「中学受験のときは両親が私の椅子の後ろに立っててね、背中に包丁を突き付けられながら勉強したんだよー」
大学時代、名門中高大一貫校に通うお嬢様女子大生から実際に聞かされた言葉だ。あんまり明るく言うものだから、私たちはみんな冗談だと思い、「怖っ」と笑い飛ばした。その場にいたのは、私も含め公立校育ちの地方出身者ばかり。塾通いをしたこともなければ身近に中学受験をする友達すらおらず、そこまで受験に入れ込む親というものを、リアルな存在として想像することができなかったのである。
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2016年8月、中学受験を控えた小学生の息子を父親が包丁で刺し殺した事件の一報を耳にしたとき、真っ先に思い出したのが、冒頭に挙げた知人の話だった。中学受験生に包丁を突き付ける親は、実在していたのだ。
かつては遠い世界のお話でしかなかった中学受験は、4人に1人が私立中学に進学する東京都で小学6年生の親をやっている身には、身近な話題となった。包丁こそ飛び出さないものの、中学受験後に離婚だとか、難関校を目指している子がクラスメイトの志望校をバカにしてひと悶着だとか、まあまあ穏やかではない話を耳にする。
Twitterを見れば、受験塾から日曜特訓代を含めてひと月に30万円以上引き落とされたという悲鳴のようなツイートが何千もリツイートされている。授業料がそこまで高額になるのは、中学受験をする小学6年生は日曜日ですら長時間拘束されていることを意味する。そうまでして、という言葉が口をついて出そうになるのは、私が無知なせいもあるのだろう。多くの親子が多大なリソースを割いて熱中するからには、それだけの理由があるはずなのだ。
「君達が合格できたのは、父親の『経済力』そして、母親の『狂気』」
カリスマ塾講師のこんな言葉から始まるのが、架空の中堅受験塾「桜花ゼミナール」を舞台にした青年マンガ『二月の勝者-絶対合格の教室-』(『ビッグコミックスピリッツ』2018年1月より連載中)である。ほらきた、狂気。おかしな教育ママと家庭に無関心なエリート父、受験マシーンに仕立てられた鼻持ちならない子供というステレオタイプな家庭像を即座に想像する。
読み進めれば、この予断はすぐに裏切られる。桜花ゼミナールの生徒、そしてその親の多くは、身近にいてもおかしくないほどごく普通のありふれた人々だ。
特に生々しいのが、第2巻に登場する武田勇人の両親の描写である。下位のRクラスに属する勇人は、学童代わりに塾に放り込まれただけの普通の男の子だ。勉強よりもゲームが好きで、成績もふるわない。
母の香織は勤続20年の優秀な美容部員だが、育児中というハンデと学歴(高卒)のため、店長にはなれずヒラのまま。仕事のできない大卒店長のミスのしりぬぐいを押し付けられる理不尽な日々を、心に蓋をしてやり過ごしている。勉強に乗り気じゃない息子に塾を続けさせているのは、学歴のないつらさを、誰よりも実感しているからだ。
土日も仕事である彼女は塾の面談の出席を夫に頼むが、夫はスマホゲームをしながら「俺は絶対に仕事抜けらんないから」「お前の仕事みたいに代わりがきくワケじゃないからさ」と取り合わない。夫の暴言にいら立ちながらも、彼女は「ぶつかるより飲み込んだほうがラク」と感情を押し殺し、笑顔で耐える。
優秀であるにもかかわらず、学歴と家事育児負担のために職場では低い地位に押しとどめられ、家庭では職場での地位の低さゆえに夫に見下されて家事育児を押し付けられる。香織は現代日本の「女性活用」を象徴する存在だ。
息子に春期講習を受けさせたいと相談した香織は、例によってゲームから目を離さない夫に「いいカモ」「資本主義のドレイ」とバカにされ、ついに怒りを爆発させる。
何がいいカモだあんたこそ画面のキャラに課金してんじゃねーよ。(略)子どもに「課金」して、クソ強いキャラに育てよーとして何が悪い。勇人にどんな敵でもラスボスでも倒せるクソつええ武器持たせたいんだよ。そのためなら、課金ゲー上等!!
