日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告(67)(会社法違反などで起訴)が保釈中にレバノンに逃亡した事件で、東京地検特捜部に犯人隠避容疑で逮捕された米国籍の親子2人が容疑を認めた上で、ゴーン被告の妻キャロル・ナハス容疑者(54)(偽証容疑で逮捕状)からの依頼で逃亡を手助けしたと供述したことが関係者の話でわかった。2人は、「キャロル容疑者にだまされた」とも話したという。
2人は米陸軍特殊部隊「グリーンベレー」元隊員のマイケル・テイラー(60)と息子のピーター・テイラー(28)の両容疑者。特捜部は勾留期限の22日にも、2人を犯人隠避罪で東京地裁に起訴する見通しだ。
特捜部の発表などによると、2人はジョージ・ザイェク容疑者(61)(犯人隠避容疑などで逮捕状)と共謀。2019年12月29日、ゴーン被告を東京から大阪まで護衛しながら案内するなどし、被告が隠れた箱をプライベートジェットに積み込んで関西空港から出国させた疑いがもたれている。
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「採尿手続き違法」覚醒剤事件で男性無罪 京都地裁判決、警官撮影にも言及
覚醒剤を使用したとして、覚醒剤取締法違反の罪に問われた男性(60)の判決公判で、京都地裁(戸﨑涼子裁判官)は19日、「京都府警の強制採尿の手続きに重大な違法がある」として、無罪(求刑懲役4年6月)を言い渡した。
男性は、2017年8月に京都市右京区のホテルで覚醒剤を使用したとして京都府警に逮捕、起訴された。 判決理由で戸﨑裁判官は、捜査報告書に「尿の任意提出を求めるも、応じず無視する態度が継続した」などと事実と異なる記載があると認定。強制採尿令状の請求を受けた裁判官の判断に影響を与え、違法な捜査で得られたとして採尿結果などの証拠能力を否定した。 また、職務質問の途中で体調不良を訴えて救急搬送された男性が病院で医療措置を受ける様子を、本人や病院側の承諾なく警察官が撮影したことについても「プライバシーの侵害は相当に重大」と指摘した。 京都地検の北佳子次席検事は「判決内容を精査し、上級庁と協議の上、適切に対応したい」とのコメントを出した。
手を振り払い女性が川に…高3がロープ投げ「泳いで来い、これをつかめ」
木津川に飛び込んだ女性を救助した大阪市大正区、高校3年の男子生徒(18)に、大阪府警浪速署が感謝状を贈って、その勇気ある行動をたたえた。男子生徒は「絶対に助けたいと思った。感謝状をもらってうれしい」とはにかんだ。
男子生徒は1日午後1時頃、同区と浪速区を結ぶ大浪橋を自転車で通行していたところ、橋の中央付近で手すりを越えて、木津川に飛び込もうとしている女性を見つけた。
「何しているんですか」。自転車を降りて、女性をつかんで止めようとした。しかし、女性は「いいんです」と制止を拒み、男子生徒の手を振り払って、5メートルほど下の川に落ちてしまった。
男子生徒はスマートフォンで110番しながら、川岸に向けて無我夢中で走った。女性は100メートル以上流されていたが、船をつなぎとめるロープを女性に向けて力いっぱいに投げた。「こっちに泳いでこい。これをつかめ」
ロープにつかまる女性。通報で駆けつけた浪速署員らが川に飛び込んで女性を川岸に引き上げ、助けられた。
男子生徒は「死なせたら、自分のせいだと思った。助かって、本当によかった」と話していた。
死刑執行日に出す予定だった妻への手紙に「これからもよろしく」と 地下鉄サリン事件犯たちの“最後の言葉”
1995年3月20日、東京都心を走る地下鉄の車内に有機リン化合物の神経ガス「サリン」が散布され、死亡者8人を含む約600名もの人々が被害を受けた。事件から2日後、警視庁はオウム真理教に対する一斉捜査を実施し、事件に関与した信者を次々と逮捕。日本中を震撼させた事件に携わった犯人たちには厳しい処罰が下された。
ここでは別冊宝島編集部による書籍『 死刑囚200人 最後の言葉 』(宝島社)を引用し、オウム死刑囚たちの最後の様子をまとめて紹介する。大罪を犯した死刑囚たちは、最終的にどのような覚悟で刑に臨んだのか。彼ら一人ひとりの事件への向き合い方を見ていこう。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
