「金になる仕事がある」タイ・パタヤで特殊詐欺のかけ子をさせるために男性を勧誘か 強制送還された40歳の男を逮捕 神奈川県警

タイで特殊詐欺のかけ子をさせるために男性を勧誘したとして、リクルーター役とみられる男が逮捕されました。
タイから強制送還され逮捕された濱地優容疑者(40)は3年前、日本で男性を特殊詐欺のかけ子に勧誘した疑いがもたれています。
警察によりますと、男性は知人を介して濱地容疑者と知り合い、濱地容疑者から「金になる仕事がある」などと誘われ、タイのパタヤで特殊詐欺のかけ子をしていたとみられています。
濱地容疑者は今年1月にタイから出国しようとした際に、タイ当局に入管法違反の疑いで逮捕されていました。
警察は濱地容疑者の認否を明らかにしていませんが、先月5日にタイから強制送還され逮捕された5人の男との関連も視野に捜査しています。

千葉・東金市で路線バスと乗用車の事故 あわせて7人がけが 乗用車を運転していた50歳の女性が骨盤骨折の重傷

きのう午後、千葉県東金市で路線バスと乗用車が衝突する事故があり、あわせて7人がけがをしました。
きのう午後4時20分ごろ、東金市松之郷で「バスと乗用車の事故で、けが人が出ている」と通報がありました。
警察によりますと、左折しようとした乗用車が直進してきたバスに衝突したとみられていて、乗用車を運転していた50歳の女性が骨盤骨折の重傷です。
また、乗用車に乗っていた男女3人と60代のバスの運転手の男性、乗客の50代と60代の女性など6人がけがをし、病院に搬送されましたが、いずれも搬送時に意識はあり、会話はできたということです。
警察は事故の詳しい状況を調べています。

「殺された牛は腹を裂かれ、内臓が飛び出している」“謎のヒグマ”が牛を襲い、バラバラに惨殺…NHK取材班が目撃した被害後の“衝撃的な光景”

