2022年に静岡県焼津市立中学校3年の女子生徒(当時14歳)が自殺したのは、学校側がいじめへの対策を怠ったことが原因だとして、両親が29日、市に約7000万円の損害賠償を求めて静岡地裁に提訴した。
訴状などによると、生徒は同年4月、市内の別の中学から転校。同級生から「きもい」と言われたり、作品を破られたりした。道徳の授業では「またいじめにあうかもしれない」などと書いたプリントを提出していた。生徒は同年9月28日に自殺。市教育委員会が設置した第三者委員会は23年6月、いじめがあったと認定する報告書をまとめた。
原告側は、生徒への積極的な声かけを行うとともに、面談などで精神的苦痛の解消や緩和をする注意義務を怠ったと指摘。記者会見した父親(60)は「娘とたくさん話をしたかった。こんな思いをする方が少なくなれば」と語った。
市教委は「訴状が届いておらずコメントできない」としている。
小泉陣営に厳重注意=自民総裁選管「対立あおる」
自民党総裁選で小泉進次郎農林水産相の陣営がインターネット動画配信に「やらせ」コメントの投稿を依頼していた問題を巡り、逢沢一郎総裁選挙管理委員長は29日までに小泉氏の選挙責任者を厳重注意した。投稿例には「ビジネスエセ保守に負けるな」など高市早苗前経済安全保障担当相への中傷と受け取られかねない内容が含まれており、「感情的対立をあおる恐れのある事案」と判断した。厳重注意は他の陣営に対しても別の案件で行われた。 [時事通信社]
林芳正がわずか1年で政治資金1300万を会食に使っていた うなぎ、ステーキ…老舗フグ屋では「芸者さんを呼ぶこともできる」VIP待遇も
「山口はもう、林一色。仕方ない、仕方ないのよ……」
そうつぶやき虚空を見つめるのは、故・安倍晋三元首相の地元後援会副会長だ。今度の総裁選は、保守王国で連綿と続いてきたもう1つのバトルにも、決着がつこうとしている。
3度目の正直で悲願の総理就任を狙う、林芳正官房長官(64)。与党が参院選の公約として掲げた現金2万円の給付案について、9月18日に出演したネット番組で「私だったらやらなかったかもしれない」と発言し、早々に撤回するお騒がせなスタートを切った。
「石破政権ナンバー2でありながら後出しもいいところだと批判を浴びた。林氏は石破氏の退陣を見越し8月中旬には自身のHPもリニューアル。石破路線継承を掲げ『石破票』を取り込もうと目論んでいるが、こうした不義理な姿勢もあってか、支持を広げられていません」(政治部デスク)
出馬表明後、最初の視察先は、赤坂の「ソニー・ミュージックスタジオ」。得意のピアノ演奏を披露した。
「官房長官という立場上、都内を出づらい。とはいえ、物価高対策をアピールしようと、スーパーや子ども食堂を視察する茂木敏充前幹事長に比べ、『公家集団』と言われる出身派閥の宏池会らしさ全開でお高くとまっています」(同前)
お公家な政治活動の一端は、林氏の収支報告書をめくれば、一目瞭然。資金管理団体「林芳正を支える会」の支出に並ぶのは、客単価数万円の高級料亭の数々だ。
例えば、墨田区向島の花街にひっそりと佇む1軒の老舗フグ屋。プールのように巨大な生け簀が売りで「芸者さんを呼ぶこともできます。林先生は、いつも裏口から2階の座敷。VIPですから」(女将)。
この店に2021年だけで約125万円を支出。他の料亭とあわせ“フグ支出”に直近3年間で総額432万円を使っていた。
まだまだある。目黒区の「ビストロ×熟成肉」が売りのステーキ店では1日で36万9000円。更に食事だけで1人2万円、完全予約制の赤坂のうなぎ屋に、1日で22万円(いずれも23年)と続く。
2023年の飲食費は実に1300万円弱。うち900万円超が1件10万円以上の高額店飲食費だった。日中友好議連元会長の肩書も伊達ではなく、中華料理店には直近3年間で250万円超を出費。中には“疑惑”の店名もあった……。
〈 この続き では、警察の捜査対象にもなった“疑惑”の店の正体、妻・裕子氏との夫婦関係、林に屈服した「安倍氏の親族と後継者」などを詳しく報じている。現在配信中の「 週刊文春 電子版 」および発売中の雑誌「週刊文春」で本記事の全文と他の候補者の記事も掲載している〉
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年10月2日号)
「稼げる」と誘われカンボジアで「かけ子」、中国人監視下で朝から晩まで詐欺電話…「成績」悪いと暴行も