◇◇◇
「教祖」執行前の最後の一問一答
まずは、麻原彰晃(享年63)である。
いつものように朝食を終えた麻原は、朝7時40分ごろに突然、出房を命じられる。麻原は抵抗することもなく刑場に連行されたという。
7時50分過ぎ、死刑の執行が告げられる。
「お別れの日が来ました。教誨はどうしますか」
一応、宗教家を自称していた麻原に「教誨」とは皮肉なことこの上ないが、麻原は無言だったという。
「じゃあやらないんだね。言い残したことはある?」
「……」
「遺体の引き取りはどうする?」
「……」
何も答えない麻原に刑務官が問いかけた。
「誰でもいいんだぞ。妻とか、次女、三女、四女……」
するとここで麻原が反応した。
「ちょっと待って」
麻原は少し考え、こうつぶやいた。
「四女」
刑務官が念を押して確認した。
「四女だな」
すると麻原は「グフッ」といった声を出したが、その後遺言のようなものはなく、淡々と死刑が執行されたという。
だが、麻原が「四女」を指定したという話を信じられないという人間もいる。2008年以降、親族、弁護士を含め誰も面会できない状態だった麻原の精神状態は誰にも分からず、本当にそのようなコミュニケーションが取れる状態だったのか、確かに疑わしい部分はある。麻原の遺骨は引き取りをめぐって紛糾し、いまも東京拘置所に保管されている。
「私の名を呼びながら刑に臨んだそうです」
麻原のあとに続けて執行されたのは、土谷正実(享年53)だった。筑波大の大学院で化学を専攻した土谷はサリン製造の中心的人物であったが、麻原への信仰心はまったく消え去っていたという。
2008年に土谷と獄中結婚し、面会を重ねていた夫人が『週刊新潮』(2019年7月1日号)で次のように語っている。「(執行の告知は)いきなりでビックリはしていたそうですが、事を理解すると“今日がそうなのか”と大人しく刑場に向かっていったそうです。唯一、悔やまれることがあるとすれば、あの日、東京拘置所での執行が麻原と一緒になってしまったこと。荼毘に付されたところまで一緒でした。あれだけ憎んでいた麻原と最期まで同じだったとは……。執行を受け入れていたと思いますが、それだけは心残りだったのではないでしょうか。最期は、私の名を呼びながら刑に臨んだそうです」
そしてこの日、3番目に執行されたのは遠藤誠一(享年58)だった。京大大学院で学んだエリートの遠藤は、教団で違法薬物やサリン製造に従事した。
遠藤の執行前の様子や遺言は報道されていない。だが、遠藤の遺体は3名の死刑囚のなかで唯一、後継団体のアレフに引き取られている。その後、火葬された遠藤の遺骨は、故郷の北海道・小樽の海に散骨された。
「こんなことになるとは思っていなかった」
大阪拘置所で井上嘉浩(享年48)の死刑が執行されたのは午前8時ごろのことだったという。拘置所で同じ階に収容されていた未決囚が、刑場へ向かう井上を見てこう書いている。
「前を通り過ぎようとした時、目が合った。泰然自若。動揺することなく、至極立派な態度で去っていった」
井上は1審で無期懲役判決を受けながら、控訴審で死刑となり、最終的に死刑が確定した。
執行直前、刑務官からこう言われた。
「お父さん、お母さんに何か伝えることは」
すると井上はこう語ったという。
「お父さん、お母さん、ありがとうございました。こんなことになるとは思っていなかった」
そして、自らに言い聞かせるようにこう言った。
「まずは、よし!」
井上は「厳粛な面持ち」で死刑台に立ったことが、両親に伝えられた。
大阪拘置所で井上の次に執行された新實智光(享年54)は、もともと麻原に対する帰依が強く、最後まで信仰を捨てない信者と思われていた。
法務大臣が執行にサインした日の夜に見た夢
しかし、元アレフ信者で2012年に新實と獄中結婚し、現在は教団と関係を絶っている夫人が、前出の『週刊新潮』に寄せた手記によると、晩年の新實は「教祖にはついていかない」「来世は弟子になることはないだろう」と麻原を完全に否定し、また迫る死の恐怖と戦っていたという。執行の8日前には恩赦を出願すべく「生きて償いたき所存です」と記述していた。