香織を見くびってきた夫の言動にイライラしてきた読者としては、マンガ表現の巧みさもあって、よく言った! とスタンディングオベーションしたくなるシーンだ。しかし字面だけ眺めれば、どうかしている発言なのは否めない。母親の「狂気」を他人事として眺めるはずが、すっかりこちらが「狂気」に飲み込まれてしまっていることに気づく。
子供描写も、また巧みだ。下位クラスを「底辺」と見下す前田花恋は、鼻持ちならない中学受験生というステレオタイプそのものに見える。彼女は最上位のΩクラスに在籍し、女子校トップの名門・桜蔭中学を目指している。
彼女がエリート塾への転塾を考えていることを知ったカリスマ塾講師の黒木は、プライベートの姿で偶然彼女と出くわしたふりをして説得にかかる(2巻)。がんばりすぎを心配するそぶりを見せる黒木に「みんなと同じこと言わないで!」と食ってかかる花恋。黒木は動じずに、「『みんな』ああ、そうだよね ほんとに」と受け止める。
なんで「勉強ができる」って特技は「リレー選手になれた」とか「合唱コンクールでピアノ弾いた」とかと同じ感じで褒めてもらえないんだろうね?「クラスで一番足が速い」子を「みんな」が褒めるテンションで「クラスで一番頭がいい」子も褒めてくれればいいのに。(中略)「昼休みに真っ先に校庭に出てドッジボールをする子」のように。「私を褒めて」「私を見て」って思うよね?
黒木の言葉に、ポロポロ泣き出す花恋。勉強が好きで闘争心の塊である花恋は、教えられる前に解法を自分で編み出してしまうために学校の先生に疎まれ、クラスメートからも「頭いいアピール」「こないだもテストで満点って自慢してた」と陰口をたたかれてきたのだ。下位クラスを見下していたのは、彼らのほうが愛されることを知っている彼女の精いっぱいの強がりだった。
学校は「個人」より「みんな」が尊ばれる世界だ。「みんな」と同じであること、「みんな」のためにがんばること、「みんな」で団結すること。その空気の中では、自分のためだけにがんばる子は異物となる。「勉強できることが当たり前に褒められる世界」「『できる』ことを本音で話しても全然平気な場所」である桜花ゼミナールは、自分が自分でいられる唯一の居場所だったと、改めて花恋は気づく。
「花恋は女王様でしょ。少なくとも俺にとっては。そして桜花にとっても」と畳みかけて花恋を「オトす」黒木は、のちにこのやりとりを「今までもよく使ってきた手口」「赤子の手をひねるように簡単でした」とエリート塾の元同僚に語る。色恋営業さながらだ。
サッカー少年である三浦佑星が入塾したのも、黒木の言葉が決め手だった。「解こうと粘ったのがよくわかる答案です」「スポーツか何か――長い期間、取り組んできたものがあるのでしょう」「粘って頑張った経験のある子は、受験でも強いですよ」(1巻)。
息子にサッカー選手になる夢を託していた父親は、黒木とのリフティング勝負中、失敗した息子を怖い顔でにらみつける「結果がすべて」というタイプだ。特別な才能の持ち主ではないがまじめな佑星にとって、黒木は努力する過程を認めてくれた初めての大人だったのだろう。
「子どものうちは子どもらしく、思い切り体を動かしたり、チームワークを学んだり…」と渋る父親をよそに、佑星は中学受験を決意する。父親も黒木の言葉で、かなわぬ夢を息子に期待し続けるフラストレーションから解放され、凡人でも希望をかなえやすい中学受験を応援することになる。
窓から電車を眺めてばかりで授業に身の入らなかった加藤匠は、黒木から全国鉄道模型コンテスト常連の鉄道研究会のある高偏差値男子校を勧められ、中学受験への意欲を燃やし始める(1巻)。集団主義的な公立中学の部活には、オタクがのびのびと好きなことを追求できる部活があまりないことを逆手に取ったのだ。
小学校での人間関係がうまくいかずに不登校になった柴田まるみは、自由な校風で知られる女子学院の塾OGから、いじめがなく、人と違っていることがかっこいいとされる学校だと聞かされ、同校にあこがれを抱くようになる(4巻)。
しかし女子御三家の一つで偏差値70である女子学院は、偏差値50のまるみには高嶺の花だ。思い切って希望を黒木に打ち明けると、黒木は否定するどころか、海外ではユニークであることは最上級の誉め言葉なのだとまるみの志望校変更を肯定した。「個性を尊重するいい学校です」「柴田さんにとても合うと思います。頑張ってください」。
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黒木が笑顔なのにはわけがある。無理目の希望を持たせることで、系列の個人指導塾に囲い込み、「重課金」コースに誘導するつもりなのだ。
生徒を「金脈」、親を「スポンサー」、塾講師を「サービス業」だと言い切る塾講師としての黒木には、徹底的に「心」がない。香織が爆発したのも、香織が春期講習のお金を出したがらない夫に押し負かされそうなことを見抜いた黒木の差し金で、塾の女性講師が彼女との面談で夫への怒りを引き出した結果だった。