〈 「牛を襲い続ける正体不明の“怪物”がいる」北海道で32頭の牛を殺した“謎のヒグマ”…NHK取材班が感じた“普通のヒグマ”との決定的な違い 〉から続く
66頭の牛を襲撃(死亡32・負傷32・不明2)して、神出鬼没の「忍者グマ」「牛を襲うヒグマ」とも称された「OSO18」。そんなOSO18を伝説のハンターたちとともに追い続けたのが、NHKのディレクター・有元優喜氏と山森英輔氏だ。
道東を恐怖と混乱に陥れたOSO18の正体とは、いったい何だったのか。ここでは、有元氏と山森氏の共著『 異形のヒグマ OSO18を創り出したもの 』(講談社)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の2回目/ 1回目から続く )
◆◆◆
自分の言葉の白々しさ
人間は、謎のヒグマを捕獲できるのか。
提案を書いた時点で、番組の筋立ては明確だった。だが、それだけでは物足りない気がした。あえていえば、それは東京で消費されるための、わかりやすすぎるストーリーに思えた。北海道に暮らしているからか、物語の筋に取材を収斂させて藤本たちに集中することは、効率的すぎるように感じられたのだ。
たとえば、取材に際し、番組を作って世の中に届けたいと考える理由を、私は「野生動物による被害の深刻さを伝える」と説明していた。そう話しながら、自分の言葉に白々しさがあった。被害の深刻さを、本当にわかっているのだろうか。被害を受けた人たちの声を聞いたのだろうか。そもそも、番組のストーリーを簡単に見定めたりすることなどできないのではないか。
誰の牛がやられたのか、最初の突破口
捕獲の焦点となるヒグマの冬眠明けは、雪が消える2月中旬から3月。まだ1ヵ月の時間が残っていた。私は、有元に「計算しすぎずに、もっと現場で混乱しよう」と声をかけ、被害を受けた農家すべてを、手分けして訪ねる方針を立てた。
それには現実的な理由もあった。本当に被害の深刻さを伝えるなら、襲われ、殺された牛の有り様を、写真や映像で証拠立てることが不可欠だ。だが、57頭の被害について、被害地区や頭数は公開されていたものの、誰のどんな牛が襲われたのか、詳細は明らかにされていなかった。標茶(しべちゃ)町役場は大量の被害写真を持っていたが、見せてほしいと頼むと、宮澤からは飼い主の了承が必要だと条件を伝えられた。
誰の牛がやられたのか、すぐにわかるわけではない。突破口となったのが、被害が集中する茶安別(ちゃんべつ)に住む本多耕平だった。
本多に会ったのは、2022年の1月17日。前日、標茶の歴史について詳しく知りたいと考えて郷土史家の橋本勲に会い、OSO18について調べていると話したところ、紹介されたのだった。
13歳のときにサハリンで終戦を迎え、引き揚げの末、標茶に落ち着いた89歳の橋本は、かつて役場に勤めて農業を担当、1960年代には町で最後の開拓係長を務め、多くの家族を支援していた。橋本の紹介といって本多に連絡をすると、すぐに時間をとってくれた。
「搾乳の時間は絶対電話しちゃいけない」酪農家の取材のイロハ
ディレクターという仕事に就いて十数年が経つが、初めての地域を訪ね歩くのは、いまでも少し怖い。牧場は広く、母屋に辿りつくには、牛舎の横を通り抜けて敷地を歩かなければならない。気配に気付くと、牛たちは次々とこちらを見る。すると、穏やかなはずの乳牛でさえ、私に敵意を向けているように感じる。
それまで、被害を受けた酪農家に電話をしたときに「忙しい」とすぐに切られてしまったり、「酪農家の皆さんは、取材を嫌がっていますから」と役場から言い含められたりしていたこともあり、本多の家を訪ねるときは、少々身構えていた。だが、実際に会った本多は、笑顔の絶えない好々爺だった。
本多には、酪農家の取材のイロハから教わった。たとえば、こんな会話があった。
「酪農家の家には、電話していい時間があるんだよ」
「いつなんですか?」
