きのう(29日)夜、神奈川県海老名市の住宅で、中学生2人と小学生1人が意識のない状態で見つかり、その後、死亡が確認されました。警察は一緒に病院に運ばれた母親から事情を聞くなどして詳しい経緯を調べています。
死亡したのは、海老名市国分南の住宅に住む中学3年の林莉子さん(15)と中学1年の茉子さん(13)、小学4年の怜生さん(9)の3人です。
きのう午後11時ごろ、帰宅した父親が「子ども3人が頭から出血していてぐったりしている」と119番通報しました。
3人はいずれも外傷があり、意識のない状態で病院に運ばれましたが、その後、死亡が確認されました。また、亡くなった3人の母親も病院に運ばれましたが、命に別状はないということです。
警察によりますと、亡くなった3人は、この家の2階部分に両親と合わせて5人で暮らしていて、1階には親族が住んでいるということです。
警察は病院に運ばれた母親が何らかの事情を知っているとみて詳しい経緯を調べています。
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沖縄市・民家敷地の赤ちゃん遺体 新生児遺棄疑いで30歳母を逮捕
沖縄市の民家の敷地で29日、生後間もない女児の遺体が見つかった事件で、県警は同日、この家に住む飲食店従業員の女(30)を死体遺棄の疑いで緊急逮捕した。調べに対し、容疑を認めているという。
逮捕容疑は12月下旬、沖縄市南桃原の民家敷地に新生児の遺体を放置し、遺棄した疑い。
県警によると、女児は女が出産した子で、生後間もなく黒い布のようなものにくるまれて女が住む家の敷地内で発見された。周囲の聞き込みや現場付近の捜査を経て、女を緊急逮捕した。死亡した経緯は捜査中。
事件は29日午前8時20分ごろ、女の家族から「赤ちゃんが捨てられている」と110番通報があり発覚。警察や消防が駆け付けたが、女児は通報から約15分後に現場で死亡が確認された。
《これから行きませんか?》虚偽の性被害告訴…元草津女性町議が借金トラブルで町民からも提訴されていた 返金求める被害者に見せた“色仕掛けの泣き落とし”
「人の良心を悪用するなんて本当に許せません。彼女にはお金だけではなく、町民と築いた信用も奪われました。一日も早く返金してほしいし、謝罪してほしいです」
「日本三名泉」のひとつとして、人々の心身を癒やし続けている草津温泉。群馬県北西部に位置する人口約6000人の草津町を騒がせたのが、当時町議だった新井祥子氏(55)をめぐる一連の虚偽告訴事件だった。
発端は2019年11月、新井氏がフリーライターと共謀して、同町の黒岩信忠町長と「町長室で肉体関係を持った」とする証言をもとにした電子書籍を出版したことだ。黒岩町長はその証言が虚偽で、名誉が損なわれたとして新井氏らに損害賠償を求めて提訴。今年11月26日に東京高裁では「社会的評価が大きく低下することになった」として、新井氏に165万円の支払いを命じる判決が確定している。現在は、虚偽告訴罪と名誉毀損罪について刑事裁判で審理されている。
新たなトラブルが発覚
NEWSポストセブンが草津で取材を進めると、新井氏の新たなトラブルが発覚。すでに泥沼裁判に発展していることがわかった。冒頭で切実な思いを訴えたA氏が代表で原告となり、借金の返済など含め、新井氏に総額約280万円の貸金返還を求める民事訴訟を起こしているのだ。
新井氏と係争中のA氏が彼女と初めて会ったのは2007年頃だった。
「私が湯治のために草津を訪れた時期でした。湯治仲間として知り合った新井さんに、私をはじめとする3名が彼女にお金を貸与しました。彼女本人と借用書も交わしましたが、現在に至るまで返金がない状況です。
返済の意志や誠意ある対応もみられなかったため、昨年末に貸金の返還を求めて民事訴訟に踏み切りました。裁判は11月5日で9回目となりますが、本人は1度も出廷せず、雲隠れしている状態です」
新井氏は2011年、42歳で草津町議会議員選挙に初当選。草津町議会初の女性議員として当時は話題になった。全国紙社会部記者が語る。
「新井さんはかつて『草津温泉が皮膚病に効果がある』と湯治仲間から聞いて草津に通い始めました。そこで知り合った町の人のためになりたいと思ったのが彼女が政治家を目指したきっかけだそうです。
しかし、2期目の任期中だった2019年11月に突如、黒岩町長と『町長室で性交渉した』とする証言をもとにした電子書籍を出版して、草津町議会がワイドショーの格好のネタになりました」
責任を問われた新井氏は2020年12月、自身に対する解職請求(リコール)が成立して失職。今年1月には前橋地裁が執筆したライターに名誉毀損の罪が成立するとして懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡している。
