能登半島地震から1年となった1日、石川県輪島市門前町総持寺祖院では近くの商店街と合同で犠牲者追悼会が営まれた。午後4時10分の地震発生時刻に合わせ、「追悼の鐘」が突かれ、亡くなった人を悼んだ。
法要では同院の高島弘成副監院が自作した追悼の言葉を読み上げ、集まった地元住民らは、手を合わせて犠牲者を追悼するとともに街の復興を祈った。
近くに住む星野恵介さん(46)は「仲が良かった1歳上の消防団の先輩が地震で亡くなってショックだった。お祭りが好きで、熱い人だった。『天国でも元気か』とか、『趣味の釣りはできているのか』と語りかけながら祈った」と話した。
会場には、震災直後から同町で炊き出しなどの支援活動をしてきたボランティアが制作した氷の彫刻も展示された。制作した長野県松本市のレストラン経営、浅田修吉さん(67)は「震災前から釣りが好きで来ていたので能登は第二のふるさと。もっと早い復興を願いたい。まだまだ支援は続けていく」と述べた。【砂押健太】
投稿者「F.Krueger」のアーカイブ
二重被災の石川・珠洲 ボランティアが年始も泥出し作業 能登地震
2024年の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市。同年9月の豪雨災害で二重被災した同市真浦町では新年の1日もボランティアらが建物内の泥を運び出す作業などを行った。
ボランティアら8人は午前9時前から、「ホテル海楽荘」の館内で、2メートル以上も堆積(たいせき)した土砂をスコップや一輪車を使って屋外へ運び出したり、重機を使ってトラックに載せたりした。海楽荘を経営する池田幸雄さん(当時70歳)が濁流にのまれて亡くなった。
ボランティアらは年末年始も休まず泥出し作業などを続ける。休暇を利用して24年12月19日から滞在している神奈川県茅ケ崎市の大工、鈴木勝広さん(59)は「想像していたほど復旧が進んでおらず驚いた。能登が早く復興して、若い人が喜んで帰ってくるような町になってほしい」と願った。【阿部弘賢】
「みんなで前へ」 輪島の仮設住宅に1000個の紙灯籠 能登地震
能登半島地震と2024年9月の豪雨で大きな被害を受けた石川県輪島市町野町の仮設住宅では1日、地震発生時刻に合わせて追悼行事が行われた。住民やボランティアらが黙とうし、静かに手を合わせた。
会場には、「みんなで前へ」などと住民らが手書きしたメッセージを添えた紙灯籠(とうろう)約1000個が用意され、「1・1 NOTO」の文字に並べられた。あいにくの強い雨の中、1995年の阪神淡路大震災を伝える神戸・三宮のガス灯「1・17希望の灯(あか)り」から分けられた明かりがともされた。
近くの家が全壊した前荘太郎さん(87)は「残った人がみな健康でいられるように祈った」。地震前、自宅の周りに計30~40軒あった住宅と店舗は今は数軒だけ。「支援のおかげで生活に不自由はないが、家を再建できる見通しが立たないことが心配だ」と話した。【阿部弘賢】
「涙雨だ」輪島朝市関係者ら、雨強まる発生時刻に黙 能登地震1年の節目に復活誓う
昨年元日に能登半島地震が発生して1年となった1日、激しい揺れや大規模火災で甚大な被害を受けた石川県輪島市の観光名所「輪島朝市」では多くの市民が訪れ、発生時刻の午後4時10分には、朝市の関係者ら約20人が現地で黙(もくとう)して犠牲者の冥福を祈った。
周辺では公費解体が進み、更地が広がる。発生時刻前に降り始めた雨が1年の節目に合わせて強まると、集まった人からは「涙雨だ」という声も上がった。
露天商らでつくる輪島市朝市組合の冨水長毅(とみず・ながたけ)組合長(56)は「能登全体が悲しんでいる」と受け止めた。昨年7月からは朝市の復活に向け、市内の商業施設で出張朝市を開催しており、冨水さんは黙しながら「この1年、復興に向けて頑張りたい」と犠牲者らに語りかけたという。