「3月に移送があり、弁護士さんからも“今年、執行がある”と言われていたんです。それが影響したのでしょうか、大阪に来てからは、夫は面会の際に“自分は死ぬんじゃないか”と言うことがありました。その度に“ないわないわ”と言って安心してもらおうとしましたが……。“胃が痛い”と言い出すこともあったんですが、検査を受けても異常は出ません。東京にいた時は一度もなかったことでしたね。死刑が執行される2日前に面会に行った時、突然、夫はその前の晩に見たという、夢の話を始めたんです。“独房の前にネズミの大群がやってきて怖かった”と。追い詰められているな、と思いました。後になってみれば、夢を見たのは法務大臣が執行にサインした日の夜だったんです」(『週刊新潮』2019年7月1日号)
執行の日に出す予定だった、新實の妻にあてた手紙には「これからもよろしく」と書かれていたという。
「自分で歩いていきます」
7月6日、広島拘置所で執行されたのは中川智正(享年55)。中川の故郷は広島に近い岡山県である。
中川とは京都府立医科大在学中からの知人で、支援を続けた俳人、江里昭彦氏は遺族とともに8、9日の両日、中川の遺体と対面したという。
江里氏が明かしたところによれば、執行のため広島拘置所の居室から出された中川は、職員に「体に触れなくてもよい。自分で歩いていく」と断った。また控室に用意された菓子や果物には手をつけず、お茶を2杯飲んだ。
「支援者、弁護士に感謝しております」
「自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えている」
「被害者の方々に心よりおわび申し上げます」
中川の死亡確認時刻は午前8時5分だった。
福岡拘置所で執行された、最年長の早川紀代秀(享年68)については、直前の情報がない。ただし、6月7日、執行の予感を感じ取ったのか、次のような手記を書き残している。
「国民が殺生のカルマ(業)を負うので、(死刑は)やめるべきと思います」
「自分では1人も殺していない者が死刑で、自分で2人も殺している者が無期というのは、どうみても公正な裁判とは言えません」
「申し訳なさは、事件発覚から3年たった今も薄れることはありません。真理のため、救済のためと思って戦い、テロを実行して得られたものは苦しみと悲しみでした」
先に執行された7人とその順序は、おそらく事件における責任の重さを法務省が判断した結果であったのだろう。だが、先に執行されるのと、後に執行されるのでどちらの苦しみが少ないのか、それは分からない。
現金を災害義援金として寄付
7月26日、東京拘置所では豊田亨(享年50)と端本悟(享年51)、広瀬健一(享年54)の3名が執行された。
東京大学卒業者として初めて死刑囚となった豊田は、ノーベル賞も夢ではないとささやかれたほどの秀才だった。豊田は7月6日に麻原らの執行があったことを知ると、自身の執行も近いことを悟り、所持していた現金はすべて、匿名で西日本豪雨の義援金として寄付している。執行の直前、支援を続けてきた友人と面会した際、豊田はこう語ったという。
「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから絶たなければ」
自分が元気でいるということ自体が被害者を苦しめるとし、一切情報発信の類を控えていた豊田は、最後もひっそりと死刑を受け入れた。
端本悟は、再審請求をしていなかった。麻原の死刑を知ったとき「私は命乞いのようなことはしたくない」と支援者に語り、静かに死を受け入れた。
早稲田大学理工学部応用物理学科をトップで卒業した秀才の広瀬健一も、公判中に完全に教団を離れていた。近年はなぜ自身が入信し、事件に関与したのかを検証する手記をまとめていた。自分自身ができることは「教訓」を残すことしかないとの思いからであったと思われる。
「生かされ感謝しています」
7月26日、名古屋拘置所では岡崎一明(享年57、宮前に改姓)および横山真人(享年56)の2名が執行された。
岡崎は、オウム事件で最も早く死刑が確定した。死刑確定直後は「命乞いのようなことはしない」と語っていたが、その後、次々とほかの信者の死刑が確定すると再審請求している。