「あのね、酪農家は、1日2回、搾乳をするの。まず早朝4時くらいに起きて乳を搾って、餌を補充する。それが2~3時間くらいかかって、7時半くらいに朝ご飯を食べる。そのあとは、牛舎を掃除したりして、お昼を食べて、少し横になる。だいたい15時くらいには夕方の搾乳の準備が始まる。それが終わったら、夜ご飯を食べて、すぐに寝ちゃう人も多い。だから、11時30分から14時くらいに電話するといい。一番いいのはお昼のあと、13時。搾乳の時間は絶対電話しちゃいけない」
本多のアドバイスは、その後の取材で絶大な効果を発揮した。ほとんどの酪農家が、本多のいうお昼過ぎに電話をかけると、落ち着いて話をしてくれた。かけるタイミングを理解していなかったから、すぐに電話を切られていたのだった。
本多の妻、八重子が、その朝、搾ったばかりのミルクを出してくれた。草の匂いが香り、それでいて、ほんのり甘い牛乳を飲みながら、取材は続いた。私は、本多が口にする「畑」という言葉をきいて、「野菜もつくってるんですか?」と尋ねるほど、何も知らなかった。
酪農が地域の基幹産業になるまで
「違う、違う。我々は、牧草を育てる牧草地を『畑』と呼ぶんだよ」と本多は笑った。牧草を育てる「畑」と、牛を放す「放牧地」の区別さえ、私はついていなかった。
本多の家は父の代に標茶に入り、1頭の仔牛から酪農を始めた。農閑期である冬にだけ学校に通う季節定時制高校を出てから58年、酪農家として生きてきた本多は、戦後、アメリカとの関係を深めた日本の食生活が様変わりし、日本人が牛乳を飲み、バターやチーズを日常的に食べるようになるまでの時代の移ろいを知る生き字引だった。
もともと、標茶の開拓が本格化した大正末期、本州から集団入植した人々が森を切り開いて試みたのは米や麦、豆だった。家畜として牛を飼う者はいたが、1頭、2頭のレベルで、多くは冷害に苦しみ、米作も畑作も諦めて去っていった。
最大の理由は、夏の気温が上がらないことにあった。寒流である千島海流が太平洋岸を流れる影響で、気温は夏でも20度を超える程度。積算温度が足りず、米も野菜も成長しなかった。
酪農が盛んになったのは戦後、満州や樺太など外地からの引き揚げ者や、東北を中心に本州では土地を得られなかった者たちが「戦後開拓」に入ってからだった。1954年に「酪農振興法」が施行され、2年後、北海道庁は標茶町を含む根釧地域を「集約酪農地域」に指定する。
それをきっかけに大規模な集乳施設が建設され、酪農が地域の基幹産業になっていった。北海道のなかでもとくに厳しい環境に適した唯一ともいえる産業が酪農だった。
家族経営の酪農家にとって欠かせない場所「牧野」の変化
本多は、猟友会に所属するハンターでもあった。自身の牛は被害に遭ってはいなかったが、茶安別で襲撃が起きると必ず連絡が入るため、ほぼすべての情報を把握していた。OSO18の被害が集中していた「牧野(ぼくや)」について教えてくれたのも本多だった。
「牧野」とは、春から秋にかけての放牧地を意味する。地域の酪農家たちが共同で管理し、まだミルクを出さない妊娠前の牛や、子牛などを放牧する。牛舎で世話をする手間を減らすためだ。春から秋は放牧地で草を食めば、十分に育つ。家族経営の酪農家が多い標茶で、牛の世話をする負担を少しでも減らすための知恵の賜だった。
「OSO18には、牧野の牛が襲われているんだけど、我々みたいな家族経営の酪農家にとって、牧野は欠かせない場所だったんだよ。だけど、牧野は、昔と変わってしまった」
地域で守ってきた「牧野」がヒグマの格好の餌食に
変化のきっかけは、少しずつ、だが着実に進んできた酪農の大規模化だった。本多が高校を出た1961年には、標茶で1000軒はいた酪農家は、200軒を切っていた。最初は、ほとんど横並びに、家族ごとに始めた酪農経営も、1頭の牛が出すミルクの量や、投資の成否によって次第に差が生まれた。
経営が苦しくなった農家が離農して土地を手放し、その土地を裕福な酪農家が手に入れる。経営拡大に成功した酪農家は、大規模な牛舎を建てて、そのなかで1年中、牛を飼うことが多く、放牧する農家は激減した。結果、管理が手薄な牧野が出てきたのだと本多は言った。
「昔だったら、どの牧野にもたくさん牛が入って、誰か彼かが毎日見に行ってたけど、そういうこまめな管理ができない場所が出てきてしまった。OSO18にとってみれば、いくらでも襲いたい放題だな」
