日本で最上級の道路である国道。国の根幹となる道路だけに、整備が行き届いているイメージを持っている方が多いだろう。しかし、そんなイメージとは裏腹に、道幅が狭く、舗装は剥がれ、路面に落石が転がっている酷い状態の国道、すなわち“酷道”も存在する。
そんな酷道の中でもトップクラスに酷いのが、四国の439号だ。
国道439号は四国を横断しており、徳島市から高知県四万十市を結ぶ、一部界隈からは“ヨサク”の愛称で親しまれている道路だ。道の酷さもさることながら、総延長348キロという距離が、ドライバーを精神的に追い詰める。そして、わざわざ精神的に追い詰められるために四国を訪れるのが、“一部界隈”こと我々酷道マニアだ。
落ちたらまず助からない!
私も数年前に、ヨサクを全線走破したことがある。夏真っ盛りのなか、お盆休みを全て費やす覚悟で、岐阜の自宅を出発したのだ。
翌朝、意気揚々と徳島市街地からスタートしたが、走り出してから1時間もすると、早々に対向車との離合が難しくなってしまった。さすがは酷道だ。
美馬市木屋平の集落を抜けると、ヨサクは徳島県の最高峰・剣山に差しかかる。この剣山の麓には、“コリトリ”という珍しい地名がある。
沿道にある剣山龍光寺の住職によると、ここ龍光寺は山岳信仰のお寺で、修験道の山として古くから知られる剣山への入口になっている。そして修行者は剣山に入る前に、心身の垢を落とす必要があり、そのための水場が“垢離取(コリトリ)”だった。かつては国道沿いに垢離取があったが、1976年に発生した土砂災害によって消滅し、地名だけが残ったようだ。
そんな急峻な剣山を越える道は、やはり過酷だった。ガードレールはあるものの、対向車とすれ違うのは困難で、恐ろしいほど眺めが良い。眼下の谷まで、数百メートルはあるだろうか。万が一落ちてしまったら、まず助からないだろう。スピードを落としながらの、慎重な運転が求められる。
酷道における“束の間の休息”
やがて剣山の登山リフト乗り場が近づいてくると、お土産物屋が軒を連ねていた。標高1400メートルの酷道沿いに、複数のお店があり、営業しているというのは、何とも不思議な光景だ。ここを過ぎると、道は峠を下りはじめる。
難所を過ぎると道はなだらかになり、集落が点在するポイントに差し掛かる。その中には、リアルすぎる“人”が畑の中に佇んでいる「かかしの里」という名所もあった。
とはいえ、ここは酷道だ。なだらかな道はすぐに終わり、また次の峠に差しかかる。ヨサク最大の見せ場・京柱峠だ。
本当にここを車で走るのか……?
ここは先ほどの剣山とは路面の様相が大きく異なっている。舗装は剥がれ、それを覆い尽くさんばかりの落ち葉が堆積している。道幅は車1台分ギリギリで、対向車が来たら途方に暮れることになる。また、木々が茂っているため、辺りは昼間でも薄暗い。林道にしか見えないが、これでも立派な国道なのだ。
ここまで徳島県を走ってきたが、この京柱峠が県境となる。峠から見えるのは、これから走る高知県の山々だ。酷道を走っていれば、山々を見下ろす絶景に出会うことも少なくない。今回も雄大な眺めなのだが……しかし、京柱峠からの光景には、何か違和感があった。
しばらく考えていると、違和感の正体に気付いた。よく見ると、山の所々に民家が点在しているのだ。通常、山深い峠では、民家など1軒も見当たらない。それがここ四国では、こんなにも一面の緑の中に民家がポツンポツンと存在している。
気になったら、行ってみるしかない。京柱峠を下りつつ、そこにはどんな人が住んでいるのだろうかと、想いを馳せた。そして1日目の酷道ドライブはここで終了することにした。
“ポツンと一軒家”を訪問してみると……
翌朝、私は早速コースアウトして、山の中腹にある集落を訪れた。たまたま表に出ていたお婆さんがいたので話を聞いてみたところ、親切にもこの集落の歴史を教えてくれた。
もともとここには何百年も前から集落があり、お婆さんが嫁いできた頃にも6軒のお宅があったそうだ。当時は各々の作物や家畜などを融通し合って生活していたが、それでも手に入らない物を買いたい場合には、街に出る必要があった。そうしたときは何時間もかけて街まで歩いていたが、それでは不便だろうと、車が通れる道路を行政が造ってくれた。
しかし、皮肉にも道路が出来ると、みんなすぐに街へ引っ越してしまった。道路が出来てから20年が経ち、集落に残ったのは2軒のみ。当然、物々交換での生活は成り立たなくなり、買い物の度に街に出なければならなくなった。とはいえ、タクシーを使うと往復で1万円ほどかかるという――。
道路を造ると人が流出し、それがさらなる過疎を生む。そんな現象は、日本中あちこちの集落で発生しているのだろう。
さらに幾つかの集落を訪れているうちに、2日目もすっかり日が暮れてしまった。
獣道を登って“廃村間近”の集落へ
最終日の朝、私は高知県いの町にいた。峠からは山の上に民家が見えたが、どうしてもそこに至る道が見当たらない。そこで地元の方にルートを尋ねてみると、車道はなく、獣道しかないらしいことがわかった。昔は集落があったが、今は1軒しか残っていないそうだ。
そこで私は車を降りて、教えてもらった獣道を歩いてみた。急な上り坂が延々と続き、炎天下で体力を奪われる。汗だくになりながらも小一時間で集落に到達したが、住人が在宅しているとは限らないし、在宅していたとしても話が聞けるかどうかはわからない。
ドキドキしながら歩いていると、ちょうど畑仕事をしているお婆さんの姿が見えた。突然の来訪をお詫びしつつ、事情を説明し、趣味で岐阜から来たことを伝えると、木陰に腰かけてゆっくりとお話しすることができた。
ここは一度、無人集落になっていた
お婆さんによると、この集落にはかつて数十軒のお宅があったが、全世帯が移転し、一度は無人集落となってしまったそうだ。実はお婆さんもそのときに街に引っ越したが、結局は生まれ育ったこの集落に、一人で戻ってきたのだという。そこには、郷愁とともに、息子夫婦に対する気遣いも感じ取れた。
つい話し込んでしまい、気が付けば2時間が経過していた。その間にすっかり汗も引き、美味しい湧き水をいただいて山を下りた。
下山後、久々にヨサクをロングドライブし、最後の難関・杓子峠に到達した。道幅は狭く、路面は苔むしているが、ここまで来るともうすっかり見慣れた光景になってしまった。なんなら、少し物足りないぐらいだ。難なく峠を越えて、旧中村市街へと入ってゆく。久しぶりにみる大きな街に興奮しながら、国道439号の終点に到着。これで、今回の旅は終わった。
酷道はゆっくりと走ることしかできないが、だからこそ見える風景や、人との出会いがある。ヨサクは、単に道が酷いというだけではなく、人の生活とも密接に関わっていた。そこに暮らす人々との距離が近いというのも、ヨサクの大きな魅力に繋がっている。このときも、突然訪れた私に対して、沿道の方々はとても親切にしてくださり、そして色々な話を聞かせてくれた。本当に、感謝しかない。
精神的に追い詰められるにも関わらず、何度でも訪れたくなる酷道。ヨサクにまた、会いに行こう。
撮影=鹿取茂雄
(鹿取 茂雄)