執行当日の朝、刑務官が扉を開けると、岡崎の顔面は蒼白になったという。だが、その後は冷静に刑場へ向かったと伝えられた。
支援者には麻原の執行後、手紙を送っている。
「まさか、(執行が)7月末でなく七夕の前日とは愕いております」
「それまで生存しているか否か? は、よく分かりませんが、今月末(7/27頃)が危ないので、来週の7/25(水)までには、最期の手紙として、書くつもりでおります」
「毎月の如く月始めか月末が危険日です」
岡崎の研ぎ澄まされた「予感」は的中してしまったことになる。遺体と対面した支援者は「安らかに眠っているような顔だった」と語っている。
同じく名古屋拘置所で執行された横山真人は口下手な男だった。地下鉄サリン事件の実行犯ではあったが、横山の車両では死者が出ておらず、直接的な殺人行為はなかったにもかかわらず、死刑が確定した。
「誰にどう伝えても、理解してもらうことはできない」と固く口を閉ざし、確定後もほとんど表立った活動はしていない。麻原の執行から1週間後、面会した弁護士に「次、いつ執行があってもおかしくないよね」と聞かれたのに対し、笑みを浮かべながら「そうですよね」と応じたという。
「また会えるかな」
最後にそう弁護士が語ると、横山はこう返した。
「これまでお世話になりました」
横山の遺体は、1歳上の兄によって引き取られたという。
仙台拘置支所では、林泰男(享年60、小池に改姓)が執行された。
麻原の執行2日後の7月8日、林は「もうこの手紙が届くときには生きていないと思います」と弁護士に手紙を送っている。13日、最期に面会した際にはこう語っていた。
「生かされ感謝しています」
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「1日も早く、死刑囚から生還せねばと」林眞須美、加藤智大、木嶋佳苗…凶悪殺人犯が獄中で残した“言葉” へ続く
(別冊宝島編集部)
「1日も早く、死刑囚から生還せねばと」林眞須美、加藤智大、木嶋佳苗…凶悪殺人犯が獄中で残した“言葉”
死刑執行日に出す予定だった妻への手紙に「これからもよろしく」と 地下鉄サリン事件犯たちの“最後の言葉” から続く
日本の司法上、最も厳しい刑罰は言わずもがな「死刑」だ。2021年3月時点で死刑が確定している人物は合計で111人。今現在も、いつ訪れるかわからない「その日」と向き合い続けている死刑囚たちは獄中で何を思うのだろうか。
ここでは別冊宝島編集部による書籍『 死刑囚200人 最後の言葉 』(宝島社)を引用。日本中を震撼させた死刑囚の中から林眞須美、加藤智大、木嶋佳苗の3名が残した数々の言葉を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
◇◇◇
解明されていない「事件の動機」
和歌山毒物カレー事件(1998年)――林眞須美
死刑確定 2009年4月4日
死刑執行 未執行
1998年に起きた和歌山毒物カレー事件は、平成を代表する劇場型犯罪の1つだった。死刑が確定している元保険外交員の林眞須美はいまなお冤罪を強く訴え再審請求を続けている。また、事件から20年以上が経過した近年、眞須美の長男がSNSで情報発信を開始したことも話題になった。
事件当時、メディアが大挙押しかけた眞須美の自宅跡地は2004年に地元自治体によって落札され、現在では公園になっている。
1998年7月25日、和歌山市の園部地区で開かれた夏祭りの会場で、カレーを食べた住民らが次々に嘔吐、腹痛を訴える騒ぎが発生。当初は食中毒かと思われたが、自治会長や小学4年生の男児ら4人が死亡するに至り、致死量のヒ素がカレー鍋に混入された殺人事件であることが判明した。
事件直後から、地域住民の間で「あそこが怪しい」と名指しされた家が「林健治・眞須美夫妻」だった。事件当日、眞須美は調理中のカレー鍋を見張っていた人物の1人だった。
保険金詐欺に手を染めていた林眞須美
メディアは連日、林家を取り囲んだが、元保険外交員で主婦の林眞須美(37歳)は饒舌に語り、事件への関与を否定し続けた。夫の健治はかつて白アリ駆除の仕事をしていたことからヒ素の知識があり、自宅にヒ素を保有していた。また、眞須美は夫にヒ素を飲ませることで、高度障害保険金を騙し取るなど保険金詐欺に手を染めていた。