東南アジアに渡航し、現地の特殊詐欺グループに加わった日本人が相次いで逮捕されている。「高収入」「稼げる」といった甘い言葉に誘われて海を渡ったものの、厳しい監視下で詐欺電話をかけ続けていた容疑者たち。警察の捜査で、暴力で支配された詐欺拠点の実態が明らかになってきた。(中部支社 小林岳人、藤江広祐)
「日本人20人以上が塀に囲まれた拠点内の施設で寝泊まりし、事務所で詐欺電話をかけている」。カンボジア北西部ポイペトの詐欺拠点から1月に帰国した男性は、愛知県警にこう説明した。これを機に拠点にいた男女29人が8月、日本に送還され、愛知県警に詐欺未遂容疑で逮捕された。29人は詐欺電話をかける「かけ子」だったとされる。
県警によると、29人は拠点内の集合住宅で暮らしていたとみられる。拠点内にはコンビニや診療所、理髪店、ネイルサロンなどもあり、生活環境は整えられていた。
ただ、拠点外に出るには許可が必要で、出入り口には武装した警備員が常駐していた。一部の容疑者は「ライオンやトラ、ワニが飼われているのを見た」と供述している。
複数の中国人に監視され、組織的に詐欺電話をかける体制が築かれていた。29人は班ごとに仕切られたスペースで、通信会社の社員や警察官などを装い、スマートフォンなどで朝から晩まで詐欺電話をかけた。「業務中」の食事では、和食や中華、ファストフードなどの出前を取ることもあった。
起床や消灯の時間は決められ、詐欺の「成果」はホワイトボードで管理された。監視カメラもあり、遅刻すると罰金を科された。
新人は、マニュアルを暗記させられた。一日の終わりには、かけ子を集めた反省会があった。録音した通話内容を互いに聞き直し、相手をだます効果的なセリフなどを話し合っていた。
容疑者たちは詐欺の成果が振るわなかったり、「帰りたい」と申し出たりすると、殴る蹴るの暴行を受けた。火力の強いターボライターで鼓膜を焼かれたり、爪をはがされたりもした。県警の調べに「思っていたよりマイナスの環境だった」と供述した容疑者もいる。
29人の多くは借金返済を目的に渡航しており、「稼げる」と誘われたケースが確認されている。SNSだけではなく、対面で勧誘された例もあった。県警は、日本国内での勧誘役や現地の案内役がいたとみている。
報酬は詐欺で得た金額の数%とみられ、警察官役が「難易度が高い」として報酬も高かった。施設内の風俗店で報酬を使った容疑者が多く、借金の返済に充てていた者もいた。送還時、ほとんどの容疑者は現金を所持しておらず、多くても約2700円だった。
報酬、拠点生活費に…ミャンマー
ミャンマー東部の国境地帯を拠点とした事件でも、日本人のかけ子たちは暴行を受けながら詐欺電話をかけていた。ノルマを達成できないと報酬が支払われず、スタンガンを体に押しつけられたという。有刺鉄線に囲まれ、武装した警備員がいたのもカンボジアの拠点と似通っている。
県警に4月、詐欺容疑で逮捕された容疑者2人は「高収入のバイトに応募した」と周囲に語っていた。報酬は拠点での生活費に使ったとみられ、逮捕時の所持金はいずれも1万円未満だった。
カンボジアとミャンマーの事件を捜査する県警幹部は「生活するには拠点の中で金を使う必要がある。詐欺で得た報酬も、結局は管理者側に還流する仕組みなのだろう」と分析する。
《前橋市役所内では“ラブホ通いの話は禁止”に》心ある市職員が明かした「市長の話題には触れない」という“通達” 苦情殺到で土日も稼働する“臨時の問い合わせ窓口”設置も
群馬県前橋市の小川晶市長(42)が、市役所幹部の既婚男性と複数回ラブホテルを訪れていたことが明らかになった問題。小川市長は9月26日の同市議会で「一連の報道によりまして、市民の皆様に多大なるご迷惑をおかけしておりますこと、深くお詫びを申し上げます」と謝罪した。進退については、「第三者とも相談しながら考えたい」としている。
報道を受けて、同市役所の職員は対応に追われている。9月26日午後5時までに2000件以上に及ぶ苦情が寄せられた という。「職員の間で混乱が広がっている」と明かすのは、心ある市職員 だ。
「報道の翌朝から、職員課や秘書課宛にさまざまなご意見が寄せられています。なかには直接来庁される方もいらっしゃり、窓口対応に追われている状況です。内容としては、市長の辞職を求める声や、『市のイメージを下げないでほしい』という声が多い。我々としましても、市長が会見で話された以上の説明を受けていないため答えられないことが多く、歯痒いところです」
