルさんががんのため44歳の若さで亡くなると、男手一つで1男2女を育てた。「学がないと困るぞ」と板倉さんを山口県の私立大に進ませてくれた。
94年の年の瀬、板倉さんは輝行さんが1人で暮らす神戸市長田区若松町のアパートを訪ねた。東京で鉄鋼会社の営業マンだった板倉さんは「実は飲食がしたかったんや」と開業の夢を初めて打ち明けた。父は「店を持つのはしんどいぞ。そんなん知らんかったわ」と笑い、「おまえがやりたいようにやったらええ」と認めてくれた。父は当時、靴メーカーに再就職していた。「お互い頑張らんとな」。希望を語り合ったこの夜が、父子の最後の会話となった。
それから約1カ月後の95年1月17日、板倉さんが東京でテレビを見ると、長田の街が火に包まれていた。「これはあかんわ」。2日後、神戸に戻った。焼け落ちたアパートの前で途方に暮れていると、男性が「逃げ遅れた人がいる」と教えてくれた。父の部屋のあたりで石のような塊を見つけた。父の遺骨だった。
葬儀の日、震災前日に輝行さんと酒を飲んだ同僚から、靴職人として再出発するため、テナントを借りていたと聞いた。父の「決意」に突き動かされて、震災の9カ月後、会社を辞めた。神戸市内のフランス料理やイタリア料理などの店で14年間修業。2009年11月、念願の店を手に入れた。阪神青木(おおぎ)駅に近い住宅地の一角。偶然にも、輝行さんの本籍地のすぐそばで「おやじに導かれた」と思った。
店の名前は「Itasan(イタサン)亭」。近所の人たちから親子そろって「板さん」と呼ばれた愛称にちなんだ。妻啓子さん(49)と2人で切り盛りし、カウンターとテーブルの計17席は常連客らでにぎわう。和牛でだしをとった甘みのあるソースにこだわったハンバーグが人気メニューだ。
洋食店を開いたことには理由がある。小さい頃、神戸・三宮で父と食べたハンバーグ。デミグラスソースがかかり「家で食べるのと全然違う!」。父と味わった感動を、お客さんに提供したかったのだ。「この店はおやじが生きていた証し。体の続く限り店を続けたい」【阿部絢美】