「まるで高市早苗のプロモビデオ」BGM付き被災地視察動画に批判殺到、“強烈な違和感”と不必要な謎の演出

8月3日、高市早苗首相が熊本地震の被災地である熊本県を視察した。7月28日の地震発生から6日後に現地入りし、ヘリなどから被災状況を自ら確認。視察の様子を首相官邸が公式SNSに投稿したのだが、その内容に強い批判が殺到している。
「災害を利用してPV」BGM付き動画が物議
視察では、地震後に爆発が起きたことで多くの犠牲者が出た「イオンモール熊本」のほか、煙突が倒壊するなどして被害者が出た「日本製紙八代工場」などを自衛隊ヘリで上空から確認。氷川町にある避難所では被災者らと面会し、励ましの言葉をかけた。
高市首相は視察後、記者団に対して「政府一丸となって震災対応や生活・なりわいの再建支援に取り組む」と述べ、熊本地震を「激甚災害」に指定する方針を表明した。
「さらに、対象地域を特定しない“本激”を適用するとし、200億円を超える規模の予備費の使用を4日に閣議決定しました。激甚災害に指定されると、インフラや農業関連施設の復旧に対する国の財政支援が手厚くなります。
能登半島地震などに比べて被害規模が限定的であることなどから、政府内では慎重論も出ていたそうですが、“やれることはすべてやる”と前のめりな姿勢を見せる首相はスピード重視で一気に判断を進める考えのようです」(全国紙政治部記者)
しかし、一方で物議を醸しているのが、官邸の公式アカウントで公開された“BGM動画”だ。今回の被災地視察をまとめた1分53秒の動画で、X(旧ツイッター)やインスタグラム、YouTubeなどで一斉にアップされた。
「防災服を着た首相が自衛隊機に乗り込むところから始まるその映像には、まるでドキュメンタリー番組かのようなしっとりとしたピアノ曲がBGMとして流れています。動画の最後は、被災者の1人が首相に“全部が全部ありがたかったです”と言う場面で締めくくられており、まるで首相が主人公の作品に。
この内容に対して、“なんで高市早苗のプロモビデオになってるの?被災者を自己アピールのネタにして人として恥ずかしくないですか?”“被災地まで利用してまでやってる感の露骨なアピール、主役はサナ”“このBGMはなんでしょうか?災害を利用してPV作ってるのかとびっくりしました”“映える動画意識してるのか、このような編集に強烈な違和感を覚える”など、疑問の声が多数寄せられています」(同・政治部記者)
動画を確認すると、かなり手の込んだ作りであることが分かる。さまざまなアングルから撮影された映像に加え、一部にはスローモーションのような演出も。視察当日の午後11時台にアップされたことを考えると、「ずいぶん準備がいいな」と受け止められるのも無理はない。
迅速な被災地視察のはずが、思わぬ形で“迅速な演出動画”として注目を集める結果となったようだ。
週刊女性PRIME

わいせつ処分歴ある保育士の情報データベース、活用進まず…全国6010施設が利用登録せず

子どもへのわいせつ行為で処分歴のある保育士の情報を蓄積した国のデータベース(DB)を巡り、こども家庭庁は4日、全国の保育所や認定こども園など6010施設が今年1月1日時点で利用登録していなかったと発表した。
DBは児童らへの性暴力などを理由に保育士登録を取り消された人の氏名や生年月日などが登録され、2024年4月に運用が始まった。今年4月時点で117人が登録され、保育所などは保育士を雇用する際にDBでの確認が義務付けられている。
同庁が今年1月に全国の保育所など約11万施設の活用状況を調べたところ、回答した3万6423施設のうち6010施設(16・5%)が利用登録していなかった。登録している施設でも、「全く活用していない」としたのは5064施設(13・9%)に上った。
同庁は4日、全国の自治体を通じて施設に活用の徹底を促す文書を発出した。