疑惑が報じられた翌日の9月25日夕方ごろ、全職員宛にオンライン上で小川市長からのメッセージが共有されたという。NEWSポストセブンはそのメッセージを入手。小川晶名義で『今回の報道について』と題し、
〈この度の報道によって、職員の皆さんに多大なるご迷惑と失望を与えてしまったことを深くお詫び申し上げます。私の軽率な行動によって、市全体の名誉を害するような事態になってしまったことに、自分の未熟さを痛感しております〉
と謝罪の文言がつづられていた。
「実際、課によっては問い合わせ対応で業務が逼迫している。そのため、臨時の問い合わせ窓口を全庁的に設置する案が動き出しました。9月27日土曜日の朝には当番表が用意されることになっており、管理職を含めた経験年数のある職員で対応しています」
他方、「オフィス内で本事案に関する話題を出すことを控えるように」といった通達もあったという。
「『不用意に会話をすることで他の職員に誤解を与えてしまったり、あらぬ憶測が広まったりすることを防ぐため』といった理由でした。そのため、基本的には誰もその話題には一切触れず、いつも通りの業務に取り組んでいます。とはいえ、憤りを感じている方も多いと思います」(同前)
この職員はこう本音も明かした。
「小川市長は、これまでの市長と比べ、職員との距離感がかなり近い方。よくいえば壁を作らない親しみやすい方ですが、それゆえ立場を顧みない行動を起こしてしまったのかもしれません。一刻も早く信頼を取り戻すために動いてほしいと思います」
上記で証言された内容が事実か、市役所に問い合わせたところ、担当者が以下のように回答した。
「市長から職員向けにメッセージがあったこと、臨時の問い合わせ窓口を全庁的に設置する案が出ていることは事実です。
また、職員に向けて、不確実な情報を流すようなことを控えるようには通知しました。今回の件をめぐっては、さまざまな憶測が飛び交っているので、エレベーターやトイレといった市役所を訪れた一般の方も利用するような空間や、飲みの場などで、不用意な発言をするのは慎むようにという意図からです」 誇りを持って前橋市に尽くしてきた職員たちは、複雑な思いを抱えているようだ。市長の今後に注目が集まる。
なぜ公文書に「虚偽記載」 大川原化工機冤罪、ゆがんだ警視庁の実験
化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)の冤罪(えんざい)事件で、警視庁公安部の当時の捜査員2人に対する不起訴処分(容疑不十分)を「不当」とした東京第6検察審査会の議決は、公安部の実験内容と異なる二つのうそが意図的に公文書に記載されたと認定した。うち一つについては「積極的な虚偽記載。捜査員の供述は信用できない」と厳しく批判している。公安部はなぜ「虚偽記載」と認定された捜査報告書を作る必要があったのか。
公安部の実験に協力した民間企業代表らが毎日新聞の取材に応じ、ゆがんだ実験の実態を語った。
問題となった温度実験は2019年5月、関東地方のサプリメント製造会社で実施された。この会社は製品開発のために大川原化工機の噴霧乾燥器を10年ほど前から利用。公安部に依頼され保有する装置を貸し出し、代表が実験に立ち会った。
噴霧乾燥器は霧状の液体に付属のヒーターで熱風を当てて粉製品を作る機械。公安部は「装置を空だきし、装置内部で110度を2時間維持できれば細菌は死滅する」という独自の基準を作り実験に臨んだ。
条件を満たさない箇所があれば、殺菌はできないことになり、経済産業省から輸出規制品には該当しないと判断される状況だった。
公安部は、最も温度が低くなると予想した3カ所にボタン型の温度計を取り付けた。しかし、「回収容器」と呼ばれる粉製品がたまる場所の温度は、大半が80度台で推移し、条件をクリアできなかった。
検察審が意図的なデータ削除と認定したのは回収容器の温度データだ。公安部は立件条件を満たした他の2カ所のデータは報告書に記載して経産省に提出。社長らを外為法違反で逮捕する根拠の一つに利用した。
回収容器は取り外しが可能なことから、複数の捜査員が装置の「内部」ではなく「外部」に当たるとし、データを載せる必要はなかったと主張した。
しかし、検察審は、実験方針のメモにそうした記載がないことなどから「(外部とする主張は)後付けの疑いが拭えない」と退けた。
「不利なデータもみ消しが真相」
公安部はあらかじめ準備した3カ所とは別に、当日にサプリ製造会社から温度計を借りて回収容器の底の温度も測っていた。報告書には代表が「機械内部の温度状況を独自に把握したい」と自ら申し出たと記載されているが、検察審はこの記載も虚偽と認定した。