報道が過熱し、疑惑がピークに達した1998年10月4日、保険金詐欺容疑と知人男性に対する殺人未遂容疑で林夫妻は逮捕された。その後、2月9日には本丸のカレー事件(殺人および殺人未遂容疑)で眞須美が逮捕、起訴された。
裁判の焦点となったのは、殺人の動機と、目撃証言の信憑性、カレーに混入していたヒ素と事件で使用されたヒ素の同一性だった。
「私は保険のプロ。確かに保険金詐欺はやったが、お金にならない殺人などするわけがない」
眞須美は一貫して犯行を否定したが、確かになぜ近隣住民を無差別に殺害する犯行に及んだのか、動機の部分はいまなおはっきりと解明できていない。
状況証拠をめぐって長い裁判が続いたが、2009年4月4日に眞須美の死刑が確定。また、夫の健治も2000年に保険金詐欺で懲役6年の実刑判決が確定している。確定直前、眞須美は弁護士を通じ次のようなコメントを発表している。
「私は殺人の犯人ではありません。真犯人は別にいます。すべての証拠がこんなにも薄弱であって犯罪の証明がないにもかかわらず、どうして私が死刑にならなければならないのでしょうか。もうすぐ裁判員制度が始まりますが、同制度でも私は死刑になるのでしょうか。無実の私が、国家の誤った裁判によって命を奪われることが悔しくてなりません」
いまなお獄中から「徹底抗戦」
だが、死刑が確定してからも、眞須美の「無実」を訴える活動はますます拡大することになる。再審請求はもちろんのこと、国やメディアを相手取り、何度も民事訴訟を繰り返し、一部で勝訴している。
2017年3月には再審請求が棄却。次女による「母がカレー鍋の見張り役から離れた時間が20分以上あった」という証言は、証拠として採用されなかった。
事件後、「ポイズン」などと呼ばれいじめを受けた長男は、いまも地元に住みながら母との面会を続けている。ちなみに夫の健治や娘たちは、さまざまな理由から眞須美と関係を絶っている状態であるという。
林真須美の言葉
「1日も早く、死刑囚から生還せねばと、自分に負けてしまわぬようにと過ごしています」
爆発した「不遇」への苛立ち
秋葉原無差別殺傷事件(2008年)――加藤智大
死刑確定 2015年2月2日
死刑執行 未執行
投げやりな自殺願望による無差別テロに走りながら、その後、生への執着を見せる死刑囚もいる。2008年、東京・秋葉原の歩行者天国に突入し、7人を殺害した加藤智大も、そんな死刑囚と言えるのかもしれない。
静岡県の自動車メーカー工場で働く派遣社員だった加藤智大(25歳)は、いつ切られるか分からない不安定な労働環境と、社会からの孤立感に悩まされていた。その鬱積した感情は、2008年6月5日、勤務先で作業服のつなぎがロッカーになかったことで「暴発」する。自身の唯一のよりどころだったネットの掲示板が、なりすましに荒らされたことも、加藤にとってはどうしても許せないできごとだった。
加藤はその日、無断で退社すると、翌日にサバイバルナイフなどの刃物を購入。6月8日、2トントラックを借りると静岡県から東京の秋葉原へ向かった。参考にしたのは3カ月前に土浦で起きた金川真大による無差別テロだった。
加藤は、東京に向かいながら何度も携帯サイトに「犯行予告」を書き込み、その反応を気にしていた。
「秋葉原で人を殺します」
「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」
まさか数時間後、それが本当に再現されることになると信じた人間はいなかった。
昼の12時30分、秋葉原に到着した加藤は、信号を無視して歩行者に2トントラックで突っ込んだ。この一撃で3人が死亡している。
トラックがタクシーと衝突して止まると、加藤は用意していたダガーナイフを持ち出し、手当たり次第に歩行者を刺し、切りつけた。当初は交通事故が起きたと思っていた群集も、加藤の凶行を前に大混乱に陥り、日曜の歩行者天国は地獄絵図と化した。
「駆けつけた警察官が拳銃を加藤に向けながら追い詰め、血だらけになった加藤はついに確保された。時間にしてわずか10分ほどの通り魔事件だった。
精神鑑定と死刑判決の確定