雨にもかかわらず、花を供えたり、手を合わせたりする市民らの姿もあった。同市マリンタウンの仮設住宅で暮らす松岡江美子さん(79)は1年前を思い出し「崩れた自宅の下敷きになり、近所の人に助け出してもらった」と声を震わせた。朝市に出店していた知人らが亡くなったといい、「家で黙するよりもここで手を合わせたかった」と静かに話した。
同市河井町の自営業、木下京子さん(63)は高校の同級生が犠牲になったといい、持参した花を手向けた。「(亡くなった同級生とは)スポーツジムが同じでよく顔を合わせた。(地震前に)共通の知人の話題でよく会話を交わしたことを思い出す」と寂しそうに語った。(吉田智香)
路上でベトナム人男性刺され重傷 殺人未遂容疑でベトナム国籍の男女2人逮捕 残る2人の行方追う 大阪・西成区
大阪市西成区の路上で先月、ベトナム人の男性が何者かに刺されて大けがをした事件で、警察は27歳のベトナム人の男女を逮捕しました。
殺人未遂の疑いで逮捕されたのは、いずれもベトナム国籍のフィン・タン・フォン容疑者(27)と、グエン・ティ・フェン・チャン容疑者(27)の男女2人です。
警察によりますと、フィン容疑者らは先月27日夜、大阪市西成区津守の路上で、知人のベトナム人男性(25)の背中などを刃物のようなもので複数回刺すなどし、殺害しようとした疑いが持たれています。
警察は2人の認否について明らかにしていません。
現場付近の防犯カメラにはフィン容疑者らとみられる男女4人が男性を追いかける様子が映っていて、警察は現場から逃走した他のベトナム人2人の行方を追っています。
石破首相「大連立も選択肢」
石破茂首相は1日放送のラジオ番組で少数与党の打開策に関し、「大連立をする選択肢はあるだろう」との認識を示した。政権の安定に大連立も想定しているのか問われて答えた。首相は「何のためにというのがない大連立は、一歩間違うと大政翼賛会になってしまう。そこは気を付けないといけない」とも語った。
番組は先月24日に収録された。衆院解散については「内閣と衆院の言っていることに齟齬(そご)が生じたら、国民主権の原理原則で国民に問うてみようということだ」と述べた。
[時事通信社]
入浴介助を受けていた89歳女性、全身やけどで死亡…千葉県市川市の特別養護老人ホーム
12月31日午後2時5分頃、千葉県市川市大町の特別養護老人ホーム「なごみ」で、入浴介助を受けていた入居者の女性(89)が全身にやけどを負い、搬送先の病院で死亡した。
県警の発表によると、入浴介助は職員2人が担当し、浴槽内の湯の温度が高かったと説明しているという。県警は、湯の温度管理が不十分だった可能性もあるとみて、当時の状況を詳しく調べている。
能登半島地震1年 いまも広がる液状化被害「でもやっぱりここがいい」生活再建目指す住民の葛藤《新潟》
能登半島から1年。液状化の影響などにより新潟市は1万7000棟以上の住宅が被害を受けました。西区では現在も液状化の被害が広がっている地域もあり、住民たちは葛藤を抱えながら生活の再建を目指しています。
いつもなら、我が家で穏やかに過ごしていた年末年始。
しかし・・・
〈松田正彦さん〉
「いい家だったんですけど。そこに住めないというのは精神的になんでなんだって思うぐらいになりますね」
新潟市西区に住む松田正彦さんです。
いま暮らしているのは空き家となっていた実家・・・
1年前の地震が生活を大きく変えました。
松田さんの自宅は寺尾地区の高台にあります。
15年ほど前に建て替えた際に地盤を強化していたため、家屋の被害はほとんどありませんでしたが、地震の揺れにより駐車場が隆起・・・
庭は大きく沈みました。
そして、今も亀裂や陥没などの被害が広がっているといいます。
〈松田正彦さん〉
「家内は本当に目の前で地盤の揺れているのを見たので、亀裂をみんな見ちゃって。ショックで『もうここに住みたくない』って最初はそう言ったんですけど。『でもやっぱりここがいい』って。『できたら早くここに戻ってきたい』って言ってる」
市民団体が西区の約7700世帯を対象に独自のアンケートを行ったところ、約500世帯は去年8月時点で「現在も変化が続いている」と回答しました。
