東日本大震災で90人近くが犠牲になった岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)地区には、津波に耐えた樹齢約80年のポプラの木が立っている。地元では「ど根性ポプラ」と親しまれており、市は復興のシンボルにしようと、木の周りを広場として整備した。今は地元住民の交流の場になっている。
ポプラは高さ約25メートルで、三陸鉄道リアス線の三陸駅から約350メートル離れた海のそばに立つ。市内だけで50人以上が亡くなった1960年のチリ地震津波でも流されなかった。
震災前、ポプラの木がある場所には、熊谷隼子さん(1月に死去)が住んでいた。義妹の厚子さん(75)によると、隼子さんの母が苗木を植えたところ、予想以上にぐんぐん伸び、30年ほど前、落雷を心配して「伐採しようか」と家族で話し合った。最後は厚子さんの娘が「残してほしい」と訴え、見送ったという。
9年前の震災では津波が木の半分の高さまで達し、押し波や引き波に何度もさらわれそうになった。周囲の建物はすべて流され、地区で88人が犠牲になったが、ポプラは耐え抜いた。
震災後、市と住民が今後の町づくりを話し合う中で、住民から「ポプラの木を中心に広場にしては」という声が出た。土地の所有者だった厚子さんは2017年、「ポプラを残すこと」を条件に、大船渡市に引き渡した。
市がポプラの周りにベンチやトイレを整備し、翌年5月、その名も「ど根性ポプラ広場」が完成した。熱気球を上げる復興支援イベントが開かれ、地域の人たちの憩いの場になっている。
厚子さんは、暖かくなってポプラが緑の芽を吹くのを楽しみにしている。「こんなに立派になるとは思わなかった。これからも勇気や希望を与え続けてほしい」と願っている。【川崎健】