代表は毎日新聞の取材に「善意で実験に協力したのに、私の話はねじ曲げられた。検察審が虚偽記載と認定してくれたことに感謝している」と話した。
また、当時を知る捜査関係者は「立件するためには、温度が上がらない回収容器を外部にしないといけなかった。不利な実験データをもみ消したのが真相だ」と振り返った。
事件では公安部に逮捕された大川原化工機元顧問、相嶋静夫さん(享年72)が勾留中に胃がんがみつかり、満足な治療を受けられずに亡くなった。代表は「正しい報告書が経産省に提出されていたら、相嶋さんは命を失うことはなかったのではないか」と悔やんだ。
公安部と東京地検の捜査を違法と認定した国家賠償訴訟の1、2審判決や、警視庁が8月に公表した検証報告書は温度実験のデータ削除の問題には触れていない。「未解明の疑惑」として大川原化工機側は東京地検に起訴するよう強く要求していく方針だ。【遠藤浩二】
「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」24歳の息子を奪われた両親…受け入れられない現実【小樽飲酒運転事故から1年《第1部》】
約1年前の2024年9月22日朝、北海道小樽市の国道で、飲酒運転の男性会社員(当時32)の車が反対車線にはみ出して、乗用車と正面衝突しました。
この事故で乗用車は横転して大破、運転していた大学院生、田中友規さん(当時24)が死亡しました。
警察によりますと、男性の呼気からは、基準値の3倍以上のアルコールが検出。
男性は、事故の2時間ほど前まで酒を飲んでいて、飲酒の時間は11時間半以上に及んでいたということで、過失運転致死と酒気帯びの疑いで逮捕・送検されました。
その後、同年10月、札幌地検は、この男性を処分保留のまま釈放。「起訴」か「不起訴」か、最終的な処分は、事故から1年がたったいまも出ていません。
「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」。かけがえのない息子を亡くした両親が、現在の心境を語りました。 (HBC北海道放送報道部 馬場佑里香)
◆突然の知らせと受け入れられない現実
事故当日、最初に警察からの連絡を受けたのは、友規さんの母親でした。
母親:警察が主人に連絡したのですが、仕事中で電話を取れなかったので、私の携帯電話に直接連絡が入った形でした。
「けがの程度はどのくらいでしょうか」とお聞きしたら、ちょっと間があいた後に「残念ながら亡くなりました」と言われ、非常にショックでした。とりあえず事故ということだったので、同乗者がいたのか、けがはなかったのか、相手がある事故だったのか、単独事故だったのかを確認しました。
相手がいますということだったので、今思えば腹立たしいですが、相手のけがの心配をしました。
当時の記憶がかなりまばらになっていて、はっきりしたことは覚えていないんですけれども、どこかのタイミングで居眠りもしくは飲酒と聞いた記憶はあるんですが、それが電話だったのか、直接会った時に聞いたのかははっきりしません。
父親:私は仕事で、携帯を仕事中持って歩いてなかったので、妻から直接、職場に連絡をもらいました。
母親:やはり現実味がありませんでした。突然亡くなったので。自分がドラマの中にいるような感覚で、ずっと他人事のような、ただ事務的な作業をこなすしかないので、自動車保険の会社に連絡をしたり、息子のバイト先に連絡したり。
まだ本人に会っていなかったので、「身元確認に来てください」と言われただけでは何も分からず、ただ「やることをやらなきゃ」という感じで過ごしました。
本人に会うまでの間に、インターネットのニュースで、間違いなく、私の車がひっくり返っているのを見て「本当に息子が事故に遭ったのかもしれない。でも、まだ本人に会ってないから、もしかしたら息子じゃないかもしれない」という思いで過ごしていました。
―――警察から連絡があったのは? 母親:主人の単身赴任先に行っていて、家の片付けをしている時に電話が入りました。 札幌にいなかったので、身元確認に行くにも自分の車がなく、JRで向かったので、息子に会えたのは午後3時半くらいになってしまいました。最初の連絡は午前10時半くらいだったと思います。
父親:事故を知った時刻は、正確には覚えていませんが、妻に連絡が来てから1時間以内、おそらく午前11時頃だったと思います。
