【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実】#16
「社長と連絡が取れないんですけれど、体の具合でも悪いのですか?」
野崎幸助さんに頼まれていた自叙伝の前半部分を書き上げた私は、彼の会社「アプリコ」に何度か電話をかけた。
「そんなことはないですよ。毎朝、会社に来ていますから」
「原稿は届いていますよね」
「ええ、社長に渡してあります」
経理担当の佐山さんに電話をくれるように言付けをしても、なしのつぶてだった。いつも機関銃のようにかかってきた早朝電話の呼び出し音も途絶えた。
「社長がな、出版するのにお金を出すのを渋っているようで、ヨッシーからの連絡には出ないし、自分からも連絡せんことにしているんや。都合が悪くなるとぴたっと連絡を絶つのも社長の悪いクセやからな。酷い話やで」
原稿を送ってから10日ほど後に、アプリコの番頭格マコやんから連絡が来た。まるで叱られるのを恐れて逃げ回っている子供のようだ。社長という立場がある大人のやることではないだろう。腹が立ったが契約書を交わしているわけではない。泣き寝入りをするしかないのかと、嫌な気分になった。
■会社で直談判
とはいえ、2カ月を費やして書き上げた仕事である。黙って手をこまねいているわけにはいかない。2016年の夏前、大阪に取材に行った折に田辺まで足を延ばし、直談判をすることにした。
「おはようございます」
従業員が誰も出社していない早朝にアプリコに単身乗り込むと、ドン・ファンはひとりで新聞に目を通していた。私を見るとギョッとした表情を浮かべ、目が泳いだ。
「お約束はどうなったんですか」
声のトーンを落として静かに聞いた。
「ああ、あれなあ。もうええですわ」
こちらを見ないで新聞に目を落とし、笑ってごまかそうとする。
「ほう、そうですか。困ったもんですね」
怒りに火が付きそうなのをなんとかこらえていた。
「いろいろ、お世話になりましたね」
「ちょっと待ちなさいよ。そんなの勝手すぎるじゃないですか。ボクも時間と労力を相当使って調べて書いたんですから、約束を守っていただかないと困ります」
私がいくら言っても、ドン・ファンはのらりくらりを続ける。お金を出すことが惜しくなったということはよく分かった。
こんなヤツを信じた自分がバカだったと悔やんだが、これで引き下がれば文字通りタダ働きになってしまう。本人はキャラが立ち、生きざまはメチャ面白いのだから、これはなんとか世間に知らせなければならない。
「分かりました。それでは自費出版ではなくて出版社から出すように動きます。それでいいですか? 社長からは一銭たりとも頂きませんから」
「そうですか。それでお願いできますか?」
「その代わりグダグダと文句を言わないでくださいね」
「分かりました。申し訳ありませんが、それで何とぞよろしくお願い申し上げます」
社長はペコペコと頭を下げるだけだった。
私は社長礼賛のヨイショ原稿を、出版できるように大幅に直す作業に着手した。(つづく)
(吉田隆/記者、ジャーナリスト)