「沖縄と戦争」見つめる旅に終わりはない 写真家・松村久美さん

今年4月13日~6月3日、米軍のベトナム戦争出撃拠点であった1970年代の沖縄を舞台とした写真展が、東京工芸大学の写大ギャラリー(東京都中野区)で開催された。撮影者は、カメラマンとして一貫して沖縄を見つめてきた松村久美さん(79)。松村さんの目に映った、当時の沖縄にはどんな戦争の影があったのか、また写真展を通して伝えたいことを取材した。【青山学院大・米田麗美(キャンパる編集部)】
爆撃機墜落で知る「戦場」の現実
松村さんは47年に生まれ、東京写真大学(現・東京工芸大学)で報道写真について学び、68年に卒業した。松村さんが初めて沖縄に足を運んだのは、大学卒業後の68年11月だ。「八重山諸島の祭事に興味があり、見てみたいという単純な気持ちから2週間の沖縄旅行を決めた」と松村さんは振り返る。
沖縄に着いた次の日の同月19日、観光バスに乗った時だった。ちょうど嘉手納基地の近くを通りかかった時に、カーラジオから速報が流れた。「今朝、嘉手納を飛び立とうとしたB52が離陸に失敗し、墜落炎上して……」。本土から来た観光客は皆、事の重大さを理解しておらず、松村さんも例外ではなかった。「へー、と思って終わった」
観光を楽しんでホテルに帰ると、ロビーにはラジオが伝えた墜落事故を報じる地元紙の写真入りの号外が散らばっていた。写真を見て、超大型の戦略爆撃機であるB52の墜落によって多くの被害が出たのだと理解した。記事を読み、「基地のフェンスのすぐ近くの住宅街にまで墜落機の破片が飛んだ」「ものすごい音がして、住民は戦争かと思い跳び起きた」という内容に衝撃を受けた。「あまりにも沖縄のことを知らなかった、ここはまるで戦場じゃないか」
沖縄移住を決意
太平洋戦争で日本が敗れた後、米国施政下に置かれた沖縄には嘉手納基地などの米軍基地が置かれた。「住民の土地は強制的に接収され、広々とした基地になった」と松村さんは語る。そして米国が本格的にベトナム戦争に参戦した65年以降、沖縄は米国のベトナム攻撃の拠点となり、特に墜落事故が起きた68年の2月からは嘉手納基地にB52が常駐を始め、ベトナムをじゅうたん爆撃するため連日出撃していた。松村さんは、「ベトナムでは、沖縄は『悪魔の島』と呼ばれていた」と語る。
沖縄旅行のさなかに起きた、この予期せぬ墜落事故をきっかけに、沖縄に対する関心が一気に強まった。「自分はあまりにも沖縄を知らない。沖縄の現状を知らなきゃいけない」。大学時代に所属していた報道写真研究室の恩師に相談した。「沖縄に移住して、写真を撮ろうと思います」。恩師の紹介で毎日新聞社のグラフ誌「毎日グラフ」の仕事を確保し、69年には沖縄に移住した。
「圧政」が生む憎悪と国境を超えた親近感
70年12月、松村さんに強烈な印象を残す事件が起きた。コザ市(現沖縄市)で起きた「コザ騒動」だ。米兵が住民を車ではねたが、米軍の軍律維持を担う米憲兵(MP)は事故処理を巡り、騒然とする群衆に威嚇発砲を行った。この行為に地元住民の不満が爆発し、数千人の群衆が米軍車両を約80台焼く事態へと発展したのだ。
コザ騒動の10日ほど前にも、飲酒運転で主婦をひき殺した米兵が無罪を言い渡される事件があった。米国施政下の沖縄では当時、米軍人や軍属による犯罪が多発したが、警察による十分な捜査や司法手続きが行われず、住民が泣き寝入りする事態が多発していた。コザ騒動について松村さんは「米国による圧政への不満が一気に噴き出した」と説明する。
コザ騒動を報じる新聞記事に「黒人街で黒人兵百人がMPの車2台を燃やす」という記述があった。この記事を見た松村さんは「黒人街って何だろう」という思いで、アフリカ系の米兵らが集まるコザ市照屋の「黒人街」と呼ばれるエリアに、カメラ片手に足を運ぶようになった。
