横浜市の林文子市長は16日の定例記者会見で、女性の社会進出について、自身の民間企業での経験を踏まえて「忍耐という言葉で我慢し続けて生きてきた」と述べた。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で辞任表明したことについての考えを問われたところ、林氏は身ぶり手ぶりを交えて自身の経験を語った。一つのテーマでは異例の10分以上にわたる熱弁となった。
林氏が働き始めたのは、企業や組織で活躍する女性が少なかった1960年代。繊維や電気機器メーカーなどに勤務した。「ただ一言、苦しかったしかない。本当に我慢した」と振り返る。「男女の間にはどうしても交わらない考え方や価値観がある」と受け止め、理解してもらえないときには意見を言わずにこらえてきたという。
外資系自動車メーカーに勤め、環境が大きく変わった。そこで頭角を現し、支店長を任された時には「本当に驚いた」という。後に大手スーパー会長や日系自動車メーカー役員を歴任。2009年に市長選に初当選した。
森氏の発言については「象徴的な問題。本当に日本は変わっていない。男性の意識を変えていかないといけない」と述べた。【中村紬葵】