新潟市は液状化対策を検討しようと、被害の大きかった地区で地盤の調査を始めていますが、対策工事の着手までには早くても2年から3年はかかるとしています。
松田さんの自宅がある寺尾地区は地域一体で地盤を直す必要性が指摘されていす。
このため松田さんは、対策工事がどうなるのか分かるまで修理を踏み切れずにいます。
今後地盤がさらに動き、被害が自宅まで及ぶのではないか・・・
そう心配しています。
〈松田正彦さん〉
「行政の力を借りて、エリアでみなさん協力してもらって、地盤を固めるような処置をしてもらうのが一番ベスト。ここへとにかく戻ってきて、子どもたちとか孫がここで一緒に遊べるような形でつくりたいと思うのが今の気持ちです」
能登半島地震から1年。
思い出を刻んできた我が家に、いつ戻ってこられるのか。
もどかしさを募らせています。
愛子さま、白いドレス姿で上皇ご夫妻に新年のごあいさつ
天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日、新年のお祝いのあいさつのため、上皇ご夫妻のお住まいである赤坂御用地の仙洞(せんとう)御所(東京都港区)を訪問された。
午後2時50分ごろ、御用地に入る際には、愛子さまは白いドレスにティアラ(宝冠)をつけた正装姿で、車の窓を開け、沿道の人ににこやかに応じられた。愛子さまは昨年12月23日の上皇さまのお誕生日の際、インフルエンザ感染が判明し、お祝いのあいさつを見合わせられていた。
仙洞御所にはこの日、秋篠宮ご夫妻、愛子さま、ご夫妻の次女の佳子さまをはじめとする皇族方が足を運ばれた。
「半歩ずつ」でも前に 能登半島地震から1年 輪島で追悼式
最大震度7を観測し、500人以上が死亡した能登半島地震は1日、発生から1年を迎えた。石川県は同日、同県輪島市の日本航空学園能登空港キャンパスで、地震と9月の能登豪雨の追悼式を開催し、遺族や被災自治体関係者、石破茂首相ら計445人が参列した。地震発生時刻の午後4時10分に合わせて黙とうをささげた。
馳浩知事は式辞で「ご遺族の悲しみは計り知れず、胸が締め付けられる」と哀悼を表明。全国からの支援に謝意を示すとともに、「このたびの複合災害は復旧・復興への道のりがいかに長く険しいものかという事実を突き付けている」とし、復興への決意を新たにした。
石破首相は「被災者の恒久的な住まいの確保、災害廃棄物処理の加速、インフラの本格的復旧、地域産業の再生など取り組むべき課題はまだ数多く残されている。被災者一人一人の気持ちを受け止め、生活となりわいの再建、被災地の創造的復興に政府一丸となって取り組んでいく」と述べた。
発生当時に在任中だった岸田文雄前首相は被災地視察を振り返り、「すさまじい地震の爪痕に被害の甚大さを実感し、避難生活の過酷さを痛感した。ボランティアや医療・福祉関係者の方々の尽力に勇気付けられた」と話した。
遺族を代表して、地震による家屋倒壊で父洋一さん(当時82歳)を亡くした小林由紀子さん(53)=同県穴水町=があいさつに臨み、「突然の出来事に悲しみ、絶望感にうちひしがれた」と振り返った。洋一さんから受け継いだ衣料品店ががれきの山に変わった被災状況や、店の営業再開を振り返り、「半歩ずつですが、夫と共にこの店を守り抜く。それが父への感謝であり、地域の皆さんへの恩返しだと考えている」と語った。
能登半島地震は、帰省した人も含めた一家だんらんの新年を直撃した。2024年12月27日時点で504人が犠牲となり(うち災害関連死276人)、2人が行方不明のままだ。県内だけで住家被害は全壊約6000棟を含めて約10万棟に及び、土砂崩れ、津波、液状化などさまざまな被害が発生。過疎高齢化が進む地域の状況を深刻化させ、日本が直面する諸課題を浮き彫りにした。
24年9月21日には能登半島北部を中心に豪雨に見舞われ、16人が亡くなった。多くの家屋や地震の被災者向けの仮設住宅が浸水するなど、復興途上の被災地にさらなる打撃となった。【深尾昭寛、国本ようこ】