当時、アメリカでは黒人差別に抗議し、黒人の権利を主張する公民権運動に火がついていた。これに呼応し、沖縄でも基地内で黒人のアイデンティティーを主張する動きがあった。松村さんの写真展の展示作品の中にも「BLACK IS BEAUTIFUL」(黒は美しい)、「BLACK AND PROUD」(黒人であることに誇りを持とう)と書かれたジャケットを着て歩く黒人の集団が写されている。
松村さんによると、沖縄住民は、そんな彼らに対してある種の「親近感」があったという。「黒人の立場と沖縄の人々の立場が非常にクロスしていた。人種差別と人権無視の中で生きてきた黒人たちと、米軍圧政の中で暮らす沖縄の人たちという、同じ圧政を受けた民族というつながりが親近感を生んでいた」と語る。
松村さんによると、コザ騒動の時、「住民は黒人兵の車を逃がした」という証言があったそうだ。その頃基地内では、ベトナム戦争に反対した兵士による反軍運動や兵役拒否、海兵隊兵士による脱走など、米兵の反乱が相次いで起きていた。
黒人街では、出撃前の兵士の送別会が行われていた。ベトナムに初めて出撃する兵士たちは「二度と沖縄には帰れない」という気持ちで、手持ちのドルを使い尽くす。出撃を待つ兵士たちは「刹那(せつな)的に生きるしかなかった」と松村さんは語る。
自分を見つめ続けて
長い年月をかけて、沖縄にこだわり続けている松村さん。黒人街以外でも、反基地闘争や米軍基地労働者のストライキ、自衛隊の訓練など政治や軍事に関連するものから、ハンセン病療養所である沖縄愛楽園、離島の暮らしや祭事、風俗まで、幅広く沖縄を撮影している。78年には中南米の沖縄移民たちを訪ね歩いた。
まだ女性の写真家がほとんどいなかった時代、「ヤマトンチュ(本土出身者)」であることの葛藤を抱えながら、膨大な写真を撮影した。83年にはエッセー集「片想いのシャッター 私の沖縄10年の記録」(現代書館)を出版するものの、その後一時、沖縄や写真から遠のく。そして2006年から撮影を再開し、今に至る。
沖縄に対する見方は一貫して変わらないという。松村さんにとって沖縄を撮ることは「自分を見つめること」でもあるそうだ。今回、東京で実施した写真展のタイトルは「沖縄から<沖縄>へ 1969-79」。同タイトルには、「沖縄から離れたり戻ったり、沖縄から沖縄への旅に終わりはない」という松村さんの気持ちが込められている。
こだわりが凝縮された写真集
松村さんは、写真展の開催と同時並行で、沖縄での撮影成果を収めた初の写真集「この先の島じまへ 1969―1980 沖縄」(月曜社)を4月に出版した。「沖縄に魅入られて五十余年、なぜこれほどまでにひかれるのか」という思いを、「一つの形にして残したい、と思うようになった」という。4万枚に及ぶフィルムカットの中から写真を選び、撮影年月や場所の確認などに3年の時間を費やした。
松村さんと知己があり、同じく本土出身者として沖縄に関する資料保全・展示活動を続ける、東京都狛江市にある「狛江の小さな沖縄資料館」館長の高山正樹さん。その高山さんは、松村さんを「稀有(けう)な存在」と評する。「本土出身の写真家にとって沖縄は、たとえ大きな要素だったとしても、あくまでも本人の作品の中の一部であることが多い。一方で、松村さんは徹底して沖縄にこだわり、沖縄を撮り続けている」。数十年にわたり沖縄に向き合ってきた松村さんが今、初めて写真集を出すことを高山さんは「松村さんの、沖縄に対する真摯(しんし)な姿勢が表れている」と捉える。
今も戦争に向き合う沖縄
若い世代に向け、松村さんは「写真展や写真集を見ることで、70年代の沖縄をわずかではあるが知ることができる。当時の基地はベトナム戦争に利用されていたが、基地や米軍の存在は沖縄では変わっていない。今現在、石垣島、宮古島、与那国島には自衛隊のミサイル基地などが置かれ、要塞(ようさい)化が進んでいる。昔も今も本土防衛の『捨て石』的な存在であることに変わりはない」と指摘する。
その上で「いつでも戦争の危機は訪れる。70年代の沖縄における戦争を、遠い過去のこととして捉えるのではなく、戦争は今も続いていることだと認識してほしい。若い人たちにも、戦争をひとごとではなく、自分のこととして捉えてほしい」と語った。