逮捕後に不倫相手に届いた手紙には「一分一秒でも早くあなたの元に帰ります」 妻子殺害などの罪で無期懲役の判決を受けた男 裁判で明らかになった殺害の経緯と動機
2024年11月22日、新潟地裁で1人の男に無期懲役の判決が言い渡されました。 男は自宅で妻(当時29)と長女(当時1)の首を絞め殺害した罪など4つの罪に問われていました。 8回の公判では、検察側が”殺害の動機”とした元不倫相手の女性も証言台に立ちました。女性が明らかにしたのは、逮捕後に男から届いた手紙でした。
被告が問われた4つの罪
新潟市南区の元看護師、渡辺健被告(31)は4つの罪に問われていました。
◆妻に睡眠薬入りの飲み物を飲ませ、交通事故を起こさせた殺人未遂の罪 ◆妻を殺害しようと考え、当時勤務していた病院から塩化カリウム10本を盗んだ殺人予備と窃盗の罪 ◆自宅で妻と長女の首をロープで絞め、窒息死させた殺人の罪
冒頭陳述で検察側は、一連の犯行を“不倫相手との関係を続けるために障害となる妻子を排除するため”だったと主張していました。 裁判では、その元不倫相手の女性が証言台に立ち、約3年に及ぶ被告との関係について証言しました。
職場の“先輩後輩の関係”から不倫関係に 妻にすぐばれるも…
渡辺被告と女性とは職場の先輩後輩の関係でした。不倫関係になったのは、事件の約3年前、2019年10月のことでした。
検察官:「既婚者であることは知っていた?」 女性:「はい」 検察官:「不倫関係を疑われたことは?」 女性:「あります」
2人の関係に気付いた渡辺被告の妻が、渡辺被告のアカウントで、メッセージを送ってきたこともありました。
検察官:「その後、関係は?」 女性:「続けました」 検察官:「なぜ?」 女性:「自分としても気持ちがあったので」
2020年1月ごろには、渡辺被告の妻から慰謝料の請求に関するメッセージが届きました。女性が渡辺被告に相談すると、渡辺被告は「そこ(慰謝料請求)まではやらないんじゃない」と答えたそうです。 しかし、結局女性は慰謝料として50万円を支払うことに。また、妻の弁護士との間で、“今後プライベートなどで連絡を取らない”という文書を交わします。 しかし、その後も渡辺被告との不倫関係は続きます。
検察官:「それはなぜ?」 女性:「気持ちがあったので続けました」
不倫関係を始めてから約1年後、渡辺被告に長女誕生 女性は「2人で会うのやめたい」と告げるもー
検察官:「(長女誕生を)知ったきっかけは?」 女性:「職場の人が話をしていたこともあったし、被告の車にチャイルドシートが乗っていたので」 検察官:「子供ができたことを知ってどう思った?」 女性:「奥さんとの関係も順調そうなのに、なんで自分と会い続けるのかな?と。関係をやめないといけないと、ずっと思っていた」
2020年の冬、女性は渡辺被告に「もう2人で会うのはやめたい」と告げました。
検察官:「被告の反応は?」 女性:「まだ会うのはやめたくないと言われました」
2月に自宅で渡辺被告と会った際にはー
女性:「(渡辺被告は)”やっぱり会うのは最後にしたくない”と。”私の誕生日があるのでそのことを考えていた、誕生日をお祝いするつもりで休みを取っていた”と」 検察官:「何と答えた?」 女性:「私はやめたいと伝えました」
その後、しばらく会わなくなりましたが、再び渡辺被告から連絡が来ました。
女性:「会うのやめてから元気が出ないということで、”もう1回会いたい”と」 検察官:「あなたは何て言いましたか?」 女性:「考えたいと言った」
結局不倫関係は再開し、誕生日も一緒に過ごしました。
検察官:「誕生日で覚えていることは?」 女性:「出かけたり、ケーキを買って家で食べたり」
渡辺被告の新居が建つまでの約4カ月間、女性の自宅で同棲生活を送ることにー
渡辺被告は、殺人事件の現場となった新居を建てることになりました。新居が建つまでの間ー
女性:「私の家に居候とみたいな形で一緒に生活したいと話がありました」 検察官:「奥さんはどこに?」 女性:「実家に帰ると言っていました」 検察官:「それを聞いて、あなたはどう思いましたか?」 女性:「奥さんとの関係が順調の中で、自分との関係を続けるのかなと思っていました」
検察官:「被告人は?」 女性:「”離婚を考えている”と。”私との関係を正式な形で進めていきたい”と」 検察官:「もし離婚したらお子さんはどうなると?」 女性:「奥さんが育てるのかなと思っていました」 検察官:「もし被告人がお子さんを引き取ると言ったら?」 女性:「その時になってみないと何とも言えないですけど、すぐに賛成できる感じとは思っていなかった」 検察官:「それは何で?」 女性:「自分が育てる自信がない」
