【消えた核科学者 警察庁拉致関係リストの真実】#1
プルトニウム製造係長 竹村達也さん
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インタビューを終え、ノートを閉じて席を立とうとした時、その科学者は私を呼び止めた。
「君は事件取材の経験はあるの?実は、相談があるんだ」
2012年夏、私は東京・港区のオフィスの一室にいた。朝日新聞の記者として、東日本大震災後の原発のあり方を取材しにきていたのだ。取材相手は旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)の科学者の男だ。
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北朝鮮による拉致の目的とは何か。日本は核を扱う資格がある国家なのか。彼の告白から、私はそのことを問う8年間の取材に入ることになる。
その科学者は、1960年代から動燃で原発の研究に打ち込んだ男だ。今でこそ逆風の原発だが、当時は違った。
「原子力を核兵器としてではなく、日本経済を支えるエネルギーのために使うんだ」
そんな心意気に満ちていたという。
なぜ、「事件取材」の経験が関係あるのか? 私が「自分は何でも屋でいろいろな取材をしてきました。殺人とか汚職とか事件取材の経験もあります。何か事件があったんですか」と尋ねると、彼は切り出した。
「動燃の同世代の科学者で同窓会をすると、話題になることがあるんだ。この前もそのことが話題になった」
「実は私たちの上司でプルトニウム製造係長を務めた竹村達也さんが、1972年に茨城県東海村にある動燃の独身寮から失踪したんだ。北朝鮮に拉致されたのかもしれない。私より10歳くらい上かなあ、生きてたら80歳近くだね。このことが今でも気になって頭の中にこびりついている」
私は帰る準備のために閉じたノートを再び開いた。
プルトニウムは核兵器の原料だ。その製造に携わっていた人物がいなくなれば、核技術が漏洩するリスクが高まる。パキスタンのカーン博士による「核の闇市場」を通じ、北朝鮮に核技術が伝わったと2004年に発覚した時は、国際問題になった。
彼は続ける。
「竹村さんは乗っていた車を独身寮の駐車場に置いたまま、いなくなっちゃったんだ。カローラなのにナンバーが『3298』で『ミニクーパー』と読める。印象深くて、よく覚えているんだ」
ただ、失踪自体は珍しくない。借金や女性問題での失踪はよくある。だが彼は、竹村さん失踪当時、茨城県警の刑事から「忘れられない一言」を聞いていた――。=敬称略(つづく)
(ワセダクロニクル編集長 渡辺周)