◆「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」「時間は戻せない」
事故の連絡を受けた両親は、病院で、友規さんと対面します。
母親:病院の方で息子の状態をきれいにしてから会わせてくれました。
息子に会って初めて現実に引き戻された状態で、「本当に友規だったんだ」と。そこでようやく認めるしかなくて…。抱きしめたところで、もう、朝早い事故だったので、完全に体も冷たくなっていて…。
どれだけ泣き叫んだところで、本人はもう二度と目を覚ましてくれないので、虚しさと悔しさだけ…。
父親:私が、息子が安置されている病院に着いたのは、妻の到着の3時間後くらいだったと思います。あまりにも突然のことで、現実味がなさすぎたなと思います。「本当に死んでしまったんだな」という思い。
病院の方が、息子が運ばれてきた経緯や状況を医学的に丁寧に説明してくれたので、何が起こったかはだいたい分かりました。一方で、事故の瞬間を回避できない限り、時間は戻せないなという気持ちでした。
◆「あの子はみんなに好かれていたんだな」200人以上の友人らが葬儀に参列
友規さんは釣りが大好きで、この日も、翌週友人と行く釣りの下見に行った帰り道に、事故に遭いました。
母親:大学生なので、私たちにどこへ行くかは言うわけではなかったです。その時は3連休で、本来なら私が車を使って主人の所へ行く予定でしたが、「車を使わせて欲しい」と言われたので、どこか行きたいのだろうなと。デートか遊びにでも行くのだろうと思い、「いいよ」と。目的は聞いていませんでした。
事故の後、娘に聞いたら、「ちょっとこれから釣りに行ってくるわ」と言っていたと。釣りの帰りだったというのは聞きました。
母親:子どもの頃から釣りはずっと好きでしたが、家族は誰も釣りに興味がなかったので、大学生になってから釣り好きの友達と本格的に始めたのが本当のスタートでした。
いつもは釣り仲間と行くのですが、その一人が留学中で、次の週に札幌に帰って来るから、友達には「ちょっと下見を兼ねて偵察してくる」と言っていたようで、一人で行った帰りの事故だったと、後から聞きました。
その年のゼミ旅行のパンフレットは日程表も全部息子が作っていたと、後で先生から聞きました。みんなを喜ばせるために何かを準備して行動するのが好きだったんだと思います。
友達もすごく多かったです。お通夜とお葬式にあれほど人が来るとは思っていませんでした。 もう、あんなに来るとは思っていなかったので、「あの子はみんなに好かれていたんだな」と思いました。200名以上はいらっしゃっていて、人が多すぎてあがることができなかった方もいたと聞いているので、もっと多かったのかもしれません。小学校、中学校、高校、大学の友人と、バイト先の人たちが来てくれました。
―――事故後、周囲の人たちからは、友規さんについて、どんなことを聞きましたか? 母親:あったことは何でも私に話す子だったので、息子の友人たちと「そんなことあったね」と思い返せるくらい共通の話題がたくさんありました。
本当にみんな「優しくていい子だった」と話してくれて。大学のゼミのお友達からも「とにかく優しくて」と。
後輩からは、「困ったことがあったら何かやるよ」と声をかけて色々教えてくれる、すごく頼りになる先輩だったと聞きました。みなさん、「常に気にかけて声をかけてくれる先輩だったので、悔しいです」と言ってくれていました。面倒見が良くて、困っている人を見ると、見過ごせない知らないふりができない子でした。
―――ご両親から見て、友規さんはどういうお子さんでしたか? 母親:とにかく優しくて面倒見がいい子というのは誰からも言われる子で、社会に出しても恥ずかしくない、まっすぐに育ったいい子だと感じていました。3人兄弟の一番上だったので、下の子たちの面倒もすごく見ていました。
将来、結婚して子どもができても、一生懸命家族を守ってくれる素晴らしい子だっただろうなと思っていました。
◆「あの子の努力が、実を結ばなかったのが本当に悔しい」夢半ばで奪われた未来
友規さんは、当時、化学系の研究職を目指して就職活動中だったといいます。
母親:研究職を目指していたので、ひたすら研究をしていました。海外での就職も目指していましたが、まずは国内で頑張って、将来的に海外を目指すのもいいかもしれない、という話はしていました。
本人が努力していた結果が実を結ぶ直前だったのは間違いありません。頑張って自分のやりたい仕事をするという目標を確実に決めて動ける子だったので、それを成し得なかったことがかわいそうで仕方ありません。