警官発砲、包丁男が死亡=威嚇射撃にも応じず接近―大阪府警

4日午後7時ごろ、大阪府河内長野市木戸西町で、「包丁を持った血だらけの男が暴れている」と110番があった。駆け付けた警察官が包丁を持って向かって来た男に拳銃を発砲し、左胸に命中。公務執行妨害容疑などで現行犯逮捕したが、男は搬送先の病院で死亡が確認された。
府警は「亡くなられたことは大変残念。発砲の要件は満たしていると判断されるが詳細については調査中」としている。
府警によると、男は近くに住む無職土屋重吉容疑者(60)。司法解剖の結果、死因は胸を撃たれたことによる出血性ショックだった。弾は体を貫通していたという。
スーパー出入り口付近で暴れているとの通報を受け、河内長野署員5人が臨場し、近くの路上で土屋容疑者を発見。男性巡査部長(32)は包丁を捨てるよう警告したが応じなかったため、上空に1発威嚇射撃した。それでも向かって来たため、同容疑者に向けて1発発射したという。5人にけがはなかった。 [時事通信社]

被災地で渋滞深刻、復旧足かせに 熊本地震、各地で路面損壊

最大震度7を観測した熊本県の被災地で、渋滞が深刻化している。大動脈の九州自動車道が不通となった上、九州新幹線は運休。並行する国道3号に車が集中するが、各地で路面が損壊し、倒壊家屋が道をふさぐ。支援物資搬送や災害ごみの処理の足かせになっており、国や熊本県は、急を要しない場合は一般車両の通過を控えたり、迂回路を活用したりするよう呼びかけている。
同県氷川町の国道3号。追い越し禁止の片側1車線は路面のところどころが隆起していた。車は減速して通過せざるを得ず、後続がどんどん詰まっていく。
県によると、被害が大きかった県南部は特に流れが悪い。路面の隆起や陥没が生じ、倒れた建物が道路にせり出して通行を阻んでいる。他地域から、親族などのために物資を運ぶ車の影響で、交通量が増えているとの見方もある。
九州道は松橋インターチェンジ(IC)―えびのICの上下線、南九州自動車道も八代ジャンクション(JCT)―田浦ICの上下線でそれぞれ一般車両が通行止めに。橋梁の損傷が相次ぎ、1メートル超の高低差が生じた箇所もある。

ベントレーで車7台多重事故 映像に「逃走する男の姿」が 自称インフルエンサー逮捕

車7台に衝突して人にけがをさせたうえ、逃走したとして逮捕されたのは、SNSに高級車を運転する様子などを投稿していた、自称・インフルエンサーの男でした。
【画像】SNSフォロワー数は約55万人 自称インフルエンサーの容疑者
映像に「逃走する男の姿」が
白い煙を上げながら走る高級車ベントレー。ドアが開くと、運転していた男が車を降り、その場から走り去ります。
男が事故現場から逃走する瞬間を捉えた新たな映像です。
車7台に衝突してそのまま逃走したとして過失運転致傷などの疑いで逮捕されたのは、韓国籍の宋竜巳容疑者(49)です。
宋容疑者は自称・インフルエンサーで、SNSのフォロワー数はおよそ55万人に上ります。
高級車を運転したり、ショールームを見て回ったりする様子がアップされています。
事故は3月、東京・八王子市の片側2車線の道路で起きました。
信号待ちをしていた車の列に宋容疑者が運転するベントレーが突っ込み、合わせて7台に次々と衝突しました。
この事故で、30代の男性が首の骨を折るなど、6人がけがをしました。
近隣住民

「ドーンというような音。(被害者は)首を触ったり、車を見ていたりしていた」
宋容疑者は、現場から300メートルほど離れた場所で車を乗り捨てたとみられます。
空き家に潜伏 警察犬発見
その後の足取りも分かってきました。
宋容疑者は市内にある会社の事務所に侵入し、通報されますが、その際ジャンパーを脱ぎ捨てました。
近くの空き家に隠れましたが、ジャンパーのにおいを頼りに警察犬による捜索が始まり、宋容疑者を発見しました。事故の発生からおよそ3時間半後でした。
宋容疑者の供述

「私が運転しているベントレーは外車で、車幅が日本車両よりも大きいので、ぶつからずに行くのは難しいと分かっていましたが、走り抜けるしかないという気持ちで、間を抜けようとしました」

「アクセルを踏み、ハンドル操作しながら、計7台くらいの車にぶつかりながら走り抜けました」
宋容疑者は容疑を認めているということです。
(2026年8月5日放送分より)

【速報】食料品の消費税来年4月から2年間1%に減税の方針を了承 自民・臨時総務会

自民党は5日、臨時の総務会を開き、食料品の消費税を来年4月から2年間、1%に減税する方針を正式に了承しました。
自民党が5日の臨時役員会で了承した基本方針では、食料品の消費税を来年4月から2年間、1%に引き下げ、中低所得者に手厚く対応する観点から消費税1%に相当する範囲内で給付をおこない、「消費税の実質ゼロ化を実現する」としています。
財源については市場の信認を損なわないようにするため赤字国債に頼らないことを明記し、「来年度の予算編成過程において改革を具体化するなかで結論を得る」としています。
また、2029年4月からは新たに「所得に連動したきめ細かな給付」を導入することも決定しました。
政府は5日、臨時閣議を開催し、基本方針を決定することにしています。

