水俣病の原因企業「チッソ」(東京)の社長や会長を務めた後藤舜吉(ごとう・しゅんきち)氏が昨年8月、病気のため死去していたことが分かった。87歳だった。チッソは遺族の意向として公表していない。
岐阜県出身。東京大法学部を卒業した1957年に入社。熊本県水俣市の水俣工場に配属され、水俣病被害者の補償問題を担当した。93年に社長に就任。未認定の被害者に一時金などを支給した95年の「政治決着」で全面解決を目指した。
2003年に会長。04年の最高裁判決で被害拡大に対する国、熊本県の責任が認められて水俣病の認定申請が急増した後、「第2の政治決着」として09年の被害者救済法成立に携わった。
最高顧問を経て17年に社長に復帰。18年5月に水俣市で営まれた犠牲者慰霊式の後、「(被害者救済法に基づく救済は)私としては終わっている」と発言し、被害者団体などから反発を受けて撤回した。同12月、「一身上の理由」で社長を辞任した。