あの子の努力が、就職という形で実を結ばなかったのが本当に悔しいです。
◆夢に出てくると「久しぶりに会えた」…1年経っても受け入れられない喪失感
事故から1年、家族にとっては、現実を受け入れられない日常が続いています。
母親:いまだに受け入れていない自分が間違いなくいます。
初めの頃は、玄関が開く瞬間に「あ、帰ってきたかな」と期待してしまう自分がどうしてもいました。この1年、たまに夢に出てくると「久しぶりに会えた」という喜びがありますが、でも会えないので…。
家族は、常に息子のことを感じているので、リビングに置いてある遺骨と遺影に向かってみんなで話しかけて「これだったらお兄ちゃん絶対こう言ったよね」といった会話をよくします。でも、やっぱり、まだ全く受け入れられません。
来年3月には就職して初めて家からいなくなるタイミングだったので「本来だったら今こうだったね」と頭の中で考えてしまい、さらに寂しく思います。
取材も、初めの頃はとても受けられる状況ではありませんでした。誰に対して何を訴えるという気持ちもなくて、ただただ自分たちの家族を守るだけで精一杯でした。
今は、少し聞かれたことに対して、考えて話せる状況になってきたのかなという心境の変化はあったかなと思います。
【第2部】は、処分保留で釈放された飲酒運転の男性への両親の憤りの声です。
■この記事は、3部構成になっています。 【第1部】「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」24歳の息子を奪われた両親…受け入れられない現実 【第2部】「人殺しとしか言いようがない」処分保留で釈放された飲酒運転の男性への強い憤り 息子を奪われた両親の叫び 【第3部】1年経っても処分保留のまま…「静かに待つしかない」両親の葛藤と願い“危険運転”のハードルについて専門家は
※亡くなった田中友規さんの両親へのインタビューは、事故から1年を前に、2025年9月15日に行ったものです。
「人殺しとしか言いようがない」処分保留で釈放された飲酒運転の男性への強い憤り 息子を奪われた両親の叫び【小樽飲酒運転事故から1年《第2部》】
約1年前の2024年9月22日朝、北海道小樽市の国道で、飲酒運転の男性会社員(当時32)の車が反対車線にはみ出して、乗用車と正面衝突しました。
この事故で乗用車は横転して大破、運転していた大学院生、田中友規さん(当時24)が死亡しました。
警察によりますと、男性の呼気からは、基準値の3倍以上のアルコールが検出。
男性は、事故の2時間ほど前まで酒を飲んでいて、飲酒の時間は11時間半以上に及んでいたということで、過失運転致死と酒気帯びの疑いで逮捕・送検されました。
その後、同年10月、札幌地検は、この男性を処分保留のまま釈放。「起訴」か「不起訴」か、最終的な処分は、事故から1年がたったいまも出ていません。
「人殺しとしか言いようがない」。かけがえのない息子を亡くした両親が、現在の心境を語りました。 (HBC北海道放送報道部 馬場佑里香)
◆ 事故を起こした男性は処分保留で釈放「人殺しとしか言いようがない」
事故を起こした男性は、処分保留のまま釈放され、1年たったいまも、最終的な処分は出ていません。この現実に、母親は強い憤りをにじませます。
母親:事故を起こした人に対して思うことはただ一つ、人殺しとしか言いようがありません。叶うことなら本人にぶつけてやりたくらいです。うちの子を殺したので人殺しですよね。
処分保留で釈放されているので、彼の人間性は知りませんけど、所詮、酒を飲んで車を運転しようと決めた人格の人間で、今も楽しくお酒を飲んでテレビを見て笑っているんでしょうと勝手に感じています。
息子ができなかったこと全てを奪っておいて、事故を起こした人は、本人だとばれなければ、人生楽しく過ごせる。今後も自分が人殺しだとバレなければ、何不自由なく過ごせる。
じゃあ犯人に何を求めるか…少しでも長く刑務所に入ってほしい。それは、私も、娘も、息子も、共通して思っていることは「お兄ちゃん殺しておいて、すぐ社会に出てくるような世の中は納得いかない」。
少しでも犯人には、長く刑務所に入っていてほしい。願ったところでお兄ちゃんは戻ってきません。でも息子一人の命を奪っておいて、自由に過ごせるという状況はとても納得できない、と強く思っています。