任意同行中の男性、署内個室トイレで首を吊った状態で発見 意識不明で搬送 兵庫県警・灘警察署

5日朝、兵庫県警灘警察署で、任意同行して取り調べ中だった43歳の男性が署内の個室トイレで首を吊った状態で発見されました。男性は意識不明で病院に搬送されたということです。
警察によりますと、5日午前5時ごろ、男性を任意同行して灘警察署内で取り調べをしていたところ、男性が取り調べの途中で「トイレに行きたい」と訴えたため、署員が署内の個室のトイレに連れて行きました。
男性はトイレに入った直後は署員の声かけにも応答していましたが、入室から約6分後、署員がもう一度声をかけると応答がなかったため、署員が個室内を確認したところ、男性が首を吊っているのを発見したということです。
発見時、男性は意識がなく、病院に搬送され救命措置を受けています。
警察は男性が自ら首を吊ったとみて当時の詳しい状況を調べています。

熊本地震、未知の小さな断層の破壊から別の断層に連鎖した「複雑な地震」だったか…筑波大教授が分析

7月28日の熊本地震は、未知の小さな断層の破壊から始まり、4秒後に主な破壊を起こした断層に連鎖して発生した可能性があると、筑波大の八木勇治教授(地震学)が分析した。二つ以上の異なる形状の断層が連動した複雑な地震だった可能性があるという。
気象庁や政府の地震調査委員会によると、マグニチュード(M)7・1の今回の地震は、2016年の熊本地震の原因にもなった日奈久(ひなぐ)断層帯の一部が震源域となり、断層に沿って岩盤が水平方向にずれ動く「横ずれ断層型」だったとされる。八木教授は、世界中で観測された微弱な地震波のデータから今回の地震の断層運動を詳細に解析した。
その結果、地震波は、発生から4秒までの初期破壊と、4秒以降の主破壊で異なっていた。初期破壊では、岩盤が断層を境に外向きに引っ張られる「正断層型」の特徴がみられたといい、横ずれ型の主破壊とは異なる形状の断層が動いたことが示唆された。さらに、主破壊がピークに達した6~8秒頃、複数の断層が同時に動いていた可能性があるという。
八木教授は「余震などのデータが集まれば、より詳細な破壊過程を明らかにできる」と話している。

