3.11の報道に批判の声 日本メディアは海外から不信の目で見られていた(立岩陽一郎)

【ファクトチェック・ニッポン!】

2011年3月11日、私はアメリカで朝を迎えた。テレビをつけると、NHKが流れている……「なんでNHKなんだ?」と思う間もなく、事態を把握できた。それが街を襲う津波の映像だったからだ。

東日本大震災の時、私はNHKからの派遣でアメリカの大学院に留学していた。既に日本は震災から一夜明けていた。アメリカのテレビはNHKをそのまま流していた。その信じられない画像に立ち尽くすしかなかった。

パソコンには大学院の同僚らから次々にメールが送られている。「親族は大丈夫か?」「何かできることはないか?」と。その日までの生活で日本を意識することはなかった。日本についての報道はほとんどなかった。パリス・ヒルトンが日本に入国できなかったというニュースくらいだろうか。それが、その日を境に新聞、テレビが日本一色になる。

全米の新聞が周囲を囲むように掲示される報道の博物館「ニュージアム」は、被災地の写真で埋め尽くされた。どこへ行っても声をかけられ、「日本のために祈っている」と言われた。外食すれば、オーナーが出てきてお悔やみを述べられた。バージニア州では、小学生の女の子が両親と1ドルで紙を道行く人に買ってもらっては折り鶴を折っていた。集めたお金を被災地に送ると言う。そのバージニア州には震災で若い命を失った英語教師テイラー・アンダーソンさんのご両親が住んでいる。ご両親は、娘が愛した日本を愛し、今も被災者と震災を風化させない取り組みをしている。

■「3.11」報道の批判も検証もなし

こうした動きはアメリカだけではないだろう。震災で世界の多くが日本への思いを示してくれた……と、ここまでは日本でも数多く報じられている。もちろん、それらは事実だ。しかし、あまり日本で報じられない側面もある。それは、原発事故をめぐる日本の報道に向けられた厳しい視線だ。

日本から戻ったアメリカのジャーナリストが口々に語ったのは、東京電力の会見の閉鎖性だった。批判は東京電力だけに向けられたものではなかった。会見場を占拠してひたすらパソコンを叩く日本の記者の姿は、かなり異様な存在として語られた。

「彼らは質問をしない。ただひたすら東電の発表をメモしていた」

アメリカのジャーナリストは会見の後ろに陣取るカメラマンの列のさらに後ろに立って取材するのが精いっぱいだったという。留学先のアメリカン大学で開かれたシンポジウムでパネリストを務めた際は、学生から、「なぜ日本の記者は東電に質問ができないのか?」「東電は新聞社の親会社なのか?」という質問を受けた。また、「NHKは国家機関なのか?」という質問も受けた。政府の発表を流すNHKをアメリカのメディアがそう表現した点が影響したのだろう。もちろん、「それは違う」と答えたが、参加者の疑問にはうなずかざるを得なかった。あの時、日本のメディアは海外から不信の目で見られていた。

震災から10年。新聞もテレビでも復興を検証する内容を報じている。しかし震災を報じた自らの姿を批判的に検証する記事や番組はまだ見ていない。

(立岩陽一郎/ジャーナリスト)