母親:刑務所に入ってどう過ごすかは本人次第です。ただ、刑務所に入って自由を奪われた状況が少しでも長い方が、自分が間違った選択をし続けて、こういうことになってしまった、家族に会えなくなってしまった状況を、そういうところに入らないと、ああいう人間は理解できないのではないかと思います。
そして、刑務所に入って出たところで、また同じようなことを繰り返す人間でしょうね、と思ってしまう冷めた部分があって、刑務所に入ったからといって、二度としないと思える人間は、そもそも飲酒運転は選ばないと思っているので。彼がどう感じるかは分かりません。
ただ、息子の命を奪っておいて、一度も刑務所に入ることなく自由に動ける状況は、息子を殺された母親として、とても納得できるものではありませんと強く感じています。
◆子どもを失った親としてのやり切れない思い…繰り返される悲劇と変わらぬ意識 一方で、父親は、飲酒運転による犠牲者が後を絶たないことに対する複雑な思いも吐露します。
父親:飲酒運転はよくないもので、過去からずっと、いろんな悲劇を生んでいます。私たちのように、本来、ここから先、いろんな人生が待っていたかもしれない人たちの命を奪ってきています。
今回の方も事故前に11時間以上飲酒していて、そのあと「車で帰る」ということを平然と言う方だと聞いています。
結局、一部の人の意識は変わらなくて、飲酒運転を撲滅しようとキャンペーンをしたところで、キャンペーンを理解する人は飲酒運転をしないが、そうでない人は馬耳東風のままで結局、飲酒運転はなくならない。その歴史を繰り返していることが、子どもを失った者としては、また次の悲劇が生まれることに非常にやりきれなさを感じます。
日本は、危ないものに関しては、すごくいろんな用心をしていて、銃刀法も銃などの携帯を認めていないし、いろんなところで守っているはずなのに、アルコールに関しても、ようやく公共の交通機関の方々は、運転前に、アルコール検知器などをやりましょうとなってきているようですが、一般の人たちは、全く何の規制もないです。
結果的に本人が目をつぶってしまえば、酒を飲んで運転している人がいくらいても分からないし、事故が起きなかったら分からない状態になっています。
究極的には、これだけ科学が進んでいるのだから、アルコールを飲んだら車が動かなくなるようなシステムに本当にしてほしいと心から思います。でもおそらくは、そういうシステムを作ること自体は、大変なことなのだろうと思います。
また、お酒を飲んで運転したこと自体は、はっきりしているであろうと思うんですけれども、結局、事故から1年余り経っても罪状が確定しない。審判が下るに足る材料が集められないのかどうかはわからないですが、1年余りにわたっていて、人を裁くということは難しいことなのかなと感じます。
現実的な事実は相当はっきりしているのではないかと思うのですが、それを立証して罰するというのがこんなに難しい、適切に裁かれることがこんなに難しいことなんだなというふうに感じます。
我々にとって1年間は停止、一方で、事故を引き起こした方は処分保留ですから、時間は止まっていない。こちらの時間は止まっているのに。やはりやられ損で、結局待たないといけない。待っている方は、家族含めて、非常に不安定な精神状態でずっといるわけですし。こういうところにいろんな不条理、不条理と言ったら言い過ぎかもしれないですが、いろんな被害を被ったなと感じています。
【第3部】は、司法の判断に対する両親の思い、“処分保留”の理由について専門家の見解です。
■この記事は、3部構成になっています。 【第1部】「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」24歳の息子を奪われた両親…受け入れられない現実 【第2部】「人殺しとしか言いようがない」処分保留で釈放された飲酒運転の男性への強い憤り 息子を奪われた両親の叫び 【第3部】1年経っても処分保留のまま…「静かに待つしかない」両親の葛藤と願い “危険運転”のハードルについて専門家は
※亡くなった田中友規さんの両親へのインタビューは、事故から1年を前に、2025年9月15日に行ったものです。
サーフィンをしていた67歳会社役員の男性 海に浮いている状態で見つかり死亡 周囲は約1.4メートルの水深 三重・志摩市 国府白浜
27日午前、三重県志摩市の海で67歳の男性が浮いているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認されました。