本多の住む茶安別では、酪農が普及する以前、ほとんどの家が炭焼きで生計を立てていたという。炭焼きとは、ナラやブナの木を燃やして燃料となる木炭をつくる仕事で、木炭は、火鉢や囲炉裏、炬燵(こたつ)などの燃料として欠かせなかった。
だが、電気やガスが普及する1960年代に使用されなくなり、多くの家が酪農業に乗り出した。そうして細々と始まった酪農業を維持するために、地域で守ってきた「牧野」が、数十年の時を経てヒグマの格好の餌食になっていた。
提供写真の中にはとても直視できない写真も
有元と手分けして、被害にあった酪農家を特定していった。襲われた牛は57頭だったが、複数が被害にあった酪農家もいて、全部で29軒だった。そのうち取材を断られた3軒以外の26軒の方に会い、詳細を確かめ、写真の提供承諾書にサインをもらっていった。
襲われた牛に特定の傾向はない。妊娠牛もいれば、生後半年くらいの子牛もいた。全57頭のうち、乳牛は45頭で、12頭は肉牛だった。
酪農家たち自身が撮った写真や、承諾を得て役場から提供された写真は、300枚にのぼった。斃れた牛は腹を裂かれ、内臓がかきだされている。傷つけられただけの牛は、背中に爪痕だけが赤く滲んでいる。とても直視できない写真も数多くあった。
襲われた具体的な地点を特定すると、国土地理院の白地図に落とし込んでいった。大半が「牧野」で被害にあっていたが、例外もあって、伊東公徳の牛は、自宅からほど近い沢で襲われていた。父の代に福島からやってきた伊東は、30頭あまりの牛を飼う小規模経営の酪農家で、朝夕の乳搾りと餌やり以外のほとんどの時間、自宅のそばにある小さな放牧地に牛を出していた。
自宅からわずか300mほどの沢で被害牛を発見
1頭の牛が帰ってこないことに伊東が気付いたのは、2021年8月4日の夕方のことである。伊東は付近を探してみたが、日没までに見つからなかった。そこで翌朝、改めて妻と一緒に探しにいったところ、傾斜のある放牧地をおりていった沢のそばで、被害牛を発見した。すでに牛は、バラバラになっていた。
それから半年が経過しても、伊東は怯えを隠さなかった。辺りが薄暗くなる夕方以降は、放牧地へ近づこうともしなかった。無理もなかった。伊東が暮らす自宅から、沢までは300mほどしか離れていない。牛だけを襲い、人は襲わずにきたOSO18だが、急に人間に出くわすと、ほかのヒグマ同様、何をするかわからない。
初めて伊東に会った頃、沢は凍り、雪に覆われていた。伊東によれば、雪の下にはまだ前年の夏に殺された牛の死骸があるはずだという。OSO18が再来することを期待して、残したままにしていたからだった。
雪が解けると、死骸を片付けるために見に行かなければならないと言う伊東に、私は、その様子を撮影させてほしいと頼んだ。伊東は、俺もひとりでは行きたくないから、といって了承してくれた。
初めて見る、明らかな殺戮の痕跡
伊東には娘が2人いるが、すでに標茶を出て、跡継ぎはいない。ここ数年、乳価は低迷し、経営状況は芳しくない。そのさなかにOSO18による被害が起きた。姿を見せないヒグマは、伊東に、「もうやめようかなと思ってるんだ。いまなら、まだ牛も高く買ってもらえるかもしれないから」と、弱気な言葉を吐かせていた。
しばらくして、牛の死骸を見に行く日、伊東は、「沢まで行くのは、あいつに襲われてから初めてなんだ」と口にした。雪が解け始めて淡い緑が顔をのぞかせた放牧地を歩き、起伏をおりて行くと、眼下の沢のそばに、バラバラになった骨が見えた。土や落ち葉の焦げ茶に、骨の白が鮮やかに浮かんでいた。
伊東は、「骨、残ってる」とつぶやいて、白骨を見おろしながらしばし立ち尽くし、そして、こう言った。
「これだけの被害を与えているクマだから、どこかで捕まるだろうと考えていたんですけど、こうやって捕まっていないのが、本当に不思議です」
初めて見る、明らかな殺戮の痕跡に、私も呆然としていた。おそるおそる、雪解け水が流れる沢に近づくと、残っているのは骨だけではないことに気付いた。白骨のまわりには、殺された牛の毛や皮の切れ端がそのまま散らばっていた。
(有元 優喜,山森 英輔/Webオリジナル(外部転載))

