全国警察で年間約1千万件受理している110番。通報者から迅速かつ正確に内容を聞き取り、現場の警察官に出動要請する通信指令室は「初動捜査の指令塔」としての大きな役割を担う。通報者が置かれた状況は多種多様で、まさに今、事件に巻き込まれているため声を出すことができないこともある。先入観を排し、わずかな音声情報からいかに状況を見極めるか。ベテラン警察官が語る「聴く力」とは-。
全国でわずか10人
「助けてください…」。ある日の深夜、若い女性から消え入りそうな声で110番があった。対応の指揮をとったのは大阪府警通信指令室の宮田誉一(よいち)警部(51)。通信指令における高い技能が認められた、全国でも10人しかいない警察庁指定の「広域技能指導官」だ。
状況を確認しようと警察官が女性に呼びかけるが、最初の「助けて」を最後に反応は一切ない。耳を澄ますと、男と会話する声、車の走行音がかすかに聞こえた。
後に分かった状況はこうだ。女性はマッチングアプリで知り合ったばかりの男に車で連れ回され、車内から110番していた。男は女性に行き先を告げず、ホテルに連れ込むつもりだった。
女性は男が車外に出たわずかな隙に110番して一言だけ発したが、男はすぐに戻ってきた。その後は運転中の男に通報を悟られないよう、通話状態のスマートフォンを隠し持ち、平静を装って男との会話を続けていたのだ。
GPSから先回り、無事保護
宮田警部は最初の通報文言や車の走行音から連れ回されている可能性があるとみて「非常事態」と判断。すぐさま衛星利用測位システム(GPS)で女性のスマホの位置を追った。漏れ聞こえる女性と男の会話にも神経をとがらせていると、「この先のコンビニに寄る」との声が聞こえた。
コンビニに警察官を先回りさせ、無事に女性を保護。「相手が声を出せないのか、単なる誤通報なのかの判断は難しい。それでも電話の向こうの細かな音や雰囲気に敏感になって状況を把握することが重要だ」と話す。
宮田警部は、通報を聞き取る際の心得を「いかなるときも落ち着いて、思い込みに左右されないこと」と語る。
「刺した」のは…虫
「路上で人が倒れている」。こんな通報があったときのこと。負傷状況を尋ねると、通報者は「刺されているようだ」と応えた。
凶悪事件の発生か-。近くに凶器がないかどうかや、出血量などを詳しく聞き取ろうとするが、どうも会話がかみ合わない。結果的に、その通報者の「刺された」という言葉の意味は「腕が虫に刺されて腫れている」ということだった。
「相手の表情が分からない中、言葉と聴覚だけで勝負するわれわれにとって、思い込みはなにより怖い」
指令3年、受理一生
通信指令室の仕事は、主に通報内容を聞き取る「受理」と、現場の警察官に指示を出す「指令」とに分かれる。
《指令3年、受理一生》。後輩の育成にあたり、まずこの言葉を教え込む。現場の警察官への指示は、一定の経験を積めば「一人前」にこなせるようになる。
しかし、その前提となる「受理」に関しては、通報者の状況が千差万別で、マニュアル化できるものでもない。受理一生には「常にどうあるべきかを考えよ」という意味が込められている。
「通信指令室の業務は『単なる電話対応』と思われがちだが、そうではない。自分が聴いたこと、感じたことが後の捜査を左右する」。宮田警部自身にとっても「聴く力」の技能向上に終わりはない。
110番、3秒に1回
警察庁によると、令和5年の110番受理は約1021万件。約3・1秒に1回、通報を受理した計算になる。警察庁は今年1月10日の「110番の日」に6年1~11月の受理件数を公表したが、前年同期比3・6%増の約964万件で、同期の統計が残る平成26年以降で最多だった。
一方、このうち約2割は緊急対応の必要がない内容だった。スマホの操作ミスのほか、スマホが激しい衝撃を検知した場合に自動で110番する「緊急通報機能」の設定による誤通報も多くあるという。
警察幹部は「本当に助けが必要な人の利用がスムーズになるよう、誤通報に気を付けてもらいたい」と呼びかけている。