「臭いがきつくトイレを控えたい」──排泄物の処理が追いつかない現状も 熊本地震1週間 現地取材で感じた暑さ・トイレ問題

7月28日に熊本県で発生した地震では、今なお多くの被災者が避難生活を強いられています。特に厳しい問題として、暑さとトイレ事情が挙げられます。冷房なしで車中泊をする人や、排泄を控える人も。現地で取材した記者と、被災地の現状を考えます。
山﨑誠アナウンサー
「地震の発生から4日で1週間です。地震発生翌日から被災地で取材を行った、(日本テレビ)社会部の今田優衣記者と、被災地の現状についてお伝えします。今田さんは7月29日~8月2日、現地で取材をしていました」
今田記者
「現地は本当に暑く、少し外に出るだけで汗が噴き出すような状況でした。特に厳しいと感じた現状が2つありました。1つ目は暑さ、 2つ目はトイレの環境です」
「発災以降猛暑が続いていて、4日の熊本市は最高気温36.8℃と猛暑日でした。発災当初は冷房がつかない避難所もあり、車中泊をされる方がかなりいらっしゃいました」
「ただ車中泊をされた方は、『冷房を入れた状態で一晩過ごしたらガソリンが半分ほど減ってしまった』と言っていました」
森圭介アナウンサー
「氷川町で車中泊をされた方が、熱中症の疑いで亡くなったというニュースも伝えてきました。寝ている途中でガソリンが切れてしまうことも考えうる、ということですよね」
今田記者
「私が取材した氷川町に住む田中正さんは地震で家が潰れてしまったのですが、発災直後は氷川町の避難所がまだ開設されておらず、自身の軽トラックで一晩過ごしたそうです」
「しかしガソリンの残りが少なかったため、冷房を我慢。『車内よりは涼しいと思ってトラックの荷台で寝ようとしたものの、暑さで全然寝られなかった』と話していました」
山﨑アナウンサー
「私も現地を取材しましたが、地震があった翌日(7月29日)の午前8時にはもうガソリンスタンドに長蛇の列ができていて、皆さんガソリンをなんとか入れようと並ばれていました」
「ただ多くの方が並んだ分、すぐに売り切れになってしまったガソリンスタンドもあり、ガソリンが欲しくてもなかなか手に入れることが難しいという状況もありました」
桐谷美玲キャスター
「夜も気温がなかなか下がらず、涼しい状況ではないと思うので、より熱中症も心配ですよね」
今田記者
「避難所に電気が通った後も、避難所は気を使うからといった理由で、ガソリンを節約しながら車中泊を続ける方もいました。暑さの中で命を守るためにも、まずはできる限り避難所を利用してほしいと感じました」
山﨑アナウンサー
「クーラーを使えない状況での車中泊などについて、備え・防災アドバイザーの高荷智也さんに聞きました。クーラーをつけられない自動車では、車内の温度を下げることは困難で、『車中泊は極力避けてほしい』と話していました」
「ただ、どうしても車中泊をしなければいけない状況で、冷房も使えないという場合は、建物などの日陰に移動し、安全と防犯が確保できる範囲で、窓だけでなくドアやバックドアも開けるということです。風通しを良くするということですね」
「そして車体の上に空間を設け、キャンプで使うタープなどを張って車体に当たる直射日光を減らす。こうすることで、少しでも車の温度を下げることにつながるということです」
今田記者
「続いて、避難所のトイレの環境です。トイレについてはかなり厳しい状況だと感じました」
山﨑アナウンサー
「断水が続いている地域が多く、水が使えないので、仮設トイレがいくつか用意されているという状況です。ただ厳しい暑さの中で、外の個室の中なので、暑さや臭いを気にされる方は多くいらっしゃいました」
今田記者
「私が取材した、地震発生直後の八代市の避難所や氷川町役場では断水していたため、凝固剤を使用する簡易トイレを使っていたのですが、排泄物を入れた袋が積み重なったままで処理が追いついていない状況でした」
「さらに衛生面では、発生から時間がたつにつれて、くみ取り式の仮設トイレを設置する避難所がありました。こちらでも排泄物のくみ取りが間に合わず、連日の暑さもあり、『なかなか臭いがきついところ』と話す避難者の方もいらっしゃいました」
森アナウンサー
「昔から災害時のトイレの問題はついて回るものでしたが、暑さの次元が変わったことによって課題も変わってきたんですね」
今田記者
「被災地は連日暑かったのですが、『熱中症対策のために水分を取りたいけど、臭いがきつくトイレを控えたい』と水分を取ることを我慢している人や、『簡易トイレの使い方が分からないから』と、使うのをそもそも控えている方もいらっしゃいました」
瀧口麻衣アナウンサー
「トイレはプライバシーのこともありますし、なかなか人に相談できないという方も大勢いらっしゃるのかなと思います。また簡易トイレは普段使わないものなので、改めて使い方を確認しておくことが大切ですね」
山﨑アナウンサー
「災害時のトイレ問題については、自治体なども動き始めています。東京・品川区は8月2日、換気扇がついた水洗式のトイレトラックを熊本県の宇城市役所に派遣しました」
「品川区の担当者によると、これまで起きた災害でトイレ環境の悪化によってトイレに行かず、災害関連死につながってしまったことを受けて、きれいなトイレを使ってほしいと被災地に派遣したそうです」
「この品川区が派遣したトイレトラックと同じものではありませんが、トイレカーを現地で取材しました。男性用・女性用トイレとは別の、駅や商業施設にある車椅子などの方も入れる『誰でもトイレ』ほどの広さがあり、中もきれいで水が流れました」
「また、災害用トイレなどを扱う日本セイフティーは、特殊な防臭フィルムの中に排泄物を入れて熱で密封できる『ラップポン』を、熊本県内の病院や避難所を中心に導入しました。食環境衛生研究所によると、約1か月臭いをもらさないということです」
今田記者
「地震発生から1週間ですが、厳しい暑さでの避難生活や片付け作業の中で、心だけでなく体にも大きな負担がかかっていると思います」
「取材する中で、『暑さはつらいけど贅沢は言えないから』と我慢を重ねる方もいました。避難所を支援する医師も『遠慮した結果、体調を崩される人も多い』と話していました」
山﨑アナウンサー
「熊本県八代市の旅館では、4日から避難者の受け入れが始まります。二次災害を防ぐためにも、受け入れが始まっているホテルなどへの二次避難も検討していただきたいと思います」
(8月4日『news every.』より)