27日午前11時ごろ、志摩市阿児町の国府白浜の岸から約30メートルのところに、うつ伏せの状態で浮いている男性を、サーフィンをしていた人が見つけました。
男性は搬送先の病院で死亡が確認されました。
警察によりますと、死亡したのは大阪府吹田市に住む67歳の会社役員の男性で、男性は27日午前10時ごろから、友人と2人でサーフィンをしていたということです。
男性が発見された当時周辺の水深は約1.4メートルで、警察は男性がサーフィン中に何らかの原因で溺れたとみて、当時の状況を詳しく調べています。
静岡で増える大型ネズミ「ヌートリア」 自治体が異例の対策
生態系への悪影響や農作物被害の懸念から特定外来生物に指定されている南米原産の大型ネズミ「ヌートリア」が、静岡県西部で増えている。浜松市は今月、市民の手を借りて捕獲用のわなを設置する制度を開始。磐田市もジビエとして活用するため猟友会などと協定を結んだ。西から来たとみられる「侵入者」を東進させまいと、自治体が異例の対策に乗り出している。
ヌートリアは、頭から尾の付け根まで40~60センチで水辺に生息する。草食で土中に穴を掘って巣を作るため、米や野菜の食害だけでなく、田んぼのあぜ道崩落などの被害も出ている。2005年の外来生物法施行と同時に特定外来生物に指定され、飼育や生きたままの運搬、野外への放出などが禁止されている。
ヌートリア研究の第一人者で岡山理科大の小林秀司教授によると、現在国内で生息しているのは、戦後の食糧難で国が食用として増養殖を推奨した結果だという。一時は38都道府県で飼育されたが、食糧事情が改善されたため飼育放棄により各地で野生化、1970年代以降に気候や地形などで淘汰(とうた)が進み、岐阜県養老町、岡山県児島湾周辺、兵庫県・京都府境の福知山周辺の計3カ所に定着し、そこから生息場所を拡大した。これらは戦前に米国から輸入された150頭が原点という。
「ビーバーらしきものがいる」。2012年3月に浜松市の浜名湖東岸で見つけた市民が交番に届け出たのが、「静岡県内初の生息確認」(県自然保護課)とされる。県内で現在確認されているのは、養老町から生息域を拡大してきた結果で、静岡が定着した生息域の東限に当たるとみられる。
県内では、米や野菜への被害は、最近3年間では浜松市と湖西市に集中。磐田市や掛川市でも目撃報告が出ている。県によると、農作物の被害額は22年度に15万円、23年度28万6000円、24年度75万3000円と年々増えている。それでも食害が社会問題化しているシカ(24年度8100万円)と比べると遠く及ばない。
県は23年度以降、自然保護課が主宰して生息域を広げないことを目的に、浜松、湖西、磐田の各市や、県の農林部局、JAの担当者、有識者を招いて情報交換会などを開催している。
浜松市は21年度からチラシを使って目撃情報を集めるとともに、NPO法人に業務委託しての捕獲を開始するなど対策に乗り出したが、目撃数は22年度以降360、461、619件と年度ごとに増加。これに対して捕獲できたのは同年度以降157、166、239頭と追いついていない。このため、市は9月25日から、市の講習を受けた人にわなを貸し出す市民捕獲従事者制度を導入して対策を強化した。
同制度は、これまで同じ特定外来生物で東南アジアなどが原産のリス「クリハラリス」でも19年度から運用されている。推定生息数は、21年度の8000匹から24年度は4700匹に減った。市環境政策課は「ヌートリアは市内で生息域を拡大し、目撃情報と併せて農業被害も出ており、捕獲の要望が寄せられている。業務委託による捕獲ではニーズに対応することは難しく、市民捕獲従事者制度を開始することで捕獲の担い手を増やしていきたい」と話している。
磐田市では、農業被害はこれまでほとんど確認されていないが、被害の未然防止を目的に、市と猟友会、県立農林環境専門職大学、JAの4者が9月24日に協定を締結した。捕獲だけにとどまらず、ジビエとしての利活用の研究などにも取り組む。草地博昭市長は「生息数や地域が拡大することを抑制し、食用として活用を図っていきたい」と話している。
小林教授は「ヌートリアは独特の栄養補給能力があり小食でも適応可能なので、今後も農作物被害が極端に増えることはないだろう。ただ、農業従事者は高齢化しており、田畑の管理を考えると、生息域を拡大させることは防ぎたい。集団で行動することはなく、一度駆除すれば別の個体が姿を見せるのに比較的長い期間を要するので、捕獲のタイミングを農作物の収穫時期に合わせるといった工夫が必要になるだろう」と話している。【照山哲史】