死者7名、重軽傷者10名。不可解な動機と、あまりに重い結果は、日本中を震え上がらせた。加藤は真っ先に精神鑑定にかけられたが、責任能力に支障はないと判断され、2008年10月に起訴されている。犯行は計画的で、死者を増やすための立ち回りは極めて理にかなったものだった。
加藤は初公判を前に被害者へ謝罪の手紙を送り、また公判では「取り返しのつかないことをしてしまった」と謝罪の言葉を口にした。しかし、土浦事件の金川真大のように「死刑になりたい」という目的ではなく「掲示板を荒らされた。事件を起こさなければ居場所がなくなると思った」と、理解しにくい動機の説明に終始した。
7名の死者を出した事件ゆえ、死刑判決は当然だった。加藤は公判中から何冊かの手記を出版したが、「死刑を受け入れる」と語る一方で、原稿には一切手を入れないでほしいという注文をつけたという。書かれた内容は意味の通らないものが多かったため、反響もほとんどなかった。
再審請求中の加藤はまだ生きているが、加藤の弟は2014年に自殺している。死の1週間前、弟はこんな言葉を残していた。
「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」
加藤智大の言葉
「また長い1日が始まる。ただただ苦痛なだけ。まだ始まってないけど、終わりでいいや」
週刊誌編集者と3度目の獄中結婚
首都圏連続不審死事件(2008~09年)――木嶋佳苗(土井に改姓)
死刑確定 2017年4月14日
死刑執行 未執行
2008年から翌年にかけ、インターネットの婚活サイトを利用しながら20人以上の独身男性に結婚を持ちかけ接近。金銭を騙し取る過程で、少なくとも3人を殺害していた事件。2017年に死刑が確定した木嶋佳苗は、獄中で何度も結婚と離婚を繰り返し、近年は事件報道でも知られる『週刊新潮』の編集部員と結婚していたことが報じられ、世間を驚かせた。
木嶋が殺害したと認定されたのは3人だが、ほかにも木嶋と接点のあった数人の男性が不審死しており、いまなおその死の真相は解明されていない。これだけの疑惑がありながら、世間からは「憎悪」よりも、誘蛾灯のように男を引き寄せ続けるその魔力に関心が集まるという、摩訶不思議な死刑囚である。
木嶋は1974年、北海道の別海町で生まれた。父は行政書士で、しつけは厳しかったと伝えられる。木嶋は地元の高校を卒業後、上京し東洋大学に進学するが、学費未納ですぐに中退。その後、デートクラブに勤務したり、資産家と愛人契約を結ぶ。28歳のときにはネットオークションの詐欺で逮捕されるなど、当時から「ネットで男を騙す」手口を磨いていた。
男を手玉にとり続ける“魔性の婚活詐欺女”
少女時代から早熟だったという証言も伝えられる。体型は肥満型、決して美人とは言えない風貌だが、逆に「なぜ男は騙されるのか」という疑問を抱かずにはいられない。
2007年以降、木嶋の周辺で次々と男性が消える。まず2007年、千葉県松戸市の男性(70歳)が自宅の風呂場で急死。男性は7000万円以上を木嶋に貢いでいた。さらに青梅市の会社員(53歳)、千葉県野田市の男性(80歳)、千代田区の男性(41歳)が一酸化中毒死した。3人には生前、木嶋に送金するか、死の直後に木嶋によって現金が引き出されるという共通点があった。
41歳男性の死に不審な点があったことから捜査が始まり、木嶋は2009年9月5日に逮捕された。その後、多数の詐欺容疑や3人に対する殺人容疑で再逮捕された木嶋は起訴され、マスコミは「魔性の婚活詐欺女」「疑惑の毒婦」と大きく書きたてた。
獄中で小説を書き出版
裁判で明らかにされたのは、木嶋のウソで塗り固められたセレブなプロフィ―ルだった。「父は東大教授」「職業はピアノ講師」あるいは「フードコーディネーター」などと語り、多数の男たちを同時に騙しながら、本人は西池袋の高級マンションに住み、高級外車を乗り回していたという。
2012年4月13日、1審で死刑判決。裁判員裁判として女性の被告に対する初の死刑判決となった。木嶋は控訴、上告したがちょうど5年後の2017年4月4日、木嶋の死刑が確定した。