検察官:「今後について聞いたことは?」 女性:「あります」 検察官:「どんなことを?」 女性:「自分との将来の話だったり、離婚の話だったり」 検察官:「奥さんとの生活を比べるような話をしたんですかね?」 女性:「奥さんとの生活と比べて不満はないかと話はしました」 検察官:「これに対して被告は?」 女性:「”不満はないよ”と」 検察官:「新居で暮らすと聞いてどう思ったか?」 女性:「奥さんと離婚を考えているとあったけど、離婚について話は進むのか不安がありました」
女性は、渡辺被告が本当に離婚をするのか不安になったため、「年内に離婚の話が進んでいなければ、諦めてこの関係は終わる」と告げました。
検察官:「それに対して被告は何と言いましたか?」 女性:「”1年以内に奥さんとの関係をはっきりさせるまではいかなくても、話はする”と」
しかし、後日、渡辺被告から「離婚話がなかなか進まない」と伝えられます。
女性:「離婚について話はしてるけど、(奥さんは)まだ私との関係が続いていて離婚の話をしてるんじゃないかと考えていて、話が進まないと言われた」
離婚話は進まず不倫関係は継続 妻と娘が殺害された日も密会を
渡辺被告が妻子を殺害したのは2021年の11月7日。その日の未明も、渡辺被告は女性にメッセージを送っていました。
▼11月7日 午前1時27分 渡辺被告→元不倫相手 「今から行きます」
▼11月7日 午前4時頃 元不倫相手→渡辺被告 「きのうも健さん可愛かった。きょうは特に可愛かった。もっと一緒にいたいって言ってくれるのすごく嬉しい」
この約6時間半後、渡辺被告は妻と長女の首を絞めて殺害したということです。
判決では、殺人に関する次のような事実が認定されました。
妻は、婚姻後、間もなくして被告人による不倫や預金の使い込みがありながらも、変わらず夫婦であり続けようとし、長女の誕生後はひたむきに育児に励みつつ、新居で被告人と共に新生活を始めた矢先、被告人に裏切られ、最期は長女の目の前で命を奪われた。
愛する我が子を育てることも、その成長を見届けることもできないまま命を奪われた無念さは察するに余りある。
長女は、当時1歳になったばかりで、周囲から愛され、本来父親である被告人に庇護されるべき立場にあったのに、その被告人から突然殺害されたものである。 妻の悔しさ、無念さ、悲しさ、絶望は筆舌に尽くし難いものといえるし、長女の死も痛ましいというほかない。
殺害の態様は、ロープを用いて2名を手早く絞め殺すというものであった。 被告人は、まず妻に対して、背後から近づいて突如首にロープをかけ、これを外そうともがく妻の抵抗を排して2、3分絞め上げ、ぐったりとして鼻から血が出ていたにもかかわらず、手が震えているように見えたため、まだ息があると考え、 再度首を絞め上げて、完全に動かなくなったことを確認した。
続けて、妻を起こすようにその肩辺りをたたく長女を見て、その首にロープをかけて絞め始め、眼前で苦しそうに泣く姿にも構わず、2、3分間力を緩めず絞め続けた結果、泣くこともできなくなってぐったりとしたにもかかわらず、鼻提灯が膨らんでいるのを見てまだ息があると考え、再度首を絞め上げて、完全に動かなくなるまで続けていた。
いずれも一度目に相応の時間を掛けて首を絞め上げているにもかかわらず、僅かでも生きている可能性を認識するや再度絞め上げて息の根を止めたのであり、強固な殺意に基づく極めて悪質なものといわなければならない。
絞殺するため事前にロープを購入したり、窒息死に至る時間や血痕の拭い方を事前に検索するなど、犯行は計画的である上、殺害後は稚拙ながらも妻による無理心中に見せかけるため、妻の携帯電話機を用いて遺書を作成したり、ロープを現場に垂らしておくなどの偽装工作も行っており、犯行後の情状も相当悪い。
逮捕後、渡辺被告から送られてきた手紙の内容とは
女性は、渡辺被告が逮捕されてから半年後に、面会に行ったと明かしました。
女性:「面会の時、“待っている”という内容を言いました」 検察官:「どういう意味で言ったんですか?」 女性:「逮捕されて、もし出てきたのであれば一緒にいるという意味で言いました」 検察官:「被告人は何と言った?」 女性:「”自分のことを一番に考えてほしい”と。”待っていると言ってくれるのであれば待っててほしい”と」
その後、2人は手紙でやり取りを続けました。
検察官:「どんな内容の手紙が来ましたか?」 女性:「”ずっと思っている”だったり、”少しでも早く私のところに戻って一緒になりたい”」 検察官:「他に覚えていることは?誓いに関することは?」 女性:「”今後一生の誓いを立てる”と、味方でいる気持ちっていう内容でした」
検察側の主張によりますと、渡辺被告は女性に対して次のような内容の手紙を送っていました。
「あなたへの想いは変わらない、今もこれからも先もずっと、生涯何があっても俺はあなたの味方であり続けます。一分一秒でも早くあなたの元に帰ります。ずっと伝えたかった言葉で貴女に一生の誓いを立てさせてください」
