JR脱線事故16年 脳に障害、陶芸工房に思い託す…重傷の鈴木さん

乗客106人が犠牲となった平成17年4月のJR福知山線脱線事故に巻き込まれ、瀕死(ひんし)の重傷を負った鈴木順子さん(46)=兵庫県西宮市=が今春、自宅のガレージを改装して陶芸工房を開いた。事故以来、数分前の記憶が保てない高次脳機能障害と闘う。身体のリハビリも兼ねた陶芸は鈴木さんにとって、自身の思いや感情を物の形につなぎ留める作業だ。この工房を拠点に、3年後に個展を開催することが今の目標だという。(倉持亮)
「事故からもう10年以上たっているんですね」。事故発生から16年となった25日、鈴木さんはいつもと同じように過ごした。16年という時間経過は「大きな驚き」という。事故以前のことはよく覚えているが、それ以降のことは曖昧だ。
事故当時は2両目に乗車。脳や内臓の損傷がひどく、数カ月間意識が戻らなかった。今もリハビリを続け、移動には車椅子を使う。ただ、母のもも子さん(73)によると「歯磨きなど最初はできなかったことが、いつの間にかできるようになっている」といい、時間をかけて少しずつ前に進んでいる。
陶芸工房を開くきっかけは、昨年6月に父の正志さんが75歳で他界し、2人暮らしになったこと。このままリハビリだけが中心の人生でいいのか。「せっかく助けてもらった命やし、充実した日々を送れたら」ともも子さんが提案した。
鈴木さんが陶芸を始めたのは小学校のクラブ活動。手先を動かすのはその頃から得意で、美術や絵も好きだった。事故前はイラストレーターを目指していたほど。現在は同県宝塚市の陶芸教室に通い、絵付けも習っている。
自宅の工房の棚には、小学生のときに初めてつくった湯飲みから最新作の皿まで、多くの作品が並んでいる。事故後に制作したものは厚さに不ぞろいがあったりと以前のものとは違う。だが、見る人の気持ちを和ませる温かみのある作風は変わっていない。もも子さんは「私からすれば、全部がいい作品」とほほえむ。
数分前の記憶をすべて忘れてしまうわけではない。ちょっとしたことを機に思い出すことも多い。
陶芸の場合、いい作品ができたときの「うれしい」という感情は、定着しやすいのだという。「自分の思いが形として残り続けるから、陶芸は楽しい」と屈託なく笑った。