10月2日朝刊の「声」欄に、静岡県の73歳の主婦による「第五福竜丸事件 伝え続けたい」と題する投書がある。
9月23日は、1954年の米国による水爆実験で亡くなった、マグロ漁船員、久保山愛吉さんの66回目の命日とのことで、静岡県焼津市では米国の若者が制作した映画が上映されるなど、集会が行われたという。
この女性は元乗組員の親族で、被曝(ひばく)国でありながら、核兵器禁止条約を批准しない日本の状況を、「愚かさ」と表現して批判し、この事件が忘れられてはならないと訴えている。
この投書には、ビキニ環礁という実験場所の名称は出てこないが、私が核問題について、以前から非常に不思議に思っているのは、「ビキニの水着」という言葉が平気で使われていることである。この状態は、核問題が大きく取り上げられる割には、本当は真剣に捉えていない証拠なのではないのかと思えてしまうのだ。ちなみに、女優の吉永小百合さんも「ビキニの水着」と言うのだろうか。
私が考える第五福竜丸事件の意味とは、広島・長崎の原爆投下によるだけでなく、核兵器の実験によっても被曝者は発生したのだ-という、厳然とした事実である。世界では原爆・水爆を作り出すために各国で核実験が行われたのだから、そこには必ず大量の被曝者が生み出されたはずである。
その意味で日本でしばしば用いられる、「唯一の被曝国」という表現は、必ずしも正確とは言えないのではないか。
それでも、太平洋における米国やフランスの核実験による被曝については、それなりに情報が出されているようである。
従って、最も知られていないのは、自由のない共産主義国家である、中国の場合であると考えざるを得ない。
中国は64年10月、日本で東京オリンピックが開催されていた、まさにその時、最初の核実験を行った。実験場は新疆ウイグル自治区のロプノールである。
80年まで中国では多くの核実験が行われたが、被曝者に対してどんな対策が取られたのだろうか。情報が完全に統制された国であるから、きちんとした治療が行われたとは、とても考えられない。
中国の核実験については、以前、物理学者の高田純氏が著書『中国の核実験-シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社)を出版し、一時的に話題になったことがあるが、今は情報がほとんど出てこない。100万人以上が強制収容所に送られているという現地で、実情はどうなっているのだろう。
核問題に関して、とりわけ熱心な朝日新聞は、中国の被曝者について、自慢の調査報道を遂行すべきである。
■酒井信彦(さかい・のぶひこ) 元東京大学教授。1943年、神奈川県生まれ。70年3月、東大大学院人文科学研究科修士課程修了。同年4月、東大史料編纂所に勤務し、「大日本史料」(11編・10編)の編纂に従事する一方、アジアの民族問題などを中心に研究する。2006年3月、定年退職。現在、新聞や月刊誌で記事やコラムを執筆する。著書に『虐日偽善に狂う朝日新聞』(日新報道)など。