山林火災で被害の大船渡、漁船の「船外機」盗難相次ぐ…漁協「人の弱みにつけ込んだ卑劣な犯行」

山林火災で被害を受けた岩手県大船渡市三陸町綾里や同市赤崎町の漁港で、漁船の船外機が相次いで盗まれていたことが捜査関係者への取材でわかった。所有者の漁師らは27日、大船渡署に被害届を提出。同署は売却目的で盗んだ可能性もあるとみて窃盗容疑で捜査を始めた。
捜査関係者によると、被害が確認されたのは三陸町綾里の小路漁港と赤崎町の外口漁港。綾里漁協によると、27日午前、漁師の男性が小路漁港に陸揚げしていた漁船から船外機がなくなっているのを見つけた。
同漁協が他の漁港も確認したところ、小路漁港では2隻の漁船から計2台、外口漁港では4隻から計4台が盗まれていた。
同漁協の袖野賢一・業務課長は「人の弱みにつけ込んだ卑劣な犯行で、許せない。必ず犯人を見つけてほしい」と話した。県警は被災地域周辺の2か所で検問を行っているほか、24時間態勢で各漁港などのパトロールを実施しており、当面の間、警戒を継続するとしている。

企業・団体献金「禁止せず」で自公国が一致…「結論」先送り、4月以降も協議継続へ

自民、公明、国民民主の3党は28日、企業・団体献金を巡る法案の修正協議の初会合を開き、企業・団体献金を禁止しないことで一致した。3党で衆院の過半数の議席を占めるため、企業・団体献金は存続する公算が大きくなった。3党は4月以降も協議を続ける方針で、与野党が結論を得ると合意していた3月末までの期限は先送りされる。(政治部 樋口貴仁)
3党の実務者が国会内で行った修正協議では、企業・団体献金を存続させた上で規制強化を図る公明、国民民主の法案を基に協議を進めることも確認した。自民は、献金の透明化を図る独自の法案の成立を事実上、断念する。
公明、国民民主の法案概要では、同一団体への企業や労働組合からの寄付を年間最大2000万円に制限し、5万円超を献金した企業・団体を党ごとに集計して公表するよう規定している。献金を受領できる政党支部は、都道府県連に限定する。
自民は、公明・国民案に盛り込まれた党ごとの公開規定の新設に前向きな一方、受領できる政党支部の限定には否定的で、今後の修正協議で歩み寄れるかどうかが焦点となる。自民の実務者の小泉進次郎・政治改革本部事務局長は協議後、記者団に「企業・団体献金は『禁止ではない』と一致できた。引き続き協議を重ねていく」と語った。
衆院政治改革特別委員会では28日、自民が単独で提出している法案と企業・団体献金を原則禁止する立憲民主党、日本維新の会などが提出した法案の質疑を行った。自民は31日に採決を行うよう求めたが、立民は採決の先送りを主張した。採決された場合、両案ともに否決される見通しだ。

