福岡県の山間部「犬鳴峠」には、もう使われなくなった旧道と廃トンネルがある。かつて、その「旧犬鳴トンネル」のそばに、こんな看板がたてられているとの噂が流れた。
「この先、日本国憲法つうじません」
その不穏な文言を無視して奥に踏み入れば、ボロボロの小屋が点在する集落を発見するだろう。しかしそれには、命の危険を覚悟しなければならない。
いまだ山中に人目を避けて暮らす「犬鳴村」の住人たちに襲われるからだ。
「犬鳴村」とは、江戸時代より厳しい差別を受けたために閉鎖された謎の集落で、行政記録からも地図からも抹消されている。村人は今も自給自足で暮らしているが、非常に排他的であり、侵入者を発見したとたん、斧などで攻撃してくるという……。
もちろん、この「犬鳴村伝説」は、無責任なデマである。
もともと心霊スポットだった旧犬鳴トンネルに、おそらく1990年代、架空の「犬鳴村」にまつわる伝説が付け加えられただけだ。それだけなら、全国各地に点在するローカル怪談の一つに過ぎないはずなのだが……。
そう単純な話で終わらないのが、犬鳴村伝説の厄介なところだ。
この場所にまつわる噂や心霊話は、日本の怪談カルチャーにおいて、どこか別格扱いされている。旧犬鳴トンネルはいまだに「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれ、今年2月にはホラー映画『犬鳴村』も公開される。
2020年代の今もなお、犬鳴村伝説が人々の注目と恐怖を集めるのはなぜだろうか。
ここからは、犬鳴村伝説の成り立ちを簡単に解説していこう。
架空の「犬鳴村」のモデルとなったのは、かつて犬鳴川上流にあった集落だろう。しかしこの村は犬鳴ダム建設にあたり(1970年着工~1994年竣工)、ダム底に沈んでいる。住民は1985年に完成した移転先用の宅地、またはその他エリアへと次々に引っ越していった(参照『若宮町史』下巻)。
トンネルの方については、1975年に新道・新トンネルが開通したため、旧道および旧隧道の通行者はほぼ途絶えた。そして日本中で必ず起こる現象として、使われなくなった廃トンネルはあっというまに心霊スポット扱いされていく。
1979年、10kmほど離れた力丸ダムにて、女性の強姦殺人事件や、保険金殺人事件がたて続けに発生したことも影響しているだろう。とはいえこの時点では、ただの全国によくある心霊トンネルの一つというだけだったが……。
1988年末、決定的な事件が発生する。このトンネルを現場に、不良少年グループが「車を貸さなかった」というささいな理由で、地元青年をリンチの末に焼き殺したのだ。
この残忍な殺人事件はむしろ現実的な恐怖だが、「若者が殺された白いセダンがトンネルに出没する」などの怪談にフィードバックされ、心霊としての恐怖を煽っていく原因にもなった(ちなみに事件に関係した車は軽自動車で、セダンではない)。
その後も、肝だめしに来た若者たちが自動車事故にあい、死亡や重軽傷を負うケースが2件発生(1992年および2001年)。これもまた「犬鳴の祟りにあった」という解釈を呼び、交通事故や不良に襲われるという現実的な恐怖と、心霊的な恐怖がドッキングされる。こうして旧犬鳴トンネルは「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれるようになったのだ。
それと並行する形で、「犬鳴村」についての噂もまた1990年代~2000年代初めにかけて醸成されていく。
現在、この伝説について簡単に確認できる最古のネットログは、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)にて1999年10月30日にたてられたスレッド「犬鳴峠」だろう。
そこにはまず、当時のテレビ番組『特命リサーチ200X』(日本テレビ)のサイト上、調査依頼ページからコピーされた文章が貼られている。「匿名希望」の投稿者からで、リクエストのお題は『日本に在って日本でない村』。
投稿者によれば、犬鳴峠のあぜ道の先には地図にない村があり、「この先、日本国憲法つうじません」といった立て札が掲げられている。知り合いが車で訪れた際「キレた(イった)目」をした4、5人の男に斧を持って追いかけられた。「プレハブ小屋」や「ボロボロの木で戸を打ち付けられた家」を見た知り合いもいる。そこは「江戸時代以前とても酷い差別を受けていていつからか外界との接触を一切断」った村で、現在もなお「警察や国家権力の介入ができない『特別なんとか保護(?)地域』なんだそうです」などなど……。
現在まで語り継がれる犬鳴村伝説の要素が、ここで全て出そろっていることがわかる。同文章は今でも簡単に検索できるので、なるべく全文を一読してもらいたい。
まだ福岡近郊のローカルな噂ではあるが、この時点で、犬鳴村にまつわる伝説の基本形態はつくられていた。