公判中から、木嶋はまったく悪びれることなくブログを開始。拘置所の中で書いた直筆原稿の画像をアップしたが、その字は練炭で男を殺し続けた女とは思えぬ達筆で、一切の謝罪、反省を拒否し死刑を受け入れた女の「凄み」を感じさせるには十分だった。さらには小説まで出版している。
木嶋は死刑確定前に週刊誌に長文の手記を寄せ、実の父が母に心を蝕まれた結果、還暦で自死したと説明。母を批判しつつ、死を受け入れる決意を次のように表明している。
「生みの母が私の生命を否定している以上、確定後に私は法相に対し、早期執行の請願をします。これこそ『ある決意』に他なりません。通常、全面否認事件での女子の執行は優先順位が極めて低いものですが、本人からの請願は何よりも強い、“キラーカード”になる。まったくもって自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない、それだけです」
堂々と死ぬ――これが稀代の悪女のプライドなのだろうか。
木嶋佳苗の言葉
「(再審請求者の)多くは、再審請求中は執行を回避できると信じて形だけの請求を続けている人だと断じてもよいでしょう」
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(別冊宝島編集部)
菅原も黒川も「起訴相当」で問われる検察と記者のあり方
「最強の捜査機関」と呼ばれた東京地検特捜部。そんな特捜部を取材対象とする検察記者。両者が鎬を削っていたのも今は昔――。
菅原一秀前経産相が選挙区内の有権者に香典などを渡していた公職選挙法違反事件。東京第四検察審査会は3月12日、検察が不起訴(起訴猶予)とした菅原氏について「起訴相当」と議決したと発表した。特捜部が再捜査して再び不起訴としても、2回目の審査で審査員11人中8人以上が起訴を求めれば、菅原氏は強制的に起訴される。
最近の検察は政治家案件の場合、官邸の顔色を窺いがちだ。何かと理屈をつけて不起訴としたものの、検審に持ち込まれ、結局、起訴される例も目立つ。では、そうした検察の弱腰を検察記者が厳しく監視できているかと言えば、心もとない。
それが浮き彫りになったのが、菅原氏の起訴相当を報じた朝日新聞13日付朝刊だ。記事によれば、19年10月に男性が告発状を提出したが、地検は昨年6月になって「具体的な事実が特定されていない」と告発状を返却。約2週間後、独自に捜査した事件として不起訴とした。検察の対応を検審は「疑問を抱かざるを得ない」と批判。告発者でないと検審に申し立てる資格がないため、検審は男性の申し立てを却下した上で、代わりに職権で審査する異例の形をとったという。
しかし、本来なら、検察が「検審逃れ」という姑息な手段を取ったことを、検察記者はいち早く掴み、厳しく報じるべきではないか。ただ、発表を垂れ流すことだけが仕事ではないはずだ。
黒川氏はなぜ「略式起訴」となったのか?
検察と検察記者。そのあり方が焦点となったもう一つの事件が、黒川弘務元検事長の賭け麻雀問題に他ならない。3月13日には、東京地検が黒川氏を単純賭博罪で略式起訴する方針を固めたと報じられた。検察が下した起訴猶予処分に対し、東京第六検察審査会が「起訴相当」と議決し、地検が再捜査していた事件だ。
なぜ地検は判断を一転させたのか。結局、ここでも検審の意向を無視できなかった。一方で、黒川氏はヤメ検弁護士に転身するという。禁錮以上の刑が確定すれば弁護士資格は剥奪されるが、罰金刑で済めば正式な裁判が開かれず、弁護士としての活動も可能だ。これらの事情も踏まえ、地検と黒川氏側で“落とし所”を探った結果、今回、略式起訴となったと見られる。
退官後、「ジャーナリズムは死んでいますよ」と“恨み節”を語っていたという黒川氏。それは彼の知るジャーナリズムが、記者と麻雀で“馴れ合う”ことだからだったのだろう。だが、ジャーナリズムとは、仮に麻雀を重ねても黒川氏の真実を書き切ることではないか。
菅原氏と黒川氏。二つの事件を通じ、検察と検察記者のあり方が問われている。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年3月25日号)
部活顧問の不適切指導が原因か 沖縄県、高校生の死去公表
