人は変化を恐れる。そう感じたのは、2017年に私がレイプの被害について会見した直後だった。様々な反発が、誹謗中傷などのかたちで私個人に襲いかかってきた。私や事件がどう見られたとしても、会見は刑法改正と性暴力被害者への社会的サポートへの強化を求めるものだった。当時は全都道府県にレイプクライシスセンターがなかったが、21年現在は全都道府県に設置されている。
この4年間、多くが変わった。特に日本での性暴力の報道のあり方は変わり、可視化されてこなかった問題がやっと見えるようになってきたと思う。しかし、刑法はいまだ変わっていない。21年3月に横浜地裁川崎支部で強姦罪に問われたケースでは、性的虐待を裁判長が認めたにもかかわらず無罪判決を出した。被害女性が小学生のときから母親の交際相手に性的虐待を受けていたが、被害女性の証言の日時や場所に疑いがあることなどから無罪となった。
また、長期間受けていた被害にもかかわらず、時効を理由に起訴できたのは1件だった。幼いときに受けた被害は、被害と認識するまで時間がかかる。また家庭内での被害はさらに届け出ることが難しい。被害から身を守るため、乖離状態になることも少なくない。必死に生き延びてきたからこそ被害に対しての日時や場所が曖昧になるにもかかわらず、このような判決が出たことは、日本の現刑法の問題を浮き彫りにしている。
フランスの作家ヴィルジニー・デパントは自身のレイプ被害も綴ったエッセイ『キングコング・セオリー』で「警察でレイプ被害を申告することは危険に身をさらすことだと本能的に感じていた。警察どもの法律は男の法律だ」と綴っている。110年以上も前にできた刑法から性的同意などについてアップデートされていない日本も同じことが言える。被害が認められても無罪になる場合があるのだから。まるで、性犯罪が許されているかのように。
「本物の勇気とは新しいものに向き合うことだ。可能性に。より良いものに」。私はこのデパントの言葉に深く共感する。現在、刑法改正の検討委員会が開かれているが、検討委員らが変化を恐れず、より良い方向へ踏み出せるか問われている。
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(ジャーナリスト 伊藤 詩織)