「自粛警察」になってしまう人たちの心理とは

緊急事態宣言にともなう自粛要請が長期化するにつれ、「自粛警察」と呼ばれる動きが活発になってきている。公園にいる子どもに「うるさい」と怒鳴る、外出や買い物を「店シメロ」→「店シメロ」「次発見すれば、警察を呼びます」などと張り紙をする、また県外ナンバーの車はあおり運転の被害に……。他にも、ツイッターやSNS上での非難の書き込みも相次いでいる。
それにしても自粛警察なんて呼び名、いったい誰が名付けたのか?
「不謹慎狩り」「犯人探しこそが正義」……タイプ別自粛警察
差別を生む、嫌がらせになるとして、専門家らは冷静になるよう呼び掛ける。だがなかば揶揄として“警察”と名付けられたことで、彼らの正義感が助長されてしまった感もなくはない。実際、警察に通報があったという話も聞くほどだ(法律に反していなければ、通報したところで意味はないのだが)。
さて自粛警察と一括りにしているが、そこにはいくつかのタイプが存在すると思われる。1つは新型コロナウイルスの感染拡大以前から、「不謹慎狩り」と呼ばれていたような行為を行う人々だ。震災が起きたのに「楽しそうな画像をアップした」、「コメントしたのは不謹慎」などと芸能人などをバッシングしていた。ネット上では「社会正義の戦士」と揶揄されることもあり、彼らの正義感に深い信念はなく、ひたすら不謹慎だと自らが判断する人を見つけ出し叩く。
2つ目は、自粛警察の行為が犯人探しのゲームのような感覚になっている人たちだ。先日、帰省先の山梨県で感染が確認された後、都内の自宅へ高速バスで戻っていた女性のケースでも見られた。県が女性の行動を公表したこともあり、誹謗中傷だけでなく名前や勤務先等を特定しようと情報が飛び交った。誰がいち早く犯人を捜し出せるのか、ゴールにたどり着けるのかが過熱していき、「犯人探しこそが正義」という考えから、自己の行為を正当化し過大視する傾向が強い。犯人探しに自分が貢献しているという充実感やワクワク感、情報を得て公表できたという達成感などがたまらないのだろう。
第3の自粛警察「緊急事態宣言でデビュー」型
3つ目は、緊急事態宣言によってデビューした“いわゆる自粛警察”の人たちだ。中には上記2つのタイプも紛れ込んでいる。自粛要請に応じているかどうかを監視し、取り締まる行為を行う彼らは「行き過ぎた正義」、「正義の暴走」、「歪んだ正義」とされ、正義中毒とも呼ばれる。
「正義」は「公正」と同義とされることも多い。政治哲学者のジョン・ロールズによると、正義は平等な自由と公正な機会均等だという。緊急事態宣言により平等な自由は失われ、自粛要請に従わない人たちとの間で不公正が生じている。自粛警察の正義の根底には、奪われた自由への不平不満と、それによって膨れ上がる不公正感が沈んでいる。
「不公正感受性」や「モラル正当化効果」
では、普通の人たちが正義を暴走させるのはなぜか。彼らはおそらく要請に従って“自粛”し、自宅でじっと巣ごもりし“我慢”している人たちだ。不平不満に不公正感、先行き不安に感染への不安、我慢も限界に近くなりストレスは積もるばかり。なのに発散するための手立ても、解消するための方法も見つからない。
これら自粛によるストレスで「不公正感受性」が敏感になった可能性もある。すると相手の状況や言い分などに関係なく、不公正に対し直感的、感覚的に反応してしまう。否定的感情を抱き、いつもより攻撃的な反応を起こしやすくなる。否定的感情も溜まりきったストレスも、吐け口を求めているのだ。
同時に自分たちは我慢している、我慢しているからこそ、利己的な人たちの行動が許せなくなってくることもある。人は結果的に自分が不利益を被っても公平性を切望し、自分勝手と思う人たちを罰したいという欲求を持っているからだ。
「モラル正当化効果」が働いた側面もあるかもしれない。自粛というモラルに適った「善い行い」をしたと思った後は、「少しぐらいなら気を緩めてもいい」、「モラルに欠けても許される」という気になって、普段だったらやらない行為をしてしまいやすくなるといわれている。
「後悔をしていただくようなことになればいい」
彼らの歪んだ正義を後押ししたものは何だろう。自粛警察の動きはGW前、先月下旬から多く見られるようになった。各自治体の首長らは、県外からの帰省客や旅行客の流入を防止するため「今は来ないで」と発言し、「社会的ジレンマ」に危機感を募らせていた頃だ。社会的ジレンマとは、個人が利己的に動き利益を追求することで、集団の利益の損失を招くという状況のことをいう。呼びかけるだけで法的には何もできない首長らに代り、利己的に行動する人々を罰してやろうという自粛警察の正義感が反応したのではないだろうか。
「声をかけられた人がまずいところに来てしまったな、と後悔をしていただくようなことになればいいと思っています」
中でも4月24日の記者会見で、岡山県の伊原木隆太知事が述べた発言はインパクトが強かった。GWに高速道路のパーキングエリアで、職員らが県外ナンバーの車に乗った人などに検温を行うと発表。“後悔”という言葉を使ったため、罰や制裁的な意味合いが強くなったのだ。苦情が殺到し、結局実施されなかったが、オフィシャルな動きによって自粛警察が正義感を振りかざすことを正しいと思わせた感は否めない。
自粛要請に応じず営業するパチンコ店の名前を知事らが公表するという動きも、自粛警察の正義感を後押しする。特別措置法第45条では、休業要請の指示に従わずとも、行政がペナルティを科すことはできない。社会的に共有された新しいルールに反する者に対する怒りや憤りは、彼らの正義感をポジティブに活性化し、世を乱す者に制裁的攻撃を与える傾向を強めさせる。
緊急事態宣言を出した後も政府の対応は遅く、その判断はお世辞にも公正とはいえないが、国民には自粛と行動変容を求めている。皮肉なことに、自粛警察が蠢きだし活発化したのも、一種の行動変容なのかもしれない。
(岡村 美奈)