最後に今後、渡辺被告との関係をどうしたいか聞かれた女性は…
女性:「時間がたって冷静に考えられるようになって、ご遺族の方に対して申し訳ない。今は恋愛感情は一切ないですし、健さんとの未来は考えていない。今は」
被告に言い渡された判決はー「殺害への執拗さが目に余る」
11月22日、渡辺被告に判決が言い渡されました。
「主文、被告人を無期懲役に処する」
被告側は、殺人未遂の罪と、殺人予備の罪について無罪を主張していました。判決で新潟地裁は、殺人未遂の罪について「妻が睡眠薬入りの飲み物を飲んでいたことを認識したうえで運転を止めなかった」と指摘。殺人予備の罪については、インターネットで、”塩化カリウムの致死量”などを複数回検索していたことから「妻を殺害しようと考えていたものと認めるのが相当」と、殺意を認めました。
そして次のように指摘しました。
少なくとも妻に対しては、徐々に殺害への意欲を高める中で都度殺意を生じ、遂には殺害を実現したものといえ、殺害への執拗さが目に余る。
妻殺害の動機は、不倫相手との関係に居心地の良さを覚え、仲が深まっていく一方で、不倫や使い込みが発覚して家庭内で肩身の狭さを覚えるようになった結果、妻への不満が高まったが故のものといえる。自身の非を棚上げにした極めて自己中心的で身勝手なものというほかない。 長女殺害に関しても、不倫相手との関係性の高まりが背景にあったといえ、妻の殺害を目撃され、恐怖を覚えたことにも動機の一端があるとしても、これまた誠に身勝手である。 他方で、いうまでもなく、被害者らには何らの落ち度もない。経緯や動機に酌むべき点は皆無である。
また、看護師である被告人が、その知識、技術及び立場を悪用し、本来治療目的で使うはずの薬剤等を利用して殺人未遂及び殺人予備等の各犯行に及んだことも強い非難に値する。 被告人の刑事責任は極めて重大である。
以上のほか、被告人は、勾留中、被害者遺族に対する謝罪文を作成する傍らで、不倫相手に対し恋文を送っていたほか、公判廷において、2名殺害の事実自体は認めつつも、殺人未遂及び殺人予備等に関しては不合理な弁解を繰り返し、自己の責任を矮小化しようとする態度に終始しており、自己の犯した罪の重大さに真摯に向き合っているとも言い難い。
被害者遺族は、理不尽な経過で、愛する家族2名を奪われたことはもとより、このような犯行後の著しく不誠実な態度や公判における身勝手な言動によりその心情は踏みにじられている。妻の実母は被告人に対して二度死んでほしいと悲痛な心境を述べており、遺族が極刑を求めるのも至極当然である。
先にみた犯情の悪質さを主としつつ、このような事情も踏まえれば、被告人の父が被害者遺族に合計390万円の被害弁償をしていること、被告人の父が出廷し今後も被告人に関わっていく旨述べていること、被告人が2名殺害の事実自体は認めていること、前科前歴がないことなど、被告人に有利な事情を最大限考慮しても、本件に関しては、有期懲役刑を選択すべきとは到底いえず、被告人を無期懲役刑に処することが相当である。 よって、主文のとおり判決する。
判決が読み上げられている間、遺族席からはすすり泣く音が聞こえてきました。
微動だにせず、判決を飲み込むように聞いていた渡辺被告。 被告側は、12月4日付で控訴しています。
所沢マンション殺人、中国籍の女を不法残留容疑で逮捕…現場の部屋の住人か
埼玉県所沢市のマンション一室で26日夜に発生した殺人事件で、県警が29日、何らかの事情を知っているとみられる中国籍で30歳代の女を、入管難民法違反(不法残留)容疑で逮捕したことが捜査関係者への取材でわかった。女は同日午前に福井市内で確保された。現場の状況などから、この女が事件の起きた部屋に住んでいた可能性があり、県警は調べを進める。
殺害されたのは茨城県ひたちなか市の会社員男性(25)。男性は26日午後9時40分頃、所沢市東住吉の4階建てマンション1階の出入り口付近で、血を流して倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。
県警は、男性が午後9時30分にマンションに入り、10分ほどの間に3階の一室で事件に巻き込まれたとみている。近くの防犯カメラに、この前後の時間帯にマンションから立ち去る女の姿が映っており、県警が行方を追っていた。
警察官が駆けつけた際、この部屋は施錠されていて、室内からはナイフ1本が見つかった。
警察語る特殊詐欺で約4200万円だまし取られる 「あなたの逮捕状が出ている」 三重・松阪市
三重県松阪市の男性が警察などを語る男らに現金約4200万円をだまし取られました。
今月18日、松阪市の50代の男性に「あなたの逮捕状が出ている」などと警察を語る男らからうその電話がありました。 男性は身に覚えがなかったものの、保釈金として約600万円を指定された口座に振り込みました。 その後も要求は続き、男性は今月27日までに17回にわたり、あわせて約4200万円を振り込んで、だまし取られたということです。 今月28日、男らと連絡が取れなくなったことを不審に思った男性が家族に相談し、詐欺と発覚しました。 男らは男性を信じ込ませるために、うその捜査資料の写真を送っていて、警察は詐欺事件として調べています。
年の瀬「せめて1食くらいは力に」 生活困窮者にパンなど配布 福岡
毎週日曜日に天神中央公園(福岡市中央区)で路上生活者らに食料品を配布しているNPO法人「エンジェルアシスト福岡自立支援協会」(同区)は29日、今年最後の活動を行った。生活困窮者ら約70人がパンやカップ麺などを受け取り、「ありがとうございます」などと支援者らに感謝していた。
天神中央公園では午後2時の配布前、寒空の下、帽子や上着、マスクを身につけるなどした路上生活者らが行列を作っていた。午後2時になり、支援者たちから「良いお年をお迎えください」と声をかけられ、スキムミルクや豆、ミカンなどを受け取った。生活が困窮しているという男性(66)は、「ありがたい。年末年始は炊き出しのある公園に行くつもり」と話していた。
同法人は2010年に設立され、天神中央公園では10年以上配布活動してきた。今年最後の活動を見届けた男性理事(60)によると、通常は約100人が列を作り、以前に比べて困窮者が増えたという。男性理事は「生活全ての面倒を見ることはできないが、1食くらいは力になりたい。必要な支援で今後も続けていきたい」と話した。【山口響】
安倍3代と統一教会 半世紀余りの“組織的関係”の原点 「信者が40人いれば1人当選させられる」【報道の日2024】
安倍元総理銃撃事件をきっかけに明らかになった自民党と旧統一教会との癒着。その原点はどこにあったのでしょうか? 1959年に統一教会が日本に進出して以降の岸一族との知られざる関係を、教団側の現役幹部がテレビの前で初めて証言しました。
教団側の現役幹部が初証言「関係がなかったなんて、言えないと思う」
朝日新聞が2024年9月、安倍晋三元総理と統一教会の会長らが2013年の参院選直前に自民党本部で面会していたことを報じました。
この場に同席していた教団の政治団体「国際勝共連合」の渡邊芳雄(わたなべ・よしお)副会長。
国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「(朝日新聞の写真を指さして)こちらです。一番端っこです」
初めて取材に応じた理由は「これまでの報道は一方的だ。教団側と自民党の関係、その真実を知ってほしい」というものでした。
国際勝共連合 渡邊副会長 「2013年の参議院議員選挙において、全国比例で特定の候補・北村経夫さん。この人を応援しようという動きになりました。それを(安倍元総理に)説明しに行ったと思います」
Q.安倍元総理はどういう反応を 「うれしいと言いましょうか、合意の言葉があったと思います」
けれど自民党は、一貫して「教団との組織的な関係はなかった」と主張してきたはず。
国際勝共連合 渡邊副会長 「『今まで組織的なつながりを持ったことがない』なんて言えないと思いますよ」
きっかけは今から60年ほど前。
(山梨県の)本栖湖の湖畔で、統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏と右翼のドンと云われた笹川良一(ささかわ・りょういち)氏が、ある合意に至ったのです。
笹川氏は、“戦後を代表する政財界のフィクサー”の異名を持ち、全国モーターボート競争会連合会の会長でもありました。
会場になったボートレーサーの養成施設は今も当時のまま。そこに招かれた文氏は、笹川氏の協力のもと「国際勝共連合」を立ち上げることを決めたのです。
笹川氏がメディアから“タブー視”されていたこともあり、統一教会との関係はほとんど報じられませんでした。
朝鮮半島を分断した戦争の記憶もまだ生々しい時期。統一教会が韓国で創立された背景には、共産主義勢力への対抗という側面もあったのです。
本栖湖での会談から遡ること8年、教団は日本に進出。
その後すぐ、笹川氏の人脈を介して反共思想の持ち主・岸信介氏に接近します。
以来、娘婿(安倍晋太郎氏)から孫の安倍晋三氏へ。関係は、あの銃撃事件によって注目されるまで、ベールに包まれていたのです。
半世紀あまりの三代にわたる、政治家一家と統一教会の絆を紐解きます。
岸・安倍三代と統一教会 “組織的関係の原点”
岸信介氏の総理就任は1957年でした。TBSには、在任中の元総理を追った貴重な映像が残っています。そこには、孫の安倍晋三氏(当時3歳)も。
岸信介元総理 「僕は?僕はいくつだ?」 「特に弟(晋三氏)の方が乱暴者で。おい、じっとしなきゃダメだ。あそこでうつりますよ」
娘婿の安倍晋太郎氏と晋三氏が遊んでいるのは、渋谷区南平台にあった岸氏の邸宅です。
この時期、日本の領域内で日米の共同防衛を可能にすることを目指していた岸元総理。1960年には日米安保条約の改定に取り組みました。
これに反発した人々は大規模なデモで「安保反対」を叫びます。デモ隊は、岸元総理の邸宅にも押し寄せました。
当時の報道 「『岸を倒せ』のデモの声が毎日毎日、南平台に続きました」
反共を掲げる岸元総理は、デモを主導する左翼の人々への嫌悪を回顧録に綴っています。
岸信介著「岸信介回顧録 保守合同と安保改定」より 「共産党員というものは、人間の誠実さとか善意の通用しない、我々の頭の中にある“人間”には当てはまらない連中だと思っていた」
新安保条約が成立すると、岸内閣は退陣。岸氏は南平台に二軒並んでいた邸宅のひとつを手放します。
そこに1964年に移転してきたのが、統一教会の日本本部でした。
岸氏や孫の晋三氏らが遊んでいた、あの庭で信者がランニングや体操にいそしむ姿がありました。
その後、急速に接近した教祖・文鮮明氏と岸氏。2人の間をなぜ、笹川氏が取り持つことができたのでしょうか。
笹川氏と岸氏は戦後、A級戦犯の容疑で、ともにスガモプリズンに収監されていました。それ以来、親交があったのです。
国際勝共連合の渡邊副会長によれば笹川氏は岸元総理に、こう語ったと言います。
国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「『是非、見守っていてもらいたい。あるいは時には協力してもらいたい』と笹川先生から(岸元総理に)言われたということがあって、それで岸先生が南平台の教会の本部を訪ねるようになったというのが最初です」
勝共連合の勝共とは、共産主義に打ち勝つこと。統一教会は1960年代半ばから、「勝共運動」を世界に広め始めます。
文氏が日本での拠点を作るべく、笹川氏と会合を持ったのが、あの本栖湖の施設でした。
いまもそのままに残る、第3特別室。笹川氏と文氏が日本における勝共運動の推進を誓ったのがまさにこの部屋でした。
教団側に残されていた写真からは、笹川氏や岸氏が積極的に活動に参加していたことが見て取れます。
1970年には、韓国が中心となって世界のさまざまな反共団体を組織した世界反共連盟・WACL(ワクル)の大会が日本武道館で開かれました。これを取り仕切ったのも勝共連合です。
国際勝共連合YouTubeより 「WACL大会総裁・笹川良一氏が津波のような拍手とともに登壇」
笹川良一氏 「我々は世界をいでとし、人類すべてを兄弟と考えておるものであります」
演説を目の当たりにした統一教会元幹部の記憶は、いまも鮮やかです。
元アメリカ統一教会 幹部 アレン・ウッドさん 「笹川氏は胸を叩きながら『私は文氏の犬だ』と言った。驚くべき言葉でした」
宗教団体の票を頼るようになった背景は? 大きな転機は「京都府知事選」
教団が掲げる反共の理念に賛同の意を表明した政治家に福田赳夫氏がいます。
福田赳夫大蔵大臣(当時) 「アジアに偉大なる指導者あらわる、その名は文鮮明ということである」
福田氏や安倍晋太郎氏の番記者だった政治ジャーナリスト・秋山光人さんは、福田氏が総裁選で、田中角栄氏に敗北を喫したことが宗教団体の票を頼るようになった背景にあると指摘します。
政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「非常な金権選挙があって、集票マシーンである建設業界というのはほとんど旧田中派になびいていた。だから福田さんの政権になるまでは、ずっと冷や飯を食っていて、厳しい立場に清和会(福田派)の人は置かれていたわけですね」
Q.清和会(福田派)の議員にとっては何でも票は欲しかった? 「それは昔から今までそうじゃないですか」
統一教会の大きな転機は、1978年の京都府知事選でした。
政治家の信頼を勝ち取るべく、勝共連合が選挙支援に乗り出したのです。
28年続いていた共産党の地盤に全国の信者が集結。自民党が推薦する候補を応援しました。信者は、共産党を攻撃するビラを大量にまいたのです。
その結果、共産党候補は落選。勝共連合の組織力・集票力が政界に知れ渡ります。
彼らが爆発的な力を見せたのが、1986年の衆参ダブル選挙でした。
国際勝共連合 渡邊副会長 「中曽根政権のときの衆参ダブル選挙のときが圧倒的だったので。(選挙前に)中曽根先生とお会いし、あるいは安倍晋太郎先生とお会いして、どういうふうな選挙応援をするかというのは協議し合って動いた形ですね」
自民党と勝共連合は支援する候補者や手法まで協議していたといいます。
衆議院で300議席を獲得し、自民党圧勝に終わった選挙。
勝共連合は支援で130人を当選させたと機関誌で喧伝。政界とのパイプが新たな信者の獲得にも利用されたのです。
文鮮明氏「文鮮明先生マルスム(御言)選集」より 「(1986年の)選挙当時に日本の金で60億円以上使った。統一教会は恐ろしいです。(信者が)40人いれば1人当選させることができます」
安倍晋太郎氏、落選を経験 より一層教団側と接近へ 選挙支援のお礼を述べたことも
1986年、統一教会と自民党の関係はさらに深まります。岸・福田両元総理に連なる派閥の会長に安倍晋太郎氏が立ち、ここに安倍派が生まれました。
安倍晋太郎外務大臣(当時・1986年7月の清和会総会) 「福田精神を、福田スピリットをしっかりと継承いたしまして…」
教団側とのパイプも晋太郎氏に引き継がれます。
1958年に初当選した晋太郎氏には、落選の経験が一度だけありました。その落胆ぶりを知るのは安倍家と近しい、元共同通信の野上忠興(ただおき)さんです。
元共同通信・野上忠興さん 「自宅に戻ってきたときに、家族全員集めて土下座して『こんなことになった』と『申し訳ない』と泣きながら頭を下げた。後に私にも言っていましたけれども、あれで『俺は人が変わった』と」
1987年に行われた総裁選では、竹下登氏と宮澤喜一氏と争いましたが…
記者 「竹下!竹下!竹下!決まった決まった!」
現職の総裁が次期総裁を指名する“中曽根裁定”で政権は竹下氏に。
安倍晋太郎氏 「いや、ほんとにさっぱりしましたよ。やるべきことはやった、ベストを尽くした」
しかし、胸中には期するものがあったようです。
元共同通信・野上さん 「(衆院選挙で)1回落ちたのが結果的にこういうことになったのかなと。(その後)『やっぱり数だ』と猛烈に動き出すわけですよね。入院中、胆汁を吸い取る管をつけながら全国を回って、二十何人も新人を当選させたりして、数を増やすわけですけどね」
身をもって選挙の厳しさを感じた晋太郎氏は、より一層、教団側と接近していったのです。
勝共連合の会合で、選挙支援のお礼を堂々と述べています。
自民党 安倍晋太郎幹事長(当時) 「日本のために、そして共産主義を排除して、自由主義・民主主義を確立していくために、(勝共連合のみなさんが)働いていただいておる姿は我々いつも感銘を持って、感謝を持って受け止めておるわけです」
晋太郎氏が世を去るとパイプ消滅のように見えたが…祖父の遺志を受け継ぎ、晋三氏へ
ところが1990年代に入り合同結婚式の異様さや霊感商法の悪質な実態が報じられ社会問題化しました。議員の殆どは表面上、教団と距離を置くようになります。
1991年に晋太郎氏が世を去ると、岸元総理から続いたパイプも消滅するかに見えましたが…
安倍晋三氏 「志半ばで倒れました父・安倍晋太郎の意志を受け継いで、立候補いたしました」
父の死から2年、地盤を引き継いだ晋三氏が初当選します。晋三氏の胸には、安保反対の声と戦い、新安保条約の締結を成し遂げた祖父の姿が焼き付いていました。
著書にも綴られた言葉。
「美しい国へ」安倍晋三著 「世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らのほうではないか」
高校時代は、安保に反対する教師に対して毅然と胸を張ったことも…
安倍晋三官房長官(2006年) 「祖父が安保改定の張本人だったものですから、安保について肯定的な意見を何回か述べたことがあります。先生はじめ、皆さん黙ったんですね。そのときに反対している人たちも、こんなもんなんだなと思ったのを思い出しました」
保守を貫いた祖父を敬い、数の正義を信じた父に学んだ晋三氏。教団側との関係を引き継ぐのは当然の成り行きでした。
官房長官時代、教団関連団体のイベントに祝電を送った記録も残っています。
教団関連団体のイベント 司会者 「岸信介元総理大臣のお孫様でいらっしゃり、現内閣官房長官、衆議院議員の安倍晋三様」
2006年に総理に就任しましたが体調を崩し、1年で退陣。けれど5年後に返り咲きます。
安倍晋三総理(TBSラジオ「政策情報 官邸発」より) 「私の祖父の岸信介もよく晩年、『もう一回総理大臣やったら俺はもっとうまくやるけどね』と言っていたんですね。今こそ私は身を捨てて、もう一度挑戦すべきではないかという決意をしたのが、大体おととし(2011年)の終わり頃くらいでしょうかね」
祖父の遺志を受け継ぐ覚悟でした。そして最初の参院選に向け、統一教会幹部との面会で選挙支援について話し合ったのです。
2013年、統一教会からの選挙支援を確認したという安倍元総理。総理就任後、初の参院選でした。
政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「本当に選挙は大好きな人だったですね。第2次安倍政権が戦後史上で最長の政権だったわけですけど、その秘訣というのは、やはり選挙に勝ったことですね。常に勝ち続けると」
飽くなき執念があったと言います。
政治ジャーナリスト 秋山さん 「もっとすごいのは、彼(晋三氏)は3期目も視野に入れていたと思いますよ。あんまり人には言ってないけど彼は。漏れ聞いたことありますね」
自民党は関係断裂宣言 一方で連合副会長は「断絶宣言を解除してもらいたい」
統一教会と、岸・安倍三代の半世紀をこえる結びつき。その延長に描いた晋三氏の野望。それを阻んだのが教団関連団体のイベントで流された映像です。
安倍晋三元総理(2021年9月) 「韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁をはじめ、皆様に敬意を表します」
教祖・文鮮明氏の妻にして教団のトップ、韓鶴子氏を称える安倍元総理の言葉が、信者の息子・山上徹也被告を、凶行に駆り立てました。
2022年7月8日、安倍元総理が銃撃されたのです。
事件をきっかけに、初めて大手メディアは教団と政治家との結びつきを取材し、批判的に報道。長年にわたり、教団からの支援を受けてきた自民党は、ついに彼らとの関係断絶を宣言しました。
国際勝共連合 渡邊副会長 「相当の覚悟を固めなければいけないと思いましたし、涙が出ましたね。そういう理不尽さみたいなものがこらえきれないというのはありました。早く“関係断絶宣言”を解除してもらいたいなという思いは常に持っています」
解散命令は出されるのか。一方で、支援を受けた政治家たちは、貝のように沈黙したままです。
地震で母と弟亡くした悲しみ抱えつつ前へ 豪雨被災地でボランティア「困った人のために」
元日の能登半島地震で石川県輪島市の実家が倒壊し、弟と母を亡くした金沢市の会社員、外(そと)武志さん(61)は被災地を襲った9月の豪雨以降、現地で泥の清掃などのボランティアとして汗を流してきた。家族を失って1年。悲しさが消えることはないが、「地震の時は私たちも困っていた。今困っている人がいるなら、何とかしてあげたい」と前を向く。
一家だんらんを過ごすはずの正月は、1年前の地震を境に祝う気分になれない。生まれ育った実家は5月に公費解体され、更地となった。年の瀬に電話で正月準備の相談をするのが恒例だった母は、もういない。
元日の夕刻を襲った最大震度7の激震で、弟の忠司さん=当時(58)=は倒壊した実家の下敷きになり、亡くなった。生存率が大幅に下がるとされる地震後72時間を過ぎ、奇跡的に救出された母の節子さん=同(89)=も、間もなく命を落とした。
「きっちりした母で、孫をこよなくかわいがってくれた。弟は本が好きで、実家に戻ったら酒を酌み交わしていた」。外さんはそう振り返る。
毎朝、金沢市内の自宅の一室に置かれた2人の遺骨に手を合わせ、日々の出来事を報告している。仏壇には、倒壊した実家から見つかった仏像や鈴を並べる。
実家からは節子さんの着物や弟の書物など、さまざまなものが見つかった。特に思い出深いのが家族のアルバム。母や弟の生前の姿を思い出しては懐かしい気分に浸る。
寂しさを引きずる日々だったが、9月下旬に能登半島を襲った豪雨が転機となった。発生直後に実家の墓の様子を見に輪島市内へ戻ると、至る所が水浸しとなっている光景に愕然(がくぜん)とした。
翌10月に友人の家の泥をかき出す作業に協力。その後、ボランティアセンターに登録して豪雨被災地で4回ほど、側溝や民家にたまった泥を撤去する作業にあたった。「地震のとき自分たちも困っていた。能登は高齢者が多いし、手伝ってあげたい」と話す。
趣味のマラソンも再開した。10月には金沢マラソンに出場し、42・195キロを完走した。沿道の声援に感謝の思いを伝えようと、「まけとられん!能登」と書かれたTシャツを着て走ると、「能登頑張れ」とのエールも送られた。
気持ちの整理を進め、来春には2人の遺骨を墓に納める予定だが、突然の別れから1年ではまだ寂しさが残る。それでも「前を向いて走り出そうという思いを持てるようになった」。年明けの1月中旬には再びボランティアに参加し、被災地のために奮闘するつもりだ。(秋山紀浩)
北海道・道央自動車道のトンネル 凍結路面でスリップか 約20台関係の多重事故 12人けが
29日午前、道央自動車道の深川と旭川鷹栖の間のトンネルで観光バスや乗用車などあわせて20台くらいが関係する多重事故があり、12人がけがをしました。
事故があったのは、道央自動車道の深川と旭川鷹栖の間にある「常盤トンネル」で、29日午前9時50分ごろから事故が相次ぎました。
消防などによりますと、事故は、トンネル内の7、8か所で起き、観光バスや乗用車などあわせて20台くらいが関係しているということです。
また、一連の事故で、これまでに12人が手当てを受けたり病院に運ばれたりしました。
当時、現場の区間は路面凍結のため制限速度が50キロに規制されていました。
警察は、凍結路面によるスリップが原因とみて当時の状況を調べています。