記録的な豪雨により、大規模な冠水が発生した福岡県大牟田市では、大雨特別警報が出た6日夜に避難所となっていた小学校が浸水して孤立。迫りくる泥水の中、取り残された児童や避難してきた付近住民らが不安な一夜を明かした。8日になって、ようやく雨が上がったが、変わり果てた街の姿に人々は言葉を失った。
(松崎翼、石原颯、花輪理徳)
地元住民や市教育委員会によると、避難所に指定されていた市立みなと小学校(同市上屋敷町)では、雨脚が強くなってきた6日午後2時半ごろから、全児童の保護者に、児童を迎えにくるよう要請する一斉メールを送信。残っていた児童を体育館に集合させた。
福岡県などに大雨特別警報が出たのは、メール送信から約2時間後の午後4時半。そのときにはすでに校舎に水が入り始めていたという。校舎には児童と教職員に加え、付近の住民も次々と集まってきていた。
水位の上昇はその後も止まらず、全員で2階と3階へ移動した。1階は、げた箱や机が浮いてしまうほど浸水した。
「ママたち大丈夫かな」。不安げな表情を浮かべ、目に涙を浮かべる児童。遅くなって迎えにくる保護者もおり、最終的に22人の児童が校舎に泊まった。教員らは「心配せんでいいから」「先生がいるから大丈夫」と励まし、段ボールベッドなどを組み立て、一夜を過ごした。
この日避難してきた住民らは約80人。気持ちは、児童らと同じだった。
小学校近くに住む松木和子さん(39)は同日夕、「自宅より学校にいたほうが安全」と考え、小学4年の次男(9)や三男(1)ら家族計6人で同校に集まった。
三男に熱があったことから、新型コロナウイルスの感染防止対策として一家6人だけ2階の図書室に隔離された。変電設備が故障して停電したため、校内の電気はつかず、三男に与える薬もない。「寝付けずに窓の外を見ていたが、ピーク時はグラウンドの一番大きい鉄棒がわずかに見えるだけ。不安が募った」。松木さんはこう振り返る。
翌朝、自衛隊員らが救命ボートで校内に残された人々を救助した。体調を崩した児童はいなかったという。同校の馬(ま)籠(ごめ)秀典校長は「何度も避難所として開設したが、こんなにも被害が出たのは初めて。人命第一に行動したが、児童も素直に指示に従ってくれたので何とか乗り切ることができた」と話す。
住民らによると、同校のほか、同市上屋敷町の三川地区公民館も1階が水浸しになり、避難してきた100人以上が2階と3階部分で救出を待った。
学校や公民館周辺は7日まで浸水が続いたものの、8日には雨もやみ、ほとんど水も引いたため、住民らはようやく片付け作業を始めた。同市三川町の無職、原安江さん(79)は「1階のほとんどが一時水につかり、家具が散乱した。室内に残った泥からはガソリンのようなにおいもする。1人ではどうしようもないし、どこから手をつけていいかも分からない。もうここには住めないかもしれない」と言葉少なだった。