2年前、クマに顔を切り裂かれて重傷を負った富山市の農業岡上隆さん(74)は、傷の後遺症に今も苦しんでいる。手術を繰り返し、今月上旬にも退院したばかりだ。左目は使えなくなった。「クマの動きは素早く、とても対抗できなかった。人里に出てきたクマは駆除するしかない」と警鐘を鳴らしている。(鶴田晃大)
「大きな口を目の前で見て、ここで死ぬんだと思った」。クマに押し倒された日のことを岡上さんは、そう振り返る。
岡上さんが襲われたのは2023年11月16日午前9時頃のことだった。この日は、岡上さん夫妻と近所の親戚ら5人で、同市上今町の親戚宅の庭の柿を収穫していた。クマを寄せ付けないためだった。
親戚宅は、田んぼに囲まれた見通しのよい場所。明るい時間帯の複数人での作業で、「まさかクマは出ないだろう」と思っていた。
軽トラックの荷台に柿を積み込んでいると、いつの間にか体長1メートルほどのクマが目の前にいた。岡上さんはとっさに「逃げろ」と、妻の美智子さん(71)に声をかけ、高枝切りバサミを手に身構えたが、飛びかかってきたクマの速さに、なすすべがなかった。頭から顔の左側にかけて前脚でひっかかれ、あおむけに倒された。
倒れた岡上さんにクマは馬乗りになり、鋭い牙で顔にかみつこうとした。近くにいた親戚の男性が「コラッ」と大声を出して、注意を引くと、クマはその男性の左足にかみついた後、走って逃げた。
岡上さんは「クマは素早い。気づいたら吹っ飛ばされていた。出会ってしまったら対策をとるのはとても難しい」と振り返る。
眼鏡で眼球は守られたが、顔面を骨折し、額や左まぶたを引き裂かれ、神経や筋肉を失った。当時は全治2か月と発表されたが、手術で20日間入院し、その後も病院通いは2年続いた。顔の機能を取り戻すため計5回の手術を繰り返したが、今も左のまぶたが開かず、右目だけでの生活を強いられている。
先月も、太ももの筋膜を顔に移植する手術をうけ、今月上旬に退院した。医師からはさらなる治療を勧められるが、迷っている。
「ここまでひどくなるとは思わなかった。クマを甘く見てはいけない」と力を込める。
クマを警戒しながらの農作業は難しく、今年の収穫をもって、親から引き継いだ田んぼを手放した。趣味のゴルフは続けるが、人数分のクマ撃退スプレーの携帯など対策は怠らない。岡上さんは「人里に出たクマは駆除しないと。かわいそうとは思わないよ」とかみしめるように話した。
背を向けず後退、刺激避けて
クマの生態に詳しい立山カルデラ砂防博物館(富山県立山町)の白石俊明主任学芸員に、クマに遭遇した際の注意点について聞いた。
誰もがクマ被害に遭う危険性があり、当事者意識をもってほしい。クマが冬眠する12月中旬頃まで警戒が必要だ。
意識してほしいのは〈1〉クマに背を向けて逃げない〈2〉ヘルメット、リュックなどを身につける〈3〉大声や車のクラクションで刺激しない――の3点だ。
〈1〉では、クマは時速40~50キロほどで走れるため、陸上の短距離選手でも逃げ切れない。ただ、クマは目があまり良くない。クマに背を向けずに後退し、電柱や木の陰に隠れ、車や建物に入ることが有効だ。
〈2〉では、身につけたリュックやヘルメットでクマの攻撃から体を守ることが大切だ。また、傘があれば、広げて大きな動物だと思わせ、襲われる危険性を減らすことができる。襲われたら、うつぶせに地面に伏せて両手で首を守ることで、致命傷となる腹部や首のケガを防げる。
〈3〉では、クマを音で脅してはいけない。車に乗っているからといって、クラクションを鳴らしたり、建物の中から大声で追い払おうとしたりすると、クマが興奮し、逃げた先で人を襲う可能性があるからだ。被害を広げないよう、むやみにクマを刺激してはいけない。