普賢岳噴火から29年 「あなたも天国で頑張ってね」 各地で遺族ら黙とう

死者・行方不明者43人を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から29年となった3日、被災地の同県島原市では各地で追悼行事があった。発生時刻の午後4時8分には市内にサイレンが鳴り響き、市民らが犠牲者に黙とうをささげた。
1991年6月3日の大火砕流では、消防団員や報道関係者らが逃げ遅れて犠牲になった。消防団員の詰め所だった「北上木場(きたかみこば)農業研修所」跡では、遺族らが参列して発生時刻に手を合わせた。
長男の誕生後すぐに命を奪われた消防団員、佐原俊秀さん(当時26歳)の妻次子さん(55)=島原市=は「ここに来る度に『私たちも頑張るから、あなたも(天国で)頑張ってね』と声を掛けています」と声を絞り出した。消防団分団長だった山下日出雄さん(当時37歳)を亡くした妻睦江さん(64)=同=は孫3人を連れて訪れ「夫は生きて孫に会えず無念だろうけど、私たちを見守ってくれていると思う」と語った。
多くの犠牲者が出た報道関係者の撮影ポイント「定点」にも遺族が訪れた。テレビ長崎のカメラマンだった坂本憲昭さん(当時44歳)の妻多喜子さん(68)=長崎市=は「ここを訪れることができるようになったんは数年前。昨日のことのように当時を思い出す」と声を震わせた。
普賢岳は90年11月17日、198年ぶりに噴火。91年6月3日の大火砕流で消防団員や報道関係者ら43人が犠牲になった。噴火活動が終息した現在も、噴火で生まれた溶岩ドーム(平成新山)周辺の952ヘクタールが立ち入り禁止の警戒区域となっている。【近藤聡司、中山敦貴】