沖縄県教育委員会は19日、県立コザ高校(沖縄市)の運動部主将を務めていた2年の男子生徒が1月に自殺していたと発表した。部活動顧問の男性教諭による不適切な指導や言動が、自殺に至るストレスの主な要因になったとみている。弁護士などでつくる第三者調査チームの報告書がまとまったのを受けて記者会見した金城弘昌教育長は「防げなかったことに対して慚愧(ざんき)の念に堪えない。重い責任を感じている。心よりおわび申し上げる」と述べた。
県によると、男子生徒は2019年4月に「部活動特別推薦」で入学。主将になった20年7月ごろから、男性教諭に「キャプテンを辞めろ」などと再三叱責されていた。また、無料通信アプリ「LINE(ライン)」で夜中まで他の部員に連絡をさせられたり、部活動費を得るため古紙回収作業をさせられたりしていた。男子生徒は叱責された翌日の今年1月29日に遺書を残して、自ら命を絶った。男性教諭はLINEのやりとりを一部削除していたという。
男性教諭を巡っては過去にも、授業中の発言をきっかけに別の生徒が不登校になったことや、顧問を務める運動部の女子生徒の鼻の穴に指を入れたり、急に技をかけたりするなど不適切な言動があった。学校側もこうした事実を把握していたが、男子生徒への不適切な指導を防げなかった。
部活動特別推薦で入学した男子生徒は「活動継続確約書」の提出を求められていたため、県は男子生徒が部活動をやめたら退学になると思い、追い詰められる要因になったとしている。金城教育長は「顧問から勝利至上主義に基づき、過度のプレッシャーを与えられ、精神的に追い込まれた様子がうかがわれる」と述べ、再発防止に取り組む考えを示した。男性教諭は男子生徒の死亡後、顧問を離れ休職中。県教委は詳細な調査をした上で、処分を検討する。【竹内望】
相談窓口
・児童相談所虐待対応ダイヤル
189=年中無休、24時間。
・24時間子供SOSダイヤル
0120-0-78310=年中無休、24時間。
・子どもの人権110番
0120-007-110=平日午前8時半~午後5時15分、土曜・日曜・祝日・年末年始は休み。
・チャイルドライン
0120-99-7777=午後4~9時(対象は18歳まで)、12月29日~1月3日は休み。
https://childline.or.jp/
中国最新鋭ミサイル駆逐艦など3隻、対馬海峡を通過…海自哨戒機などが発見
防衛省は19日、中国海軍の最新鋭の「レンハイ級ミサイル駆逐艦」などの艦艇計3隻が対馬海峡を通過したと発表した。レンハイ級ミサイル駆逐艦は長射程の対地巡航ミサイルが発射可能で、同省が確認するのは初めてだという。
同省によると、18日午前11時頃、3隻が対馬(長崎県)の南西約250キロ・メートルの海域を北東に航行しているのを、海上自衛隊の哨戒機などが発見した。領海侵入はなかった。
「腕立て伏せ500回」巡査部長が部下4人にパワハラ、処分 兵庫
兵庫県警は19日、4人の部下に、腕立て伏せ500回の命令や、5時間半の立ち番の強要などのパワハラ行為をしたとして、機動隊の男性巡査部長(29)を戒告の懲戒処分にした。「厳しくすることが部下の成長につながると思った」と話しているという。
県警監察官室によると、巡査部長は2019年4月~20年11月、訓練中に銃口を人に向けた部下の右脇腹と右足を蹴り、集合に数分遅刻した別の部下に、警戒場所を5時間半見張らせた。腕立て伏せ500回を命じ、340回をさせたほか、潜水訓練で10分間の立ち泳ぎを命じたこともあった。被害に遭った20代の男性巡査長と巡査の計4人が別の上司に相談して発覚した。
巡査部長は、別の部下ら5人に仮想通貨への投資を持ちかける県警の勤務規定違反もあったという。【韓光勲】
中国の人権抑圧に「深刻な懸念」…日伊首相が電話会談
菅首相は19日、イタリアのドラギ首相と約20分間電話で会談し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて協力することで一致した。中国による香港や新疆ウイグル自治区での人権抑圧に関して、深刻な懸念を共有した。
両首相はイタリアが議長国を務める10月の主要20か国・地域(G20)首脳会議(サミット)の成功に向けて、新型コロナウイルスや気候変動などへの対応で緊密に連携することも確認した。