例えば2000年9月18日付で、読売新聞が犬鳴峠の心霊スポット化をとりあげた記事が参考になるだろう。
記事内では、旧犬鳴トンネルの心霊の噂は、やはり廃道となってから始まったと推察しつつ、「そのころ、旧道付近に“夜の住人”たちが出没していて、これが幽霊話に転化した」という地元産業建設課職員の談話を続ける。
「旧道沿いの山中にホームレス数人が小屋を建てて住み、漢方薬店から依頼された業者が、夏の夜間、付近にテントを張り、夜行性のマムシを求めてさまよっていた――というのが、幽霊の正体だと指摘する」(2000年9月18日 読売新聞 西部夕刊「遠望細見」)
ホームレスたちの小屋に、山中にたてられたテント……。先ほどの投稿文にあった「プレハブ小屋」や「ボロボロの木で戸を打ち付けられた家」、そして犬鳴村の謎の集落とは、これらを見間違えていた可能性が高いのではないだろうか。
そして犬鳴村伝説のシンボル、「この先、日本国憲法つうじません」の看板について。
心霊スポットサイト「朱い塚」管理人の塚本守氏は、福岡出身でもあり、まだ噂がローカルだった当時の状況をよく知っている。
塚本氏によれば、その頃の犬鳴峠付近の住人は、若者たちの「心霊スポット突撃」により発生するトラブルに頭を悩ませていた。廃車の不法投棄の他、肝だめし中のポイ捨て、面白半分にマネキン人形などを置くケース(次に来たものの恐怖を煽るためだろう)もあり、一帯にゴミが散乱していく。また暴走族の集会や、畑を荒らす行為も頻発していたという。
業を煮やした住人らは、「監視カメラ作動中」「警察に通報します」など、違法行為を警告する看板を設置。中にはかなり強い文言を手書きしたものもあったようだ。皮肉なことに、それが伝説の要である「この先、日本国憲法つうじません」という看板のイメージにつながったとも推察できる。
また「実際に、日本国憲法通じませんの看板がたっていたという証言も、複数名から聞いています」(塚本氏)ともいう。「肝だめしの若者がイタズラで」もしくは「地元住民がイタズラに耐えかねて」例の看板が設置されたとの話は、90年代前半から出回っていた。ただし少なくとも、塚本氏が現地を訪れた1996年には看板は撤去されていたらしいので、正確な真偽のほどは不明だ。
これらの光景を、肝だめしにきた若者たちが目撃していた。そしてまた彼らが街に帰った後、大げさにその情報を語りまわっていく。そうした伝言ゲームにより、犬鳴村の歪んだ噂が形成されていったのだと考えられる。
1990年代後半には、地元福岡の若者の口コミで、あるいは2ちゃんねる誕生前のネット空間において、犬鳴村にまつわる噂はささやかれていた。
そしてこの噂が全国区に広まったのは、90年代末から2000年代初頭。言わずもがな、日本におけるインターネットの普及・発展と足並みを揃えて、ということだ。
中でもやはり、1999年5月の2ちゃんねる創設と、同年10月にたてられた「犬鳴峠」スレッドの影響は強かった。先述した匿名希望者の投稿依頼文がインターネットに拡散することで、犬鳴村伝説は福岡のみならず日本中へと広まっていったのだ。
その後もしばらく、2ちゃんねるや個人ホームページなどにおいて、犬鳴村にまつわる考察が積み重ねられていく。中には現地取材するものがいたり、想像をふくらませた枝葉を付け足すものもいたり……。
犬鳴村という物語が持つ「隠されているが本当にあるかもしれない、リアルな恐怖」は、インターネット普及期のコンテンツとしてピッタリだったのだろう。「ずっと隠されていた謎が、インターネットという情報革命により暴かれていくのではないか」という無邪気な期待。90年代末からゼロ年代初頭にかけては、そうした時代の空気が確かにあった。
(※同時期のネット伝説にはもう一つ「杉沢村」という重要トピックがあるのだが、ここで触れる余裕はない)
当時のネット住民たちが熱く議論・検証し、あるいは自分たちで情報を肉づけしていった物語こそが、犬鳴村伝説だったのだ。こうした良くも悪くも膨大なエネルギーがこめられた噂は、もはや成熟してしまった現代ネット社会では起こりえないだろう。短期間で消費され忘れられていく、ここ最近のオカルトネタと比べれば、ある意味でうらやましくもある。
駆け足の記述となったが、以上に挙げた諸要素によって、犬鳴村伝説はつくられ広まっていったのだろう。
現場付近における多くの事件・事故の発生。ホームレスやマムシ採り業者、不法投棄の注意看板など、誤解を生じさせる目撃情報。そしてなにより、インターネット普及期における独特の熱気。
最恐心霊スポットとしての旧犬鳴トンネル、そして架空の犬鳴村は、これら多くの偶然が重なって生まれた。そして、ここまで数奇な偶然が重なる場所は、日本全国を探しても他に見当たらない。
だからこそ、犬鳴村伝説はいまだに人々に語り継がれているのではないだろうか。
『禁足地巡礼』(扶桑社新書)では、全国の禁足地を取り上げたほか、大流行したネット怪談として犬鳴村伝説についても触れている