黒木は「子供は子供らしく」だとか「母は無私の愛情で子供に尽くすもの」だとかいった学校的な道徳を一切信じていない。親も子供もそれぞれに承認欲求を抱えた一個人にすぎないことを知っているからこそ、彼らが欲している言葉を的確に発し、金を引き出すことができる。しかし彼らは黒木の心無さゆえに、エンパワーされもするのである。
塾の中では常にクールな黒木が珍しく嫌悪をあらわにするのは、公立中学の内申書の話題になったときだ(4巻)。
少なからぬ親が私立中学受験を選択する理由の一つに、内申書への不安がある。公立中学から高校受験をする場合は内申書の点数が重要となるが、いじめで不登校経験のある子供や個性の強い子供には、内申書は不利にはたらく可能性があるからだ。言い換えれば、公立中学の内申書のおかげで中学受験塾は潤っている側面がある。
そのため「先生の目を見ると熱意が伝わる」「欠席は7日以内」「積極的に質問」「部活動で活躍(チームプレイ必要系が良し)」「生徒会活動も精力的にこなせるリーダータイプ」等と内申書で5を取るために必要なことを列挙する女性講師に、黒木は拍手する。親の不安をあおるのも、塾講師の仕事のうちなのだ。黒木は高校受験について聞かれて「大っ嫌いです」と即答する。
だって同じ学力の子が並んでたら、より「先生に好かれる生徒」のほうが有利なんですよ?かたや「中学受験」「本番のテストで点数をクリアさえすれば合格できる」明解で気持ちいいですね。私は中学受験が大好きです。
公立中学における内申書制度を「心の監獄」と表現する日本文学研究者の石原千秋氏も、まったく同じ理由で息子に中学受験させたことを、著書『秘伝 中学入試国語読解法』の中で語っている。
競争が避けられないものなら、それは学校の外で受験という形であった方がいいと、僕は考えている。僕が塾を否定しようと思わないのもそのためだ。内申書は論外にしても、ほんとうは学校は学業成績だけ付けたほうがよほどさっぱりするのだ。ところが、近代の国家のイデオロギー装置としての学校は内面も管理する。公立学校はそれが仕事でさえある。だとすれば、そこから逃れようとする人たちにとって、私立の中高一貫校は大切な存在なのだ。
公立中学でありながら服装・頭髪指導などを撤廃したことで話題を集めた千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長もまた、「忍耐」「礼節」「協力」といった内面を重視する日本の教育に否定的な立場をとる。発達に特性のある子供が排除されやすくなるというのが、その理由だ(『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』)。
『二月の勝者』は、中学受験を無邪気に礼賛するマンガではない(包丁が飛び出してもおかしくない教育虐待家庭も登場するし、災害時の避難も成績優秀者を優先するというエリート塾の講師の言葉にゾッとする人も少なくないだろう)。
だが本作が浮き彫りにするのは、「狂気」と呼べるレベルにまで子供や親を追い詰める外側の世界のおかしさだ。それは優秀な女性をスポイルする組織であり、学歴社会であり、なにより子供の「心」を査定する「近代の国家のイデオロギー装置としての学校」である。「心」無い黒木のやり方は、「心」を縛る公教育の陰画だ。テクニックは教えても内面までは踏み込まない受験塾という空間で、子供たちはそれぞれに内発的な動機を見出し、自律的に勉強に取り組むようになる。
受験塾になんとなく否定的な感情を抱いていた筆者のような読み手は、そんな子供たちの姿を見て、ラスボスは子供の心を型にはめこむ教育そのものであると思い至るのである。
日本の近代教育は、仁義忠孝を知育よりも優先すべきとする「教学聖旨」(明治12年)以来、一貫して知育偏重を戒め、徳育重視の方針を打ち出してきた。「国や郷土を愛する態度」まで評価する道徳の教科化で、内面を一律に管理する風潮はますます強まる一方だ。国家の制度は一朝一夕には変わらない。であれば、個を否定し「権威に従順な明るい良い子」を求める公教育になじめない子供たちが全力で逃げ出そうとするのも、親が子供の受験にのめりこむのも、理解できるのである。
それにしても、黒木はなぜそこまでして普通の親子から金をむしり取ろうとするのか。その理由の一端をのぞかせるシーンがある。私服姿の黒木が、風俗街にひっそり通い、水商売と思しき女性らの子供の勉強をボランティアでみているらしい描写だ(4巻)。引きこもりの子供の家を訪問する描写もたびたび登場する。
黒木が本当に救おうとしているのは、公教育から見捨てられた彼らなのかもしれない。比較的恵まれた都市部の子供たちは、私立中学受験によっていびつな公教育から脱出できる。では、そうでない子供たちは? おそらくその答えは、今後の展開で明らかになるのだろう。