【検証】「プールサイドで蹴り飛ばされる」経験者が語る消防学校の過酷な訓練 溺死は防げなかったのか

去年7月、福岡市消防学校の水難救助訓練中、入校中だった男性職員が溺死した事故についてお伝えします。同じような重大事故は全国で相次いでいて、再発防止策が提言されていました。
しかし、福岡市消防局ではこれまでの訓練で事故が起きていなかったことを過信し、不十分な対策にとどまっていました。
■福岡市消防学校の訓練経験者
「立ち泳ぎの訓練をしている時は、きつくなって縁に行って休むは絶対に許されないから。」
「やっぱりかという感覚です。逆に今まで起こらなかったのが不思議だなと思うくらいきつかった。」
取材に応じたのは、福岡市消防学校の水難救助訓練を受けたことがある経験者たちです。それぞれ言葉を選びながらも、怒りをにじませました。
■白野寛太記者
「現場はこちらの市民プールです。当時は、消防学校の生徒が訓練を行っていました。」
去年7月、福岡市西区の「総合西市民プール」で、福岡市消防学校の水難救助訓練が行われました。訓練には消防学校に入校中の52人が参加していましたが、そのうち26歳の男性職員が溺れ、死亡しました。男性職員はヘリコプターの整備士を志していたといいます。
福岡市消防局に採用されたすべての職員は、現場に配属される前に半年ほど消防学校に入ります。人命救助のプロが見守る訓練中に、いったい何があったのでしょうか。
男性職員が参加していたのは、立ち泳ぎの訓練です。現場となったプールの深さは3.3メートルで、足の届かないプールでした。経験者たちはその訓練の厳しさを語りました。
■福岡市消防学校の訓練経験者
「とりあえず、いいって言われるまでしろみたいな感じ。水の中で呼吸もできない、足もつかない、うまく体を動かせない状態でもやり切らないといけない訓練。」
「溺れそうな時は助けてくれないのですが、溺れたら助ける的な感じです。上がろうとするとプールサイドの溝のところで蹴り飛ばされるとか。」
事故が起きた時、どのくらい立ち泳ぎを続けるのか、参加者には明確に伝えられないまま訓練は始まりました。福岡市消防局によりますと、苦しくなってプールの縁をつかんだ学校生たちに対し、教官は「訓練を続けるなら戻れ」と、水中に戻るよう強く促していました。
事故を受けて設置された第三者による調査検討委員会は、訓練の途中で誰かが立ち泳ぎをやめた場合、全員の訓練のやり直しにつながるため、学校生たちが訓練の中断を申し出にくい環境だった可能性を指摘しています。
死亡した男性職員は水中に沈んでいくところを救助されましたが、その後、命を落としました。
■福岡市消防学校の訓練経験者
「福岡市消防局の消防学校は『日本一厳しい消防学校』って言われていて、そこにプライドというか誇りがあるんですよね。時代に合ってない訓練。だからといって訓練をしないとか質を下げてしまうことになると市民サービスの低下につながる。そこが本当に難しいと思っています。」
3月、事故の調査検討委員会が報告書をまとめたことを受けて、福岡市消防局は26日、初めてインタビュー取材に応じました。
■福岡市消防局 職員課・永野伸治課長
「かけがえのない命が失われてしまったことに対し、大変重く受け止めています。」
事故当時、福岡市消防局では52人の学校生が一斉に行う訓練に教官や指導員、ダイバーなど18人の監視員を配置していました。立ち泳ぎ訓練の監視員は、4年前から5、6人増やしていたといいます。
これには、あるきっかけがありました。
2020年、山口県消防学校で、21歳だった男性の学校生が立ち泳ぎの訓練中に溺れ、死亡しました。事故を調査した第三者などによる検討委員会は、立ち泳ぎの訓練で毎年、溺れかける学校生がいたとして、足の届かないプールで50人以上を一斉に泳がせていたことは問題だと指摘していました。
■山口県の事故の検討委員会・杉浦崇夫委員長
「旧態依然とした教育体制があって、現実に即してないようなところも多々あったような感じがします。」
さらに再発防止策として、泳力に応じてグループ分けするなど参加人数を制限した上で、学校生が2人一組になり、お互いに見守る「バディ制度」を徹底することや、監視員を十分に配置することなどが提言されていました。
山口県での事故を受け、福岡市消防局は訓練中の監視員の人数を増やしましたが、そのほかの提言内容の多くは取り入れていませんでした。
■福岡市消防局 職員課・永野伸治課長
「これまで事故が起こってきていなかったのと、監視の人数を増強させていれば対処としてはしっかりやれるだろうという認識があったと思っています。」
Q今、その認識について
「そうですね。当然ながら調査検討委員会からも再発防止策として挙げられていますので、そういった認識不足を具体的な取り組みとして、バディ制度の導入や入水人数の制限をしっかりと整えていかないといけないと思っています。」
立ち泳ぎ訓練中の重大事故は2014年、静岡県消防学校でも起きていました。この時は、20代の男性の学校生2人が溺れ、一時、意識不明となりました。
訓練中の死亡事故が起きるたび、国は都道府県や政令市に対し、訓練時の安全管理を徹し、事故防止に万全を期すよう求めています。ただ「地域によって体制も異なる」として、各自治体の消防が安全管理をマニュアルを見直したかどうかの追跡調査は行っていないということです。
安全管理や事故の防止に詳しい専門家は。
■元 九州大学特任教授・福岡幸二さん
「過去にこういった死亡事故が発生している訓練に対しては(総務省)消防庁で共有すると。それを教訓として全国の消防学校が学ぶ。自分たちも同じような状況にあると分かったら、そこに書かれた改善策を取るということが必要。」
福岡市消防学校の訓練を巡っては、市の安全管理規程により「最高指揮者」や「安全主任」を置くことになっていますが、訓練計画書には少なくとも数年間にわたり責任者を記載していなかった、ずさんな対応も明らかになっています。
過酷な現場に立つ消防だからこそ、職員たちの安全をもっと大切にする組織に。
福岡市消防局は、事故の調査検討委員会が提言した再発防止策について検討を進めるとした上で、今後は安全を最優先とする訓練を目指すとしています。
※FBS福岡放送めんたいワイド2025年3月27日午後5時すぎ放送

「建物が燃えている、煙がすごい」川崎の店舗兼共同住宅が全焼…焼け跡から2人の遺体

29日午前2時25分頃、川崎市川崎区中島の木造2階店舗兼共同住宅で「建物が燃えている。煙がすごい」と近隣住民から119番があった。火は約2時間半後に消し止められ、全焼した建物の焼け跡から性別不明の2人の遺体が発見された。
川崎署の発表によると、1階は飲食店で、2階に2室あり、入居者と連絡が取れていない。同署は遺体の身元や出火原因を調べる。現場はJR川崎駅から東に1・7キロ・メートルの住宅街。

16歳少年に記者が面会「ボコボコの経験がなかった」【江別男子大学生集団暴行死】「顔みたらやばいなと…」取材メモから専門家が読み解く“空気感”と“孤独感”

2024年10月、北海道江別市で起きた男子大学生集団暴行死事件。
凶悪な犯罪はなぜ、起きたのか。強盗致死の罪で起訴された16歳の少年と記者が面会したやり取りを、2人の専門家とともに読み解きます。
・時崎愛悠 記者 「少年は私との接見の時間、まっすぐ目を見つめ、はっきりとした口調で自分の思いや主張を語っていました」
4回に渡って少年と面会し、その内容を忠実に再現しました。
記者の突然の面会に応じた理由を尋ねると…
・少年 「しゃべってみようと思った。1人で考えるよりいいかと思った」
■事件当日、八木原被告から電話
2024年10月25日午後8時すぎ、川村葉音被告(20)、アルバイト従業員の男(18)、16歳の少年ら5人が遊んでいたところに突然、八木原亜麻被告(20)から電話があります。
交際していた男子大学生から、別れを切り出されたという内容でした。
5人は、車で江別市へ向かいました。
■殴ることを決めていた。車の中の“空気感”
・少年 「八木原亜麻被告から連絡が来たときには、18歳のアルバイト従業員の男は殴ることを決めていた。車の中の空気感」
・時崎愛悠 記者 「知らない人にそこまで怒れますか?」
・少年 「空気感。川村葉音被告がそういう空気を出していた」
“空気感”。少年が何度も口にした言葉です。
■元家庭裁判所調査官「グループの中で、役割を取らなければいけないと」
長く家庭裁判所の調査官を務め、非行少年に向き合ってきた品田一郎氏は“空気感”について、こう分析します。
元家庭裁判所調査官 品田一郎さん 「少年が理解して、その流れには逆らえないなというふうに感じたと思う。もうそこに加担する意思がたぶん働いていた。積極的ではなかったけれど、グループの中で自分がある役割を取らなければいけないと感じた。そのことを“空気感”というのでは」
グループとは、被害者の交際相手だった八木原被告。その友人である川村被告。川村被告の交際相手・当時17歳のアルバイト従業員の少年。アルバイト従業員の男(18)。18歳の男と中学の同級生だった男子高校生(18)、18歳の男と同じアルバイト先で記者の面会の応じた16歳の少年の6人でした。
■少年「顔見たらやばいなと思った。結構腫れていてやばいなって」
このうち3人は被害者と面識がありませんでした。
・時崎愛悠 記者 「そこまで暴行して亡くなるとは思いませんでしたか?」
・少年 「当時は亡くならないと思った。ボコボコの経験がそこまでなかった」
・時崎愛悠 記者 「止めようとは思わなかったのですか?」
・少年 「止めようと思った。止めなかったから続いてしまった」
・時崎愛悠 記者 「どのタイミングで?」
・少年 「引きずったときに顔見たらやばいなと思った。結構腫れていてやばいなって」
暴行はグループのメンバーから代わる代わる行われ、数時間にも及びました。
エスカレートした背景に『集団心理』があると品田氏は指摘します。
元家庭裁判所調査官 品田一郎さん 「人が集まったときに生じる特殊な心理状態と定義される。個人ならできる合理的な判断がすごく鈍る。極端な言動に走ってしまう。それを『集団心理』という」
しかし、少年をよく知る友人は暴力を振るうような人ではないと話します。
・少年の友人 「普通に明るいやつで人に手を出すとかケンカ好きではない。結構、友達のことを大事にする」
喧嘩が嫌いな性格の少年がなぜ、集団の暴行に加わったのか―。
ある人物の存在があったといいます。
■“孤立感”が現代の若者の人間関係に大きく影響
アルバイト従業員の男(18)です。
・少年 「怖いとかあんまない。男に対して主張は言いづらい。男とトラブルが起きたことがあって」
・少年の友人 「男が少年のことを1回ボコボコにした。少年の顔が腫れるみたいなことはしょっちゅうあった」
・時崎愛悠 記者 「彼が相談できる人は?」
・少年の友人 「あんまりいない。(関係を)切りたいんだったら別に切ればいいじゃんみたいな。(一緒に)居て楽しくないんだったら、居なくていいと思うと言った」 「(少年は)分かったみたいな感じで言っていた。結局(関係を)切らなかった」
友人のアドバイスが少年を変えることはありませんでした。
いじめや子どもの発達に詳しい北海道大学の加藤弘准教授は、“孤立感”が現代の若者の人間関係に大きく影響すると話します。
・北海道大学(発達心理学) 加藤弘通 准教授 「そこしか人間関係がないとなると、そこに頼らざるをえないのは自然な流れ。少年の問題だけではなく、社会で孤立していると、限られた人間関係の中でやっていくしかなくなる」
高校に進学せず、日中は自宅で小さい弟の面倒をみて過ごしていたという16歳の少年。
・少年の友人 「居場所がないから結構うちにも来て、一緒にごはん食べたりというのがあった。『俺、親そもそも家にいないし』って。だから兄弟の面倒を見ているのも少年」
取材をした公園で、少年と友人は夕方からよく遊んでいました。少年にとって、ここで出会う人たちが心の拠り所だったのでしょうか。
■専門家「反省していないと捉えるのはちょっと早計」
少年は拘置支所で、事件のことをノートに書き留めているといいます。
・時崎愛悠 記者 「被害者に思っていることはありますか?」
・少年 「言うの難しい。自分の思っていること言葉で表しづらい。この場面のとき、被害者がこう思っていただろうなみたいなことを書いてる」
少年の口からは、反省の言葉は聞くことができませんでした。
しかし品田氏は、一見すると反省していないように見えるのは、殺人などの凶悪犯罪を起こした少年の特徴だといいます。
・元家庭裁判所調査官 品田一郎さん 「淡々と無感情に、人がやっていることを語っているような語り口。自分がやった行為というのを無意識に受け入れたくない、防御しようとする心理。それを反省していないと捉えるのはちょっと早計、早とちりなんです」
・時崎愛悠 記者 「事件を思い出しますか?」
・少年 「本を読んでいたりしても頭に残って、寝ている最中は夢で出てくる。暴行していたときの流れ、思い出す」
少年が本格的に事件に向き合うのはこれからです。
・北海道大学(発達心理学) 加藤弘通 准教授 「自分のこととして引き受けられていないところに大きな問題がある。16歳という年齢の問題もあるかもしれないし、重罰を与えたりすることによって、矯正できるのか疑問に思う」
「事件を起こしてしまったことに関して、彼がどう向き合うのかというところを、どうやって周りの大人など関わってる人たちが、作っていけるかが最初のステップ」
■今回の事件について
記者が少年に面会した2025年1月、北海道放送ではその様子の一部をニュースで放送しました。
その後、2月に少年の代理人弁護士が報道機関に対し「少年に直接取材するのは控えほしい」と要請がありました。
理由として「一般に、少年の中には発達上の特性や知的能力の制限などで、質問の意図を正確に把握することが困難な者、自分自身の考えや意図を正確に表現することが困難な者も少なくない」としています。
北海道放送は今回、非行少年や発達心理の専門家に取材したうえで、少年との面会取材を報道する意義があると判断しました。
北海道放送は『罪と償い』と題して、6月から刑務所で拘禁刑が導入するのに合わせて、再犯防止の観点から事件の背景や刑務所の変わる現場などを報道していく予定です。

都議選に向け雪崩現象…自民から相次ぐ“脱党者”→党勢好調な国民民主党に流出の無節操

参院選の前哨戦となる東京都議選(6月13日告示、22日投開票)まで3カ月を切ったが、珍しい「雪崩現象」が起きている。自民の“脱党者”が続々と党勢好調の国民民主党に流出しているのだ。
国民民主は27日、都議選の第3次公認候補を公表した。江東区選挙区の高橋巧(26)、杉並区選挙区の国崎隆志(42)、町田市選挙区の広田悠大(30)の3氏だ。いずれも新人で“自民印”でもある。
高橋氏は自民の元江東区議・恵海氏を母に持つ。伯母は公職選挙法違反の有罪判決を受け、江東区長を辞職した木村弥生氏で、祖父は自民の元衆院議員の木村勉氏だ。2024年夏の都議補選に同区から無所属で出馬したものの落選。「経歴からいって、どう見ても自民関係者」(区政関係者)。
杉並区の国崎氏は、福島原発事故に伴う中間貯蔵施設の建設を巡って「最後は金目」と言い放った石原伸晃元自民幹事長の元公設秘書だ。石原氏の地元・杉並区で19年に自民公認で区議選に出馬し、当選。2期目を狙った23年に落選した。彼を知る都政関係者は「国民民主に移るとは、石原家のグリップが弱まっている証拠だ」と言った。
一方、広田氏は町田市選出の元自民都議の事務所で「インターンをやっていた時期がある」(市政関係者)。22年の町田市議選に無所属で出馬し落選。地元自民関係者は「いつの間に国民民主に近づいたのか……」と、驚きを隠さない。
自民は裏金事件などの逆風で全42選挙区のうち4割近くで公認候補が決まらず“泥舟”状態。3人とも当選が望めないから、イケイケの国民民主に乗り換えたとみられているのだ。自民都連関係者はこう言う。
「都議会自民でも不記載が発覚したから、ウチの看板では勝てないと思うのは当然だろう。ただ、あまりに節操がない。バッジをつけたいだけの連中と受け止められても仕方がないんじゃないか」
受け入れる側の国民民主もどうかしている。
「党の公募では1000人超が集まり、面接や身体検査などに手が回りきらない。だから、自民系でもいいから“経験者”を選んだのだろう。3人とも地元の選挙に出たことがあり、名前が浸透していることもプラス材料だったはず。まあ、今の勢いがいつまで続くか分かりませんけどね」(国民民主関係者)
反アベ派だった石破首相の下で岩盤保守層が離れ、支持者が“ゆ党”の国民民主に流れている側面もあるのだろう。有権者はよーく考えた方がいい。
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絶好調の国民民主党には「パワハラ問題」がくすぶっていて……関連記事【もっと読む】で詳しく報じている。

《ウサギの島・虐殺公判》口に約7cmのハサミを挿入、「ポキ」と骨が折れる音も…25歳・虐待男のスマホに残っていた「残忍すぎる動画の中身」

「ウサギの島」として知られる広島県竹原市の大久野島。島内では約500~600羽のウサギが放し飼いにされており、癒しのスポットとして近年高い人気を博している。
そんな“ウサギの楽園”で、ウサギを虐待したとして、動物愛護法違反で起訴された25歳の男の初公判が、3月26日、広島地裁呉支部で開かれた。明かされた犯行の詳細は、集まった傍聴人が思わず耳を塞ぎたくなるような、残忍で身勝手な内容だったライターの普通氏がレポートする。【前後編の前編】
2か月で99匹の死骸
起訴状によると男は、今年の1月9日と同21日に、大久野島に生息するうさぎ計7羽に対して、胸腹部を蹴る、足を掴んで骨を折る、頭部を踏みつけ、首を掴んで口腔内にハサミを入れるなどしてケガをさせ1羽を死なせた。これらの内容について、被告は「間違いはないです」と7件の事実を全て認めた。
環境省・中国四国地方環境事務所によると、大久野島には約500匹のウサギが生息しているが、昨年11月下旬からの約2か月間で計99匹の死骸が確認されているという。足の骨折や、顔に出血があった個体もいたようだ。
事件内容を聞くだけでおぞましい事件であるが、被告席に座る男の様子からは凶暴性は感じられない。
髪は長さ1cmほどの短髪に整えられ、手は膝の上で軽く握っている。顔を大きく動かすことはないが下を向いたり、かと思えば真っ直ぐ前を向いたりなど、キョロキョロしていた。その様子は、現行犯逮捕に貢献した島の写真家が被告を捉えた動画内で、周囲をキョロキョロと見渡す姿そのものだった。マスクで表情は見えないが、落ち着きがないというより、不安に感じている様子に思えた。
被告は身柄拘束されており、住居不定、無職の状態。私服も着用できる中、被告が着用していたのは、胸元に「官」の字が書かれた、拘置所から支給される服だった。
動画には「骨が折れる音」と「悲鳴」
検察官の冒頭陳述によると、被告は元々小動物が好きだった。うさぎの動画を見たり、事件現場となる大久野島に赴いてうさぎと触れ合ったり、動物としての特性を調べることなどもあったという。
しかしその後、うさぎが悲鳴を上げている動画、解体される様子の動画などを目にしてから、「うさぎが嫌がるのを見たい」という思いが芽生えるようになる。その後、4回にわたって大久野島を訪れ、起訴内容以外にも多数の殺傷行為をしたことを自供している。
虐待の様子の一部は、被告人のスマートフォンに動画保存されていた。口腔内に約7cmほどハサミが挿入される様子もあった。これらの情報から複数の起訴事実が特定された。
その動画には、「ポキ」と骨が折れるような音や、うさぎが悲鳴のような鳴き声を上げる様子も残されていた。動画を確認した専門家によると、うさぎは注射を受ける際にも同様の声を上げるといい、悲鳴は痛みを感じている証左であるという。
被告の捜査機関への供述調書によると、起訴事実以外にも毛を抜く、耳を引きちぎる、鼻の穴の間を切るなどの犯行を自供している。
調書の内容が述べられたあと、被告への質問が始まった。被告は「自分は異常だと思った」などと、自身の犯行を振り返った後編記事では、法廷で語られた被告の「動機」について詳報する。
(後編